手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

季節は巡る

2012-03-30 08:30:41 | Weblog
今年のように雪の多い年はめずらしかったですね。

特に平野部で、3月まで30cmの積雪があって、山間部では少なかったのは珍しいですね。

あんなに積もった雪もちゃんと解け、野も山も春の芽吹きでいっぱいです。

季節はちゃんと廻ってきました。

桜のつぼみもちゃんと膨らんできました。

路傍に菜の花が咲いていました。

陽気も暖かくなってきました。

卒業式も終わり、人事発表も終わり

あとは、新年度に向けてスタートを待つばかりです。


人生にも季節があるようです。

今夏の人。春の人。秋の人。冬の人。

しかし、季節はちゃんと変わります。

いつまでもいつまでも 冬は続きません。冬の次は、命が芽吹く春です。

自然はちゃんと知ってます。

渡り鳥も、旅立ちの準備をしています。もう旅立った野鳥もいます。

時は巡り また夏がやってくるのです。

その日の為に、今日の日を大事にしていきたいですね。


震災を考える 毎日新聞 3月14日 掲載

2012-03-16 13:15:21 | Weblog
震災一年が経ち、数々の報道がなされていました。

毎日新聞 3月14日付け 「震災を考える」に、鳥取市の小学校の被災地に対する取り組みが掲載されました。




福島県郡山市と鳥取市は姉妹都市として提携がなされています。

その関係で、2009年から両市の小学校同士が、伝統芸能や歴史を学び親睦を深める目的で交流なしてきましたが、この震災をきっかけにさらにその絆が強くなりました。

「郡山市応援プロジェクト」が鳥取市教育委員会と校長会の連携で立ち上がりました。

そして、鳥取市の45校が郡山市の小学校58校に応援メッセージを贈りました。

我が「鳥取 郡山友の会」として、何ができるのかと考えましたが、美保南小学校の藤井校長先生からの依頼で、昨年7月に被災地訪問の講演会を5年6年生を対象に行いました。

こうした学習をすることによって、児童の皆さんが真剣にこの震災の被災地で苦しんでいる人たちのことを思うようになり、「僕たちに何ができるか」を真剣に考えるようになったようです。

私は、講演で「僕たちにできるものはなにがあるのか・」という児童たちの疑問に「被災地の人たちのことを思うことだけで支援になると思いますよ」と話をしました。

その後児童から感想文が届きました。「大人になったら必ず郡山に行きます」とか「節電や募金など自分ができることをやっていきます」とか「できることは少ないけど、やれることはしていきます」という涙が出てしまいそうな感想文でした。


こうして、毎日新聞で掲載していた頂いたことに大変感謝しています。

そして、震災で被災地になった郡山市について、深刻に受け止め行動してくださった美保南小学校藤井校長先生はじめ担当の教師の方々にもこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

この復興支援は、これからが本番とだと思います。

「鳥取 郡山友の会」の支援活動は、今後も持続させて行きたいと思います。




         郡山原正夫市長に義援金を手渡す 2011 6月4日


          鳥取大学 仲野教室での交流会


          鳥取敬愛高校の文化祭 震災特集



          美保南小学校で講演したときの感想文





             鳥取 郡山友の会
             会員 約30名  事務局 鳥取市川端2丁目211 TEL0857-23-3917

             活動内容 明治時代に郡山に移住された旧鳥取藩士族等の子孫の方々との交流。震災後は、物産や義援金活動、
                  小学校 中学校 高校 大学等での講演活動などをしています。

             今後の活動 鳥取市に移住してきた福島県出身の被災者の皆さんと交流したいと思っています。

            義援金は 事務局で受付しています








追悼 東日本大震災に想う

2012-03-10 16:28:14 | Weblog
明日で 1年が経ちます。 死者1万5854人  行方不明者 3167人(3/10現在)

