手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

春節

2012-01-24 08:18:33 | Weblog
今朝起きてみたら30cmほど雪が積もっていた。これから一週間雪マークが続くようだ。

1月23日は春節だった。陰暦(農暦年)の正月である。

旧正月が国の休日となっているのは、中国・台湾・韓国・北朝鮮・ベトナム・シンガポール・マレーシア・インドネシア・ブルネイとモンゴルである。 香港ではマカオと同じく1月1日から3日間が休日となります。(その3日間に日曜日があるときは旧暦大晦日も)

その他の国は
・中国本土 - 旧暦大晦日から旧暦1月7日まで
・台湾 - 旧暦1月5日まで
・韓国 - 旧暦大晦日から旧暦1月2日まで
・ベトナム - 旧暦大晦日から旧暦1月3日まで

春節を国家の行事としている国は、アジアでは結構あるんですね。

日本は明治時代に、それまでの太陰暦から太陽暦を利用するようになった。

一大転換であった。

欧米に近づこうと思っての国策だった。

しかし、陰暦は農業者には欠かせない暦である。春夏秋冬めぐってくる季節の変化は、
太陽暦では会わないことが多い。

なぜ大陰暦とか太陽暦とかあるんだ?と不思議に思っている人たちも多いのではないだろうか。

これは、歴史を紐解いていく以外にない。

明治という時代。アジアの中の日本が、欧米大国の植民地化の脅威に晒されて、富国強兵で欧米政策を積極的に取り入れた。

しかしその反面アジアの一員から、だんだん離れていくようになった。

坂の上の雲が物語っているように、国民も明治国家の富国強兵に多大な犠牲を支払った時代でもあった。

そして日露戦争勝利は、いたずらに国民をあおり大陸進出の足場を作ってしまった。

その結果、アジアの一員であるはずの日本が、軍事力でアジアを植民地化するような結果を作ってしまった。

戦後67年が経って、アジアのリーダーとしてなかなか認められない日本の姿を見ると、
この戦争で日本がアジア諸国になしてきた代償が余りににも大きいことを改めて実感する。

