江津駅前「江津市情報センター」で貰ったガイドマップで「天領江津本町甍街道」を散策しました。
駅前から少し歩き、新江川橋を横目で見ながら江津本町へ入りました。
仲間の知り合いの「Yさん」の案内で歩きます。
町中で見かけた道端の「花」です。
(後で、ランタナ」と分かりました)
「
江津市」のマンホールの蓋です。
「空き家」かと?
(案内のYさんが!”電気のメーターが動いてるよ”)
「江津本町」は古くから江の川の舟運と日本海の海運の要所として栄え、寛文年間に上方
航路が開かれと北前船の帰港地や天領米の積出港として川岸には4,50隻の帆船が林立
し混雑しました。
多くの回船問屋の蔵屋敷が並び、山陰道が貫き、東は大森銀山、西は浜田へと向かっており、当時は大森銀山に次ぐ、石州赤瓦の光輝く天領の町でした。
「
花田医院」→ 国の登録有形文化財
黄色の屋根瓦の建物が花田医院。
(昭和9年、軍服がカーキ色(国防色)定められた影響か?)
この辺りは、軒を低くした建物が目立つ。
歴史と地域の重要性を物語る「天領」と赤瓦の輝く町、全国的な知名度の生産量を誇る
石州瓦の主産地、「夢と瓦」の「
天領江津本町甍街道」として町づくりに保全され創造されています。
「
観音寺」→ 臨済宗
足利直冬の建立と伝えられる。
(何故か階段に白衣に包んだ遺骨が有った)
「海抜4m」
「
山辺神社 」
創建は、利徳天皇の白薙3年(652)で、当時は島の星山の中腹にあったと伝えられる
社殿は昭和47年の豪雨災害に遭い、同50年に整備されました。
町のあちこちに、「カメ」=「はんどう」が見かけられます。
「
島根県」のマンホールの蓋です。
「旧山陰道」らしき道を歩きます。
「
土床坂」→つっとこさか
旧街道(山陰道9の面影を残しているこの場所は土床坂と呼ばれています。
丸みがある自然石を幅2メートルぐらいに敷き詰めてあります。
(今日は草が覆い尽くしていました)
峠には石造りの標柱があり「従是西浜田領」と刻まれています。
本町が江戸時代に天領であったことを示しています。
(時間の関係で峠までは行きませんでした)
途中の草花「セイタカアワダチソウ」
民家の「キンモクセイ」。
「長州藩士の墓」「陣屋」と巡りたかったのですが、少し山に入ったかと思ったら
そこは「江津本町駅」でした。
約、2時間弱の「江津本町甍街道」の散策でした。
案内の「Yさん」が居てくれてよかったです。
「
江津本町駅」
昭和33年に無人駅として開業されました、
江津本町駅
16:33 → 帰路のため駅、出発です、
浜原駅
18:28 到着。
浜原駅で30分の待ち時間がありました。
辺りは真っ暗です。
1軒の明かりの点いた「商店」らしき家の住人が戸を開けてくださいました。
夜のお弁当を調達する積りが「お店は止めたんよ」と言ってコンビニも何もない田舎の事で
可愛そうに思われて、「パンが2個あるから上げよう」
と言って下さり、申し訳なかったのですが頂きました。
後で、皆さんと分け合って食べましたが、「仏さま」の様に見えた「91才」の
可愛らしい「おばあちゃん」でした。
浜原 三次
19:01 → 20:40 広島
20:43 → 22:21
帰路は 三次駅で乗換時間3分しかなくて、芸備線「広島行き」に飛び乗ったのです
広島駅まで2時間弱、おしゃべりと、睡眠とで今日の「三江線」の旅も終わったのです。
三江線も利用者が激減し廃線の憂目となりますが、立ち寄った川本の町、江津の町。
静かな田舎の町でしたが、優しさと人情の町、山陰の風情にかいま、触れた気分です。
お世話になった世話役のKさん、Kさんの知り合いのYさん、同行の仲間の皆さん、
ありがとうございました。
「鉄道記念日切符」の代わりの「秋の乗り放題パス」も無事終わりです。
- END -