手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

狂ったロボット

2011-06-30 00:32:28 | Weblog
小沢一郎の金権問題でつまづいてスタートした民主党は、この震災で国家運営の能力がまったくないことが証明された。

自民党政権と同じく、権力闘争ばかりで、緊急を要する震災の復旧復興が進んでいない。会期延長しても、国会は空転している。

菅首相の権力欲によって、国益がどれほど失われているか計り知れない。

まさに 国家の悲劇。


制御が利かなくなったロボットが、あちこちを破壊し回っている。

どこまで壊せばこのロボットは止まるんだ!!

だれもコントロールできない状態だ。

目はうつろ、ろれつが回らない、意味不明な答弁を繰り返すロボット。

今度は、野党にまで食い込み破壊が始まった。

身内も 野党も この狂ったロボットをとめることが出来ない。

自らを 東工大出のエンジニアと思っているようだ。

凶暴なロボットが、放射能を浴びてますます凶暴化している。

張子のロボット、菅直人。

ピエロは、人の心を読むことが出来る。

人と一緒に涙を流し、笑ったりするのが好きだ。

この凶暴な張子のロボットは、笑うことも泣くことも出来ない。

張子のロボットは、人の心を感じ取る部品が欠けているのだ。

放射能で大きくなり、益々凶暴化した張子のロボットに立ち向かうウルトラマンが出てきて欲しい。












第54回日本伝統工芸中国支部展開催

2011-06-29 06:13:32 | Weblog
毎年楽しみにしている日本伝統工芸中国支部展が、鳥取県立博物館で開催されている。

今年の鳥取県知事賞には、橋詰峯子氏の「有線七宝蓋物 花野」が受賞した。

実に繊細で、みごとな作品である。

中国地方五県の伝統工芸のレベルは、やはり高い。

これはすばらしいことであり、見ているほうも刺激を受けた。

ただ、鳥取県からの出展数が少ないのが残念だった。

文化の成熟は、こうした伝統工芸品をいかに継承、発展させていくかにある。

岡山県からの出展が多かったのが印象的だった。


経済が豊になっても、心が豊になる訳ではない。

美を感じる心、そしてそれを造り出していく心が、豊さを生み出していくと思う。


地方が輝く時代といわれているが、鳥取県はもっともっと心の豊かさを追求する努力が必要な気がした。

義援金感謝の礼状が届く

2011-06-25 11:13:52 | Weblog
福島県郡山市より、義援金に対する感謝の礼状が届きましたのでご報告申し上げます。

総額 148693円

内容抜粋

この度は、東日本大震災に際し、義援金をご寄付いただきましたことに対しまして、心からお礼と感謝を申し上げます。

郡山市震災義援金として、被災者支援の為に有効に活用させていただきます。

郡山市は、水道は100%回復。道路 下水道などのインフラに付きましても、おおむね回復しました。

今後、被災された方々への支援や、原子力発電所の事故に伴う放射線対策、早期の市民生活の安定、地域経済の復興に向けて、国 県と連携して全力で取り組んで参ります。


                  以上

 現在も 義援金を延長して行なっていますので、ご協力お願い申し上げます。



            鳥取 郡山友の会 事務局 より

地場産業の育成と保護

2011-06-24 05:14:39 | Weblog
私が約20年取り組んできたことは、鳥取県における漆器の地場産業基盤の模索であった。

鳥取は、漆に対する認識度合いが低い地域である。

全国を見ると、城下町であったところには必ずと言って良いほど、漆の産業が根付いている。

近隣では、岡山、島根(八雲塗り)、山口(大内塗り)香川(後藤塗り)などが有名。

私は、鳥取で現在漆器の販売と漆塗りの指導をしている。これも、鳥取で習ったものではない。

会津塗り、輪島塗、越前塗り、木曾塗り、津軽塗り、川連(かわつら)塗りと全国の塗りそして現在は京都に通って研究している。

この意欲はどこから生まれてくるのかと自分でも不思議でならない。

父親が、会津塗りの塗師であった。小さい頃からその塗りの姿を見て育った。それが、原点であることには違いない。歴史と文化の町会津若松に生まれ育ち、熱い郷土愛の中で
育ったのがいまでもその原点である。

ではなぜ鳥取でこの仕事をしようと頑張っているのか? これも運命であろう。

漆器に関しては、県も市も関心がなさそうだ。関心を持っている人がいない。

非常に残念だ!!