春節を通して、もう一度アジアの中の日本を考え直したい。




歴史を謙虚に学ぶ

2012-01-20 08:08:22 | Weblog
東日本大震災から10ヶ月が経過した。

そして、阪神大震災から17年が過ぎた。被災地の各地で慰霊祭が行なわれ、犠牲者の供養が行なわれた。

東日本大震災は、千年に一度の地震ということだったが、歴史を甘く見ていた。

昨年12月に、東北大学で地震を考え直すシンポジュウムが開かれた。

1611年12月2日、慶長三陸地震が起こっていた。死者3000人。津波は、岩手中部で20~25m 宮城南部 福島北部で5~13m。 古文書には記録されていた。

869年の貞観地震は過去最大級の地震で、それ以後なかったという地震学会の考えだった。ゆえに、慶長地震の古文書は無視された。

国の中央防衛会議の想定は、1896年明治三陸地震(M8.2)で、被害全壊家屋9400棟、死者2700人だった。

6年後東日本大震災が起きた。M9.0.死者行方不明者約2万人。津波の高さ最高で約40m。青森~千葉県までの太平洋沿岸は多大な被害を被った。

日本で起きた地震を調べてみた。顔が蒼ざめてきた。

1世紀   土佐地震 M9.0 地層研究

5世紀   大和国で地震

6世紀   飛鳥地震  仙台付近で巨大地震

7世紀   筑紫(福岡)で地震
      東海 東南海 南海地震説

8世紀  記録が出てくる  各地でM7級の地震頻発に起こる  

869年  貞観地震M8.3~8.6 各地でM7級の地震頻繁に起こる

10世紀 京都M7 死者多数 

11世紀  永長地震(東南海地震)M8.0~8.5 死者1万以上
      康和地震(南海地震)M8.0~8.5 死者数万

12世紀~16世紀 各世紀ごとに M7以上の地震が全国各地で頻繁に起こっている

         そのたびごとに 多くの犠牲者を出している
1605年 慶長地震( 東海 東南海 東海 東南海連動型地震 )死者1万~2万

1611年 会津地震 M6.9 死者3700人

1611年 慶長三陸地震 東北地方太平洋沿岸 M9 大津波発生 死者2000~5000

 その他 多数 きりがない。


18世紀 記録が充実してきているので 多数の地震の記録がある


19世紀  地震が毎月のように頻繁に起こっている

1896年 明治三陸地震 M8.2~8.6 死者約2万1千人 超巨大地震

1943年 9月10日 鳥取地震 M7.2 死者1083人

 日本列島がぐらぐら揺れない日はない

1995年 1月7日 阪神大震災 M7.3 死者行方不明 6437人

2011年 3月11日 東日本大震災 M9.0 死者    1万5844人
                      行方不明者  3381人

                      避難者 33万7819人
                       2012 1月20日現在

 驚く歴史が見えてきた。余りに多くて代表的なものを挙げてみた。

 これほどまでに、歴史的に多くの犠牲者を出している。

 地震学会は、どれほどこの歴史を国民に知らせているだろうか。

 それにしても、福島第一原子力発電所の事故は想定外とかを言ってはならない事故であ る。あまりにお粗末な原子力発電所だった訳だ。

 政府も原子力委員会も きわめて恐ろしいほど杜撰な体制であった。

 こんなに地震の多い国に、原子力発電所が 全国19箇所。

   現在稼動中 55基 (停止中もあり)
   廃止 解体中 8基
   建設 計画中 4基

 こんなにあるんだと唖然としている。 いつ何処で、福島の二の舞が起こるかもしれな い。

 これを考えたら、日本列島から安全な国に脱出しないといけない。

 とは言っても、安全な国など何処にもない。

 結局は、自分で自分を護るしかないということか・・。

 日本列島は、煮えたぎったマントルの上に常に揺り動かされている事実・・。

 明日はわが身・・。いつどんなことが起きようが、準備を怠ってはならないことを改めて知った・。








 

今年初めの漆教室

2012-01-13 08:24:58 | Weblog
今年も漆教室が始まった。

生徒の皆さんも、自慢の作品を黙々と作っている

昨年の今頃は、智頭の石谷住宅で展示会をしていた



   漆教室の風景


     汁椀と箸

 今年も良い作品を作っていきたい


  漆教室 毎月2回 第1 第3 火曜 13:00~15:00

           第2 第4 木曜日】13:00~15:00
          漆の塗り方を指導します

        川端教室 鳥取市川端2丁目211 TEL 0857-23-3917
           智頭街道商店街 會州堂まで


   金継ぎ教室 毎2回 第2 第4 月曜日 13:00~15:00

      壊れた茶碗や 陶器を修理方法を教えます




金閣寺

2012-01-12 10:34:39 | Weblog
年に一度の 中川政七商店の内見会で京都に行く。

仕事兼ねて 京都見物。

今年は、なぜか金閣寺に行きたくて行ってみた


    

       金色がまぶしかった

 なでしこジャパンの W杯金メダル 黄金!!

 黄金はいいですなあ・・


静かな庭だったが 中国人のグループが来ていて騒がしかった


昼時が過ぎ  近くの手打ち蕎麦屋の のれんをくぐる


    にしんそば

会津名物にしんそばを思い出し、 にしんそばを食べる

なかなかうまかった・・

雨が降ってきたので傘を差し、龍安寺に向かうが時間がなくなり、門の前まで行って
帰ってくる

 庭を見物できなかったので、来年の楽しみに取っておく・・













 干支の辰

2012-01-07 08:40:54 | Weblog
書類を整理しようと思って、箱の中を開けてみたら、古い新聞が出てきた。

2000年(平成12年)1月9日(日) 読売新聞だった。

茶色に日焼けした新聞を見ると、米原万里さんの記事が載っていた。

真昼の星空というタイトル。

米原万里さんは、父米原いたる氏(智頭町出身)の娘で、小説家 エッセイスト、ロシア同時通訳として活躍されたが、2006年(平成18年)56歳の若さでお亡くなりになった。