犠牲になられた方々に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 合掌


だれがこれほど大きな地震や津波が来ると想定していたでしょうか。

目を疑うようなあの大津波は、千年に一度のものといいますが、そのような津波に出くわしたことが悲運なのでしょうか。

東北3県 茨城県 千葉県 東京都 神奈川県と東日本にまたがる被害は、史上稀に見るものでした。

津波の瞬間の映像は、あまりに生々しく言い表すことのできない地獄図でした。


                 震災

根こそぎ命を奪っていった津波。

一年間毎日毎日行方不明の娘を探して現場を歩いていた父親。

サイレンが鳴り響く 高台へ逃げてください と連呼が続く

津波の濁流が 家を押し流し 船をひっくり返し 車を玩具のようにぐるぐるにして流していった

見る影もなく跡形もなくなった街。

学校も 病院も 鉄道も スーパーも 銀行も 商店街も なんにもなくなってしまった街。

原発事故の放射能汚染によって、故郷を離れなければならなかった人たち

みんなどこかに行ってしまった

3か月たって

少しずつ動き始めた

瓦礫はまだまだ片付かない

漁師は やられた海を元に戻すプロジェクトを始めた

魚が売られ始める

避難所の人たちも、動き始めた

涙を拭いて 悲しみを拭いて 苦しさに歯を食いしばって

動き出した

東北の人は 辛抱強いから・・・・・

悲しさを胸に秘めて 笑って前に歩き始めた

国の政策が定まらない ごたごたが続く

未曽有の災害に 対策がスムーズにいかない

被災者は我慢してるのに・・・・

はやく手を打ってやったらいいのに・・・

なかなか進まない

そうしているうちに1年が経った

被災者は、自分で頑張るしかないと決意した

瓦礫も放射能も みんな受け入れる

なぜなら これから生きていかないといけないから・・・・・・。


 
個人の力ではどうすることもできません

こういう時こそ、国が対策を 早く打ってあげなければなりません

日本人ならば、いま復興に全力を挙げられるように応援すべきと思います。


鳥取市も、ごたごたが続いていますが、それがほんとに市民の将来や安心の上に立っていることなのか、

思うと憤慨の気持ちでいっぱいになります。

心なき政治家は、存在する資格がないと思います。



震災で残した数々の教訓を 将来に生かして 二度とこのような人災による惨事が起きないことをお祈りします。

 











3月になりました

2012-03-01 07:56:49 | Weblog
3月。春を実感する月・・。

しかし、今年は違います。 3月11日。午後2時46分。 あれから1年が経ちました。

この一年は、ほんとに長かったように思います。

今でも、津波に押し流されていく家々や車の場面が目に浮かんで来ます。

この間、故郷を悲しい思いで離れなければならなかった多くの人たちがいます。

鳥取市にも、8世帯22人の福島県から移住した方々がいます。

鳥取市と郡山市は姉妹都市締結をしています。

その関係上、郡山市に鳥取市も多くの人材物資両面で支援をしました。 これによって、両市の絆は強く結ばれるようになりました。

鳥取市立小学校と郡山市立小学校の間にも、強い絆が結ばれました。

この数年間、互いの小学校同士が夏休みを利用して交流をしてきました。 昨年は、具体的な互いの交流ができませんでしたが、鳥取の小学校全校が、「命のメッセージ」として児童ひとりひとりの励ましの言葉を書いてパネルにして贈りました。

ほんとに良いことをしたなあと思いました。やはり、その心は郡山の小学校の皆さんにきちんと届いたようで、大変元気をいただいたと感謝の
言葉をいただいたようでした。

その後、郡山の小学校から感謝のメッセージが、きちんとパネルに収められて贈られてきたのが、美保南小学校校長室に飾ってあります。






最近、小学校の音楽の教科書にのっている、坂本竜一 作詞作曲の「ビリーブ」が歌えるようになりました。いい歌ですね。

 ♪ もしも だれかが 傷ついて 倒れそうになったときは かならずぼくが 君のそばで 支えてあげるよその肩を・・ 世界中の希望のせて この地球は 回ってる ・・・・・・

 ほんとに涙が出てしまいます。

この地球も、ほんとにこのようになるといいですね・・。

 ちなみに、鳥取男声合唱団のなかのエルダーブラザーズ(22人)は、2月20日に 美保南小学校で演奏会をしてきました。




  演奏風景です

震災後、美保南小学校では一貫して震災で苦しむ人たちのことを思ってきました。 

このビリーブは、心にしみる歌として永遠に魂に刻み込まれることでしょう。