木地 → 塗り → 蒔絵という流れで、ひとつの漆器の商品が出来上がる。

もちろん漆器の産地には、木地師、塗師、蒔絵師という職人が暮らしている。

これを取り扱う問屋、或いは商店が軒を連ねている。

鳥取を見ると、ひとつの企業が全部してしまう。もちろん、木地の分野しか出来ないが・・。

漆塗りの職人がいないので、高度な商品は出来ない。

特色のないどこにでもあるような工芸品しか作れないと言う結論に達する。


今私は、漆塗りの技術を15人の人たちに教えている。1年足らずで、上達している。

木工に漆を塗って、製品のグレードを上げることは出来うることである。

しかし、いままで、この連携がなかった。 

昨日、鳥取県産業機構のMさんが来られて、この話に花が咲いた。

岐阜県から来たと言うMさんは、この漆器の地場産業の育成に前向きに聞き入ってくれた。

これからだろうか!!

この情熱が無から有を生じさせ、そこに新しい文化が生まれていくことを確信している。
















住民投票で正しい判断を!!

2011-06-23 08:09:42 | Weblog
やはり、矛盾だらけで無計画で無責任な新市庁舎移転建設は、住民から大きな反対がある。 住民投票の署名は、6万票に届く勢いである。

竹内市長と市議会の無計画、無責任な議会運営や議会決議は、多くの市民が署名運動する中で不満をぶちまけている。

とにかく、市民の良識ある判断を仰ぐことになるだろう。

その結果は、どうなるのか。

竹内市長と、これに賛成して議会を運営してきた市議会議員全てが引責を問われることになるかもしれない。

失った信用はもう取り戻すことが出来ないからだ。

それでも自分の名誉の為に、新築移転を唱えるならば、まず市長から個人の財産他連帯保証人に印鑑を押すべき。そして、市議会の議長他賛成派の議員も連帯保証人の印を押すべきだ。貴重な市民の財産を動かそうとするのだから・・。

当然万が一鳥取市が財政破綻に陥った時の為に、責任の所在を明確にしておくべきである。

市民の反対を押しきって新庁舎を建てたところで、運勢は良いはずがない。
周りにできる新商店街も、人で賑わうとは考えられない。

未だにわからないのが、駅前に7億もかけて大きなアーケードを建設する計画だ。

なんでそんなのが必要なのか? 多くの人が憤慨している。

いたるところに、市民不在の多額の公金を使った箱物行政が鳥取を食いつぶしている様に
感じる。

時代の流れから逆行している山陰鳥取。

ジオパークも砂像も、こうした箱物行政の陰に隠れて色があせてしまった。


人の金、国の金と思っているから、こうした無計画な無責任な行動が出来ると思う。

一般企業なら、倒産してしまう。

政治の腐敗 堕落は、目を覆いたく毎日である。

国民を市民を安心して導いてくれる人が現れないものだろうか?













鳥取大学で講演

2011-06-21 05:18:25 | Weblog
昨日、鳥取大学地域学部仲野教室の生徒の皆さんに、震災福島について講演をした。

高校生とはまた違った反応だったので興味深かった。



この度の地震にどれだけ自らの問題として捉え、行動したいと思っているか?という点では、集まってくれた生徒の皆さんは真剣に考えていたようだ。

震災ボランティアをしたい、東北になにが出来るか!!

募金活動をしたが、募金が集まらなかった!!悔しく思った!!

出来ることなら、これからの関わり方を考えたい!!

