手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

安積開拓団のふるさと鳥取訪問

2009-05-23 04:34:30 | Weblog
128年前鳥取から安積原野(福島県郡山市)に移住した旧鳥取藩士士族の

子孫の方々と一緒に、因幡一ノ宮宇倍神社に参拝しました。

金田宮司にお祓いして頂き、その後その歴史についてお話を承りました。

開拓団の皆さんもふるさとに帰ってきた気持ちになったと大変喜ばれ

ました。


その後、宿泊先のワシントンホテルでの歓迎夕食会では、鳥取・郡山

友の会の皆さんと大変盛り上がって楽しいひと時を過ごしました。


姉妹都市交流 福島県郡山市

2009-05-21 18:35:00 | Weblog
鳥取市と福島県郡山市は、3年前姉妹都市として提携されました。

原点は、明治14年(1881)旧鳥取藩士が安積(あさか 現郡山市)原野に

移住して開拓したことから始ります。

鳥取市から郡山市まで約1000Kmの距離にありますが、昔はいろいろな

手段を使って移動したようです。

現在は、福島県の穀倉地帯になっていますが、当時は荒野でした。

刀を鍬に変えて、必死になって開墾したわけです。

氏神様として宇部神社を建立し、信仰の拠り所として生き抜いてきました。

 その子孫の方々が、5月22日から24日まで鳥取に来られます。

原正夫郡山市長はじめ50名の方々です。 子孫の方々は、菩提寺と神社を

訪問します。 

開拓団がご縁となった姉妹都市提携によって、これから両市が深い絆で結ばれる

ことを祈るばかりです。  

この開拓団の実態は、平成になるまで詳細にわかりませんでした。

鳥取敬愛高校社会部の皆さんが、それに関する資料を発見し研究した結果、

事実が明らかになりました。


        鳥取・郡山友の会

         事務局 0857-23-3917 






五臓円ビルの掃除

2009-05-18 14:10:45 | Weblog
17日日曜日、生憎の雨模様でしたが大掃除をしました。

2階~3階がメインでした。部屋は物置のような状態でしたが、

参加していただいたメンバーが汗だくになって見違えるほど

きれいになりました。

 店主の森下社長は、「こんなにきれいになって感謝です。

このビルを有効利用していただけたら嬉しいです」と喜んで

お話されていました。

昭和のレトロが、静かに動き出したといった感じですね。







五臓円ビルのレストラン

2009-05-13 16:21:31 | Weblog
今日の日本海新聞にも大きく記事が掲載されていました。

昔の五臓円ビルを知っている人に会いました。

鳥取大火で周辺は丸焼け。残った五臓円ビルを実感として

知っている方でした。 五臓円ビルだけが残っていた。

ほんとにしみじみ眺めていたようです。

その方がまだ小学生になった頃、父親に連れられてレストラン


に行ったのを覚えてました。

肉料理を食べたそうですが、「なんてうまいものがあるんだ」と

6歳ほどの年で感動したそうです。残念ながら、それ以上は何も

記憶に無いようです。

 面白い話を聞きました。



智頭街道と五臓円ビル

2009-05-12 08:17:08 | Weblog
今日の日本海新聞に、シリーズ歴史を刻む 五臓円ビルの記事が

掲載されました。 築77年とありますから、昭和のはじめに

建築されたわけです。その間、戦争 地震 火事と激動の昭和史が

刻まれていきます。 地震にも火事にも耐え抜いた五臓円ビルは、

まさに鳥取のシンボル的建築物である。



 私も、主人に紹介されて中に入った。4階建ての西洋風な階段を

上がっていく。 階段は大理石のようだった。シャレてる・・・。

3階はレストランだった。神戸からシェフを呼んで、当時では

ハイカラなレストランだったらしい・・。 「いいねえ・・」

しかし、相当いたんでいる。 現在はほとんど使われていない。

 この建物を、利用しようじゃないか!! と言う声も上がってきた。




昭和レトロにふさわしい 五臓円ビル。 谷口ジローさんの記念館。

はたまたサロン。夢は膨らみます・・・。

 智頭街道も、昭和レトロをめざして ぶらぶら・・・人の歩く

風景が目に浮びます。
























職人の仕事

2009-05-08 09:04:42 | Weblog
職人とは、「手で物を製作する職業の人」と国語辞典には

書いてあります。

手で物を作るとは? 近年は機械が人間の手の変わりに上手に

してくれます。 人間は、機械を操作する技術を持っていれば

いいことになります。 機械を操作する人は、職人ではなく

技師を呼ばれます。



 自動車産業が未曾有の不景気ですが、各部署に配置され

働いている人たちは職人と呼びませんね。

じゃなんて一般的に呼んでいるんでしょうか?