ゴルバチョフ大統領 エリツイン大統領の同時通訳で知られている。

さて、その内容には干支辰のことについて記述してあった。

古代中国で干支が年暦に採用されるようになったのが、前漢時代つまり今から2200年ほど前以降だという。

日本に持ち込まれたのが、朝鮮半島を経由して6~7世紀ごろだという。

一二支を表す漢字は、もともと動物の意味をしていなかったらしい。

文字が動物にあてはめられるようになったのは、いついかなる理由なのかは定かではない
そうだ。

一二支の動物の中で、竜だけが人間の空想力が生み出した現実には存在しない動物だ。

現在日本人が持つ竜のイメージは、日本人の祖先が航海の安全や大漁、雨乞いを祈願する為の海神または水神としての蛇を祭る伝統がある。これが中国伝来の竜のイメージと結び合って、日本人に馴染み深い動物になったのではないかと言っている。

ヨーロッパでも、ドラゴン退治という話は、何処の国にも御伽噺として伝わっているという。

これは偶然なのだろうか? 古代の商人や旅人が東方から、あるいは西方からもたらした
文物の中に竜を見て、摸写した結果なのだろうか、と思うほどよく似ている。

とまあ、想像力はますます高まってくる。

米原万里さんの文章はやはり流石説得力がある。

最後は、竜はタツノオトシゴと似ている。モデルはタツノオトシゴだったのだろうかと締め括られていた。

 辰に思いを深くさせられた12年前の新聞記事だった。

 この文を書いてから6年後に米原万里さんは、56歳というあまりにも若くして人生を終えられた。 












七草粥

2012-01-07 08:15:38 | Weblog
今日は 一年の無病息災を願って七草粥を食べるという日。

せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ

春の七草として、 学生時代国語の時間に覚えさせられた。

有り難いことに今でも空暗記で すらすらということが出来る。

正月のお酒や祝膳で弱った胃袋を休める意味もある。

 小寒(しょうかん)二十四節気のひとつ。 昨日(6日)は小寒だった。

太陽の一年間の動きを二十四分割して、その区切りに季節を表す名称をつけた。 

これが二十四節気になる。

小寒は、寒の入りといって、節分までの約一ヶ月間 一年で一番寒さが続く厳しい季節になる。


 今日は七草粥を食べて胃袋を休め、寒さに耐えることの出来る体力を養おう。


箱根駅伝

2012-01-04 07:39:51 | Weblog
東洋大学の完全優勝であった。

2日3日と最初から最後まで、テレビにしがみついたことは無かった。

なんと言っても、山ノ神 東洋大学の柏原竜二君の姿を見たかった。

4年間の集大成がどのようなシナリオになっているか見たかった。

東洋大学が、往路復路優勝!!総合優勝で、2位駒澤大学に9分2秒の差をつけて圧勝だった。昨年王者の早稲田は、残念ながら4位だった。

福島県いわき市生まれの柏原君は、家族が震災に会い苦しい経験をした。

昨年の21秒差で早稲田に負けた悔しさとプラスして、震災の悲劇は彼を大きくした。

この1年間の柏原君を中心とした東洋大学の箱根にかけた闘志は、並々ならぬものであったことは言うまでもない。

 陸上選手なら誰でも人生一度は走ってみたい箱根駅伝だ。

青春の夢を大学のたすきにかけて、新春の空の下走りぬく箱根駅伝。

今年は特に沿道の観客が多かったことに驚いた。

柏原君の走りを期待して見に来た人も多かったかもしれない。

東洋大学の選手全員が、「柏原に頼るな。自分達一人一人が2秒を縮める走りをしよう」
を合言葉に走りぬいた。

ほとんどの区間で1位を獲得した。

合言葉どおり、全員がダントツの1位でありながらも、全力で走っていた。

アンカーの斉藤選手は、顔がくしゃくしゃになりながらゴールのテープを切った。

見ていてこんなに感動した駅伝は久しぶりだった。

柏原竜二君の姿は、福島県の被災者の方々に大きな勇気と希望を与えてくれた。

彼は、東洋大学のたすきだけではなく、福島県のいや被災地全部の希望と期待のこもった
重いたすきを肩にかけながら、箱根の山を今年も猛スピードで登っていったのだ。

彼の勝利のコメントも、全員ががんばったという〆であった。

「僕が一人ではこんな走りは出来ない。皆さんの温かい心の気配りががあったからできました」と感謝の心は忘れなかった。

気持ちで負けた。と各チームの監督が口にした。


表彰台の選手達の顔は、目標を達成した達成感に満ちた爽やかな笑顔が印象的だった。


今年は、彼らの勝利にあやかって、ほんとうに強い気持ちを持って良い年になるように努力したいものだ。