手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

商店街の活性化

2009-09-29 08:34:34 | Weblog
これは大変な問題です。

社会の仕組みが、変わってしまった中で再生
しようとするものですから、並大抵のものではありません。

商店街が、地域にほんとに必要とされているのか。

必要とされている商店街だったら、生き残っていく
ことができるでしょう。

補助金(税金)というものがありますが、これありきで
ことがすすめられるケースもあります。

こうしたケースが、結果的にその場限りということが多い
ですね。

ではどうしたら、補助金をうまく使って持続的な活性化を
可能にするか。

郊外型大型店舗の進出による地方都市の中心市街地の
衰退は、全国どこでもおきています。

大型店が競争して価格割れの販売競争をしている。
消費者にとっては、良いように見えますがこれが社会
循環という観点から見ると、大きな問題になっています。

雇用や給料にかかわってくるのです。
ますます、国民生活の格差が拡大していくわけです。

ブルジョアとプロレタリアという構図が出来上がってきます。

いつか来た道を、逆戻りしているような・・・・。

同じ失敗を 何度繰り返したら気が済むのでしょうか?

21世紀は、戦争のない平和な世紀になるように祈っているの
ですが・。










ススキが揺れる

2009-09-28 08:36:32 | Weblog
田んぼの畦に、ススキがあきかぜにゆらゆら揺れています。

静かな山間部の風景は、都会の生活の疲れをいっぺんに
吹き飛ばしてくれるものです。

稲刈りが終わった田んぼは、来年のために耕され、冬の
準備に取り掛かっています。

一旦休んだ田んぼは、又再開するのに大変であることが
骨身に沁みています。

なんとか、補助の手を貸してほしいものです。




鳥取砂丘 砂の美術館

2009-09-27 08:36:48 | Weblog
昨晩 砂の美術館に行ってきました。

夜はライトアップされてます。
流れるクラッシックの静かなメロディーと、ライトアップの
コラボレーション・・・。

砂丘も昼とは違って、漁火が水平線に一列に並んで灯っ
ているのを背景に、羊飼いがオアシスで一休みしている
砂像は、心を落ち着かせるものでした。

空を見上げれば、満天の星がきらきらと輝いていました。

いつも感心してますが、これがほんとに砂なんだろうかと
疑ってしまいそうな、精密な手の込んだ芸術品ですね。

本日は、昼と夜と二回行ってしまいました。

まだの方は、是非行ってください。感動しますよ・・・。




芸術家の生き方

2009-09-25 06:57:27 | Weblog
一流といわれる芸術家は、生き方に対する明確な哲学
的なものがある。

四六時中それを軸にして、作品を制作する。

その集中力は、並みのものではない。

教えられた通りに造っても、それは真似でしかない。

いかに自分を表現するか・・・・・・。

自分にしかない世界を作品として創りあげれるか・・。








鳥取男声合唱団 第5回定期演奏会

2009-09-24 07:48:17 | Weblog
昨日、お彼岸とも重なって第5回の定期演奏会がありました。

とりぎん文化会館梨花ホールは、大勢の観客で満員でした。

曲目は 北原白秋作詞 多田武彦作曲 柳川風俗詩より

 水のいのち 高野喜久雄作詞 高田三郎作曲 

 DEEP RIVER 黒人霊歌 フィンランディァ賛歌
 
 さくら 信長貴富編曲  他

 やはり、最後を締めくくった「水のいのち」は 
 歌っている側も感動してしまい、最後の「海よ」では、
 涙が零れ落ちそうになりました。 感傷的・・・・・

 10年の積み上げが、この歌に終結したのでしょうか?

 鳥取大学の土井先生には、ほんとに男声合唱の醍醐味を
 教えていただきました。真剣なそして遊び心の男声合唱・・。

 男であれば、人生で一度でも経験したいものかもしれませんね・・・。

 打ち上げでは、無礼講よろしく 大変な盛り上がりでした。

 これが 本音で 一番のたのしみ・・・・・なんですよ・・・・。

 感謝 感謝   合掌・・・・








 




懐かしい会津まつり

2009-09-23 01:30:29 | Weblog
血が騒ぐのです・。9月23日は、会津鶴ヶ城を拠点に

歴代の藩主に扮した武将が、町のメイン通りを行列します。

今年は、天地人のヒーロー上杉景勝役の北村一揮さんとその

妻菊姫役の比嘉愛未さんが特別行列に参加するそうですね。

 
そもそも会津祭りとは、いつから始まったのかということです。

ここにも会津人の、先人に対する畏敬と郷土に対する誇りが

存在しています。



1867年9月22日は、戊辰戦争で敗北し会津鶴ヶ城を引渡しの
日です。

それから、賊軍 朝敵として長く汚名を着せられ屈辱を受け
続けてきた会津人に、希望の光が注がれたのは、昭和3年
それは戊辰戦争後60年目のことでした。


その年に、会津藩最後の藩主松平容保公の四男恒雄氏の長女
勢津子様が秩父宮殿下とご婚約の慶事がありました。
皇室とのご婚約は、会津人にとって朝敵 賊軍という言われ
無き汚名の歴史を終わらせるものでした。


