手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

蒔絵師 田中稲月

2010-10-29 02:08:25 | Weblog
吉岡温泉町に行くと、今でもハンドルがある方向へ向かう時がある。

田中さんの家だ。「はっ」と気づく。「田中さんはいないんだ」・・・・。

田中さんは、平成19年11月7日に88歳で亡くなられた。あれから、3年の歳月が流れた。

元気な時の田中さんは、黒縁の眼鏡をかけてゆったりしておられた。そして、私が行くと、玄関で挨拶し、「どうぞ入ってください」と言って居間に上がらせてもらってコタツに入っていろいろと話をした。必ずお茶菓子と抹茶を入れて出してくれた。

きまって「あんたはよそから来たのに、よう鳥取でがんばっているなあ・・。大変だろう?」と言ってくれた。

私が田中さんの存在を知ったのは。平成6年ごろJR鳥取のコンコースで漆器の販売をしていた時であった。はっきりとは覚えていないが、並べてあった漆器を丁寧に見てくれていたのをうっすらと覚えている。その時、鳥取で蒔絵をしている人であることを知った。

「え~鳥取にこういう人がいるんだ。」と嬉しい気持ちになった。

私も、田中さんと同じほどの年齢の父親がいた。会津若松で漆の仕事をしていた。父は、塗師であった。父も7年前に亡くなっている。田中さんと父親がダブって見えた。

鳥取は、漆器という産業が無いところだと思っていた。なかなか、漆器というものに関心が無いところなので・・。

それから、田中さんとの交流が深まってきた。
重箱に蒔絵で家紋を入れてもらったり、記念品に名前を入れてもらったり・・。

田中さんの作品は、丁寧で出来上がりがほんとにすばらしかった。
輪島の蒔絵師さんにも劣らないほどの腕前だった。

「だれから教わったんですか?」と聞いたことがあった。「親父から教わった。わしは
ホンとは、美術学校に行きたくて親父に言ったら怒られた。兄弟も多かったので、それどころでなかった。」ゆっくりとした口調で話された。

「そうなんだ・。美術学校に行きたかったんだ・・」と私は心の中で繰り返した。

田中さんの下絵を見せてもらった。ほんとに凄かった。細かい線で描かれた、古典的な
図柄の下絵だった。鶴、花、亀、龍、風景、建物、広重の東海道53次まであった。

「さすが、田中さん」と私は心の中で絶賛した。

しかし田中さんはその時80歳近かった。弟子もいなかった。鳥取では、殆ど知る人が
いなかった。 伝統工芸士にも選ばれていなかった。

その頃、木地師の伝統工芸士 若桜の茗荷定治さんがもてはやされていた。

     次回に続く

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