労働者・・・。 職人ではなく労働者。 労働・・・。



我々の世界では、漆を扱う人は労働者とは言いませんね。

やっぱり職人です。 大工も同じで、労働者とは呼びません。



 じゃ日本中の労働者と職人の比率は?馬鹿なことを言ってますが、

私は、圧倒的に労働者が多いと思います。今はやりの派遣労働者・・。



しかしよく考えてみると、どちらもものづくりに携わっているんです。


日本はものづくりの国家といってきましたが、職人を育成するのではなく

労働者をたくさん作ってきたのです。 都合が悪くなるとリストラできる

労働者を・・・。 


職人は、体に技術を覚えているので、いかなる時でも食べていける

人たちではないでしょうか? もう一度、日本も職人養成を根本から考え

直してはいかがでしょうか?
























四方山話 田淵久美子と篤姫

2009-05-07 01:16:48 | Weblog
ラジオ深夜便を時々聞きますが、今日は脚本家の田淵久美子さんの

ミッドナイトトークでした。


田淵さんと言えば、NHK大河ドラマ「天璋院篤姫」の脚本家で

有名です。 島根県の益田市出身だそうですね。益田、津和野は石見

といいますね。石見人は明るくて活発だと言ってました。山陰地方の

人は、暗くて陰鬱のように見られがちだが、トンでも無いと言ってました。

 

ほんとに明るくて前向きの人ですね。いろいろな雑誌などに掲載

されていたようですが、私は初めて本人の声でエピソードを聞きました。

人生って・・・・なんだろう・・と思ってしまうことがありますが、

田淵さんの人生も本人いわく「波乱万丈」だったと言ってました。


でもまだ50歳でしょう?まだまだ過去形で終ってしまわないで欲しい

ですね。


篤姫は、毎回見てました。薩摩の地で生まれ育った篤姫が、幕末の

荒海に乗り出していくストーリーはすばらしいものでした。男勝り

の薩摩おごじょ。

小松帯刀との恋物語。そして徳川家定との結婚。大奥での生活。激

しく動く国内外の情勢。登場人物も一流の人物ばかり・・。日本を思い、

薩摩を思う志士たちの生き様。 薩摩から徳川の人間になり、薩摩を愛

しながら徳川を愛する篤姫。 真っ二つに切り裂かれる篤姫の心。


それを芯から支えた、義父島津斉彬。そして、初恋の人小松帯刀。

そして、薩摩の武士たち。


血なまぐさい幕末の時代を、明るく大きくそして大胆に生き抜いた

篤姫。



田淵さんの話を聞いて、篤姫は田淵さん自身ではないかとやっぱり

思ってしまいましたね。 歴史好きの私にとって、今日のミッドナイト

トークは目をしっかり覚まさせられました。  



         では・・・・・ZZZZZZZZ

















手塗り箸

2009-05-06 13:54:29 | Weblog
箸作りは、非常に難しい。 木地を作るほうはもとより、塗るほうも

難しい。 材質を選び、デザインを考える。 漆の塗り方も、丁寧に・・。


写真の箸は  材質 島木犀 別名 ナタオレノキ 非常に固い

       塗り  朱漆 拭き漆

  あなたの自分だけの箸(マイ 箸)はいかがですか?

砂丘の原石

2009-05-05 09:30:01 | Weblog
鳥取砂丘の砂は、千代川より流れ出て日本海の荒波と風によって

運ばれ、数十万年かけて作れたとされています。

この砂を磨き育ててくれた河原石に感謝を込め「砂丘の原石」と

名付けました。

 あなたの願いや思いを石に込めて親しい人へプレゼントして

 みては・・・。

きっと思い(重い)が伝わるでしょう・・・。


ペーパーウエストやインテリア、アクセサリーなど思い出作りにどうぞ・・

  価格 315円(税込み) 送料は別になります。


   お問い合わせは  製造発売元 會州堂
            鳥取市川端2丁目211
            TEL0857-23-3917
            FAX0857-23-0543
            Mmail kbtwings@hal.ne.jp





静かな商店街 

2009-05-04 13:22:29 | Weblog
ゴールデンウィークの商店街は、寂しいほど静かです。

一方鳥取砂丘は、毎日記録が更新されるほど賑やかです。

商店街に流れる童謡も、初夏の風に物悲しく流れています。

商店街の活性化は、ほんとに難しいものですね・・。