会津人にとっては、この日が特別の日になったわけです。 
当時の市長松江豊寿(バルトの楽園の主人公)が、昭和3年
に祝賀の行事を開催しました。9月22日(会津藩降伏の日)
9月23日(鶴ヶ城明け渡しの日)を祭礼の日と定め、大名行
列が始まりました。これが今日の、会津祭りに繋がっているの
です。

歴史 先人の功績を、後世がそれを誇りに思って引きつなげて
いくことの大切さを会津は教えてくれているのではないでしょうか。

http://www.aizukanko.com/modules/festival/



会津生まれの筆者は、生まれたときからこの祭りとともに
育ってきました。

縁があって鳥取に住んでいますが、9月23日は不思議なくらい血
が騒ぐのです。

筆者も、高校時代は白虎隊を剣舞していて、飯盛山の墓前祭に
参加しました。

懐かしさがにじみ出てきます。

 
会津の歴史  関が原の合戦以前から簡単に・・・・・・

 福島県の西半分(岩代国)が会津藩の領地であった。

  
 1589年伊達政宗が蘆名氏(戦国大名)を滅ぼし会津に入る
 1590年豊臣秀吉の奥州仕置きで伊達政宗 会津領を没収 
     実質秀吉の日本統一

蒲生氏郷(7奉行)近江より会津に入る 92万石 産業の基盤を造る 
         酒 漆器
 1598年 氏郷死後 上杉景勝 越後より会津に入る 120万石
 1600年 関が原  石田側についた上杉は 米沢に減封 30万石
 
 16001年 蒲生秀行(氏郷の子)再び会津に入る 60万石
 1627年 加藤嘉明 伊予松山から会津に入る 40万石
 
 1643年 山形から 保科正之(藩祖 徳川秀忠の子 家光の異母兄弟)入る
   23万石といえども 実質内高40万石以上
  3代目 正容の時から 松平に改姓 
  徳川将軍家の名門として 会津松平が会津を治める
 
 1867年 最後の9代藩主松平容保(京都守護職)会津戦争で敗北

  家格は親藩 藩の家紋は 会津葵  藩旗は 會 の一字

 1928年(昭和3年)松平恒雄氏(松平容保公の四男 駐英大使 参議院議長)の
         長女節子(後 勢津子に改名)様 秩父宮殿下とご婚礼

         朝敵 賊軍の汚名の歴史の終焉

   司馬遼太郎氏の 「王城の護衛者」 は感動するものがありました。
 

 






稲刈り

2009-09-14 09:27:41 | Weblog
智頭町の片田舎・・・。 山間に広がる田園。昔は、棚田だったようです。

きれいに黄色に色づいた田に、コンバインが走り始めています。

刈り取られた田は、きれいに毛を刈られた羊のように見えます。

そんな季節になったんですね・・・。 

 青空が広がり ススキが ゆらゆらと 秋の風に揺れ

 杉の山が 青々としていました。

漆以外に釣りも好き

2009-09-11 20:32:42 | Weblog
漆以外に釣りも好きな職人です。

車で10分で鳥取砂丘に行けます。

その近辺は、実は釣りの穴場なのです。

今日は、仕事が速く終わったので久しぶりに竿を持って

海に行きました。もちろん雄大な日本海です。

近くに漁港がありまして、その堤防が良い釣り場なんです。

鳥取砂丘が見えるんですよ・・・。

大物が連れるのは、朝早くか夕まずめ、と良く言いますが、やっぱりあってます。

 なんと1時間30分の間に、アジ 30cm 2匹(一匹は手元で落とす)
 23cm 1匹 の釣果でした。

 つかれが ぶっとんだっていう感じ・・・。



ご近所付き合い

2009-09-08 14:26:31 | Weblog
冠婚葬祭は、みんなの力を借りないと成り立ちません。

近所のかたがたとの日ごろのお付き合いは、ほんとに大切です。

毎日の挨拶から始まって、地域の行事や地域の共同作業など・・。

こうして、交流が深まり互いの信頼関係が造られていくのです。

 母の葬式には、村の人たちがみんな集まってくれました。

 そして、見送ってくれました・・。

母の日ごろからの長年にわたるお付き合いがあったからでしょう・。

諸行無常

2009-09-07 15:15:54 | Weblog
人の死は、尊厳死でありたい・・。

人が生まれ 育ち  多くの人にめぐり合い 喜び 悲しみ 苦しみ

そして別れていく・・・。

母がこの世を去りました・・。 「人生に悔い無し」という

言葉を残して・・。 「延命はいいですから・・・」子供に

担当医師にはっきり言いました。 苦しかったでしょうが、

穏やかな表情でした・・。 満月の夜でした・・。

子供に 孫に 村の人たちに見送られ、慣れ親しんだ山野を

後に 永遠の旅立ちをしました。

 その姿を、子供や孫はしっかりと見届けました・・。

永遠に安らいで下さい・・・。    合掌