かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

伊都国(いづこく)+投馬国(つまこく)=伊投媽(いづも)

2012-05-23 23:07:49 | 邪馬壹国

2012年5月23日(水)

朝から倉庫の片づけをし、在庫を調べると底をつきそうな気配なので、ピンクのテラファイトを久々に組み終わってホッとすると、夕方の6時ぐらいになっていました。疲れと安心感からか、意識を失ったように椅子に座ったままの昏睡状態から目が覚めた時には、8時を回っていました。

 

目が覚めるなり・・

「出雲のイヅモは 伊投媽 と書きます。伊都国投馬国を合わせた国が出雲(伊投媽)の国ですと・・」 ??  んん ??

魏志倭人伝

6.伊都国 戻る
東南に陸行すること五百里で、伊都国(筑前の国怡土郡)にいたる。 官を爾支(にき)といい、副(官)を泄謨觚(しまこ)・柄渠觚(ひここ)という。千余戸がある。 世々王がある。みな女王国に属している。(そこは帯方)郡使が往来す るときつねにとどまるところである。
7.奴国 戻る
東南(行)して、奴国(筑前の国、那の津、博多付近)にいたる。 百里である。官を兇馬觚(しまこ)という。副(官)を卑奴母離(夷守)という。 二万余戸がある。
8.不弥国 戻る
東行して不弥国(筑前の国、糟屋郡の宇瀰、いまの宇美町付近) にいたる。百里である。官を多模(玉または魂)といい、副官を卑奴母離(夷守)という。千余戸がある。
9.投馬国 戻る
南(行)して投馬国にいたる。水行二十日である。官を弥弥(耳)という。副(官)を弥弥那利(耳成・耳垂か)という。五万余戸ばかりである。
10.邪馬台国 戻る
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。女王の都とするところである。水行十日、陸行一月である。官に伊支馬(いきま)がある。次(官)を弥馬升(みまと)という。(その)つぎを弥馬獲支(みまわき)といい、(その)つぎを奴佳(なかて)という。七万戸ばかりである。
35.一大率 戻る
女王国より以北には、とくに一大率(ひとりの身分の高い統率者)をおいて、諸国を検察させている。諸国はこれを畏れ憚っている。
(一大率は)つねに伊都国に(おいて)治めている。国中において、(その権勢は、中国の)刺史(郡国の政績、状況を報告する官吏。州の長官をさすばあいもある)のごとき(もの)である。
(倭)王の使が京都(魏の都、洛陽)・帯方郡・諸韓国におもむき帰還したとき、(帯方)郡の使が倭国に(いたり)およんだときは、みな津(船つき場)に臨んで 伝送の文書とくだされ物とを照合点検し、女王(のもと)にいたらせるときに、差錯(不足やくいちがい)がないようにする。

Img3101111120001

 

 

 

 

 伊王島 島 大王崎 を底辺とした二等辺三角形の頂点に出雲大社があります。

出雲を投媽と書いて・・ みると・・。 そして 伊勢神宮のにも共通した意味があるようです。

  なるって、誰のことでしょうか。

 ・・・

 夢と言いますか、お告げといいますか、 忘れないうちにとここに書いてみました。

投馬国が吉備王朝のように言ってますね・・、私には最初から総社宮が物部王国(吉備王朝)の総本宮だと教えていますが、出雲の国譲りと邪馬台国の謎をキッチリ教えてくれているようです。

伊王(伊投媽の神)が築きあげた瀬戸内海の制海権を三角形の図は表しているようです。

 

 

 

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