福島県川俣町で、震災前から農家と交流している。来月にまた行く。人事ではない。
何かしたい。

こうした思いを持った生徒の方々に、うまく伝わったかどうかはわからないが、
ただ他人事のようにこの地震を捕らえて欲しくないことだけは話した。



そして、大学同士の連携も必要と提案した。鳥取大学と福島大学の連携、東北大学、岩手大学、山形大学と国立大学同士の連携をしていけば、必ず良いものが生み出されて来る
と提案した。

今は自分に出来ることをするしかない。考えるよりまず行動が大事だ。




3ヶ月が過ぎ、ややもするとあの災害が、人の心から忘れ去られてしまうのが怖い。

東日本を襲った大地震や津波、そして原発事故による被害、今も12万人以上の
避難者が苦しんでいる。


しかし、鳥取では、別世界の出来事のような雰囲気がある。

こうして、高校生、大学生の前で震災福島の話が出来たことはありがたいことだった。

自分に出来ることを、悩み続けていた自分にとって、これもやれることのひとつだと思うと、なにか救われる思いがした。


鳥取市内では、毎日毎日市庁舎移転反対の声が、街中に響き渡っている。


もし、同じような規模の地震や津波が中国地方で起こったら、身の安全を国は県は市は守ることが出来るのだろうか。

意識だけでも、被災地の人たちの苦しみ悲しみを共有できるものでありたい。

「備えあれば 憂いなし・・。」


船長無き日本丸。 

むしろ、船長が居ないほうが、まだ船は安全かもしれない。

そんな危険な状態にある日本丸。


まだまだ、他人事で済ましている気がしてやまない。





高校生に講演

2011-06-20 09:09:32 | Weblog
この度の震災について、現場に行った方の話が聞きたいと、鳥取敬愛高校から依頼があったので、はじめての講演をしてきた。

撮影してきた写真を、スライドショーで映しながら話をした。

生徒の皆さんは、真剣なまなざしで一生懸命メモを取って聞いてくれた。

何を伝えて良いのか? ただ 見た聞いたという話は、本当の事を伝えるものではないと思った。

何を思い、何を感じたか?そしてそれをどう捕らえ、今後どのように自分自身が受け止めて生きていったら良いのか?というところまで、問題を提示しないといけないと思った。

押し付けになったらいけないので、事実を紹介し、それに対してどう感じたか、どのように考えているのか?という遊びの部分を残して話をした。


生徒の皆さんは、しっかりとした捕らえ方、考え方をしているんだと改めて感心した。


被災地の復興を考え、実行しなければならない政治家の醜い争いを痛烈に批判した生徒もいた。

公演が終わって、生徒達で話し合ったようだ。そして、「今僕達はこれで良いんだろうか!」と涙を流し訴えていたという。

鳥取敬愛高校の生徒のみなさんは、夏休みを利用して福島県郡山市に行き、街頭でこの震災についてアンケート調査をする予定だそうだ。震災の歴史を貴重な記録として残しておきたいという。

ややもすると、時間が経てば経つほどよそ事になってしまい、現実の世界にあの大震災が
消えてしまう恐れがある。

多くの課題を残したこの大震災に、国民ひとりひとりが自分のこととして考え、自分の出来る範囲で行動することが問われているような気がする。

本日は、鳥取大学で講演する予定である。







和合亮一さんの詩

2011-06-17 10:35:18 | Weblog
福島生まれの福島育ち。現在、県立高校の国語の先生として教鞭をとっている。

震災のあったその後から、ツイッターで詩を書き始めた。震災の現実とその思いを詩にして、発信し続けた。

その詩が、余りにも衝撃的であり美しすぎることもあり、今世界中に反響を及ぼしている。

詩がこれほどまでに、人の心を動かし感動させるものか、私も衝撃を受けている。

次から次に出てくる言葉の文字に、書くことが間に合わなくなったという。

その詩の幾つかを紹介します。


行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。 2011年3月16日 21:30:21webから≫



私が避暑地として気に入って、時折過ごしていた南三陸海岸に、一昨日、1000人の遺体が流れ着きました。 2011年3月16日 22:34:36 webから


このことに意味を求めるとするならば、それは事実を正視しようとする、その一時の静けさに宿るものであり、それは意味ではなくむしろ無意味そのものの闇に近いのかもしれない。 2011年3月16日 22:43:25 webから


美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった 2011年3月20日 12:00:28 webから≫

頬 眠る子のほっぺたをこっそりとなぞってみた 2011年3月20日 12:00:02 webから≫


無数の父はそれでも暗喩を生き抜くしかないのか 厳しい頬で歩き出して 2011年3月20日 12:01:05 webから≫


今何が出来るのか・。この震災を通して、自分自身がどう生きるか、それをどう捕らえていったら良いか、悟らなければならないような気がする・。








アフガニスタンを救った一人の日本人

2011-06-14 05:10:05 | Weblog
昨日、Hさんが募金の箱を持ってきてくれた。
「わずかでしたが、被災地の届けてください・」と。

先日、とっとり文化会館で、アフガニスタンとパキスタンに挟まれた小さな北西辺境州のペシャワールという地域で、一人の医師中村哲先生が中心となって、不毛の地を豊な緑の地に変えたという感動的な事業の「人水命」の写真展があった。

正直言って、初めて知ったような程度だった。

Hさんご夫妻(元大学の先生)から紹介を受けて行って見た。

「写真展があって、そこに義援金箱を置きたいのですが、義援金を送る先を鳥取郡山友の会さんにして良いでしょうか?」とHさんから依頼の話があった。

「もちろんです。ありがとうございます」と喜んで承諾した。

アフガニスタンはどこだっけ?というところから始まって、中村哲先生とは、どういう方なんだろう?と・・写真と説明を見ながら進んでいった。

中村哲先生は、もともと1984年にハンセン病を治療する為にこの地に赴任された。

医療機器も設備も不足する中、10年間にわたり治療活動に従事された。

しかし、やれどもやれどもハンセン病の患者が減らない。なぜか?原因追求をしてみると、飲み水が汚い、栄養が足りないことがわかったようだ。

この原因を解決しないとハンセン病は、この地域から消えることはないという結論がでた。

そこで不毛の地に水源確保する事業が始まった。2000年のことだ。

それから、井戸を1600本、灌漑用井戸13本を掘削、地下水を38箇所修復。

誰も住むことが出来なかったこの地に緑が生まれ、用水路工事により20万人の人がその恩恵を受け、廃村になった村が次々と蘇った。

今や、去って行った60万人の民が戻ってきて、農作業をしながら生活できるまでになったという。もちろん、病気も減ってきたいう。

この事業の特筆すべきところは、地元の人たちが技術を覚え、労働力となって造り上げていったということだ。 大きな企業が入って工事をしたわけではない。

壊れても地元の人の手で修理できるように、その地にあった技術で出来上がったいることだ。だから、愛着も一塩強いものがあるようだ。

この技術は、日本の昔からの治水における技術を用いたという。


この度の、東日本大震災の被害を聞いてアフガニスタンの民は、嘆き悲しんでいるという。

アフガンを救ってくれた日本のに対しては、並々ならぬ思いを抱いているという。


中村哲先生の熱い思いが、一国を救うまでになったことを、改めて日本人として誇りに思うことが出来た。

この力を持つ日本は、必ずできると確信している。

被災地の復興が、地元の人たちが中心となって、今までよりももっとより良い地域として生まれ変わっていくことを・・。









義援金を届けました

2011-06-11 09:24:51 | Weblog
6月6日 郡山市に、東日本大震災の義援金を届けてきました。

義援金をしてくださった方々に厚く御礼を申し上げます。



原正夫郡山市長は、鳥取からわざわざ来られたことに、とても感謝されていました。

災害復興のお役に立てれば幸いです。


一日も早い復興と平和な日が訪れますことをお祈り申し上げます。



尚、復興は相当の時間を要すると思います。義援金活動も今後継続して行きたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。


      鳥取 郡山友の会  事務局より

         TEL0857-23-3917