2023年11月28日(火)
ツアーに参加された皆様に、資料が送付されます。
もう一度、思い返してください。
「そうだったのかぁ~!」と思われることがきっとあると思います。
貴重な資料を矢野さんが作ってくれました。
今日、発送です。
鳥居の先に見える大船山に向かって左22度の先4.24mの場所に綏靖天皇の嫡男の墓が造営されています。
そしてここから、コヤネ爺さんの謎が解けました! 解けたのですよ大西さん!!
2023年11月28日(火)
ツアーに参加された皆様に、資料が送付されます。
もう一度、思い返してください。
「そうだったのかぁ~!」と思われることがきっとあると思います。
貴重な資料を矢野さんが作ってくれました。
今日、発送です。
鳥居の先に見える大船山に向かって左22度の先4.24mの場所に綏靖天皇の嫡男の墓が造営されています。
そしてここから、コヤネ爺さんの謎が解けました! 解けたのですよ大西さん!!
2020年1月27日(月)
ウサギと天児屋命と仁徳天皇陵と、卑弥呼の墓の位置関係には何か大いに天の岩戸隠れの真相が秘められているようです。
これには倭国大乱の後に、卑弥呼が共立され再スタートを切った邪馬壹国の事情が聞こえてきそうです。
天児屋命の墓と仁徳天皇陵とうさぎは基本形に近い直角三角形を描きます。
綺麗な幻の山、千鶴山の山頂には、薬師さまが祀られていますが、コヤネ爺さんの墓を見つめていました。
そこからコヤネ爺さんの墓までと卑弥呼の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
2017年1月19日(木)
4冊目の原稿を書き終えて、又、何度も読み返し、今、校正中であります。
このブログをいつも見ていただいている皆様に、一部を読んでいただきたいと思います。
そしてこの話は、前回のツアーに参加された方々には、思い出のシーンが蘇ることでしょう。
私は二日目の昼食をとってバスに乗り込んでからマイクを握って言いました。
「カッパ伝承や大蛇伝説など怖い話は、実はそこが重要な場所であることを教えているんですよ~~」「近寄ってはダメですよ~~~」 ってね。覚えている方も居られると思います。
それで私は、翌々日に市川さんに電話して、伝承にある「駒が岩」を見に行ったのでした。
今回2月3日節分という意味ある大事な日に、「姫の路 シュメールの故郷へ」とまたまた第10回 聖地巡礼ツアー を行いますが、ツアーで聖地を皆で回るごとに謎が解けていってる気がします。
皆さんと一緒に謎を解いていま~~す。
ノアの箱バスの残りのシートは後3名です。 オリオン座のベルトになる3つの輝く星となる神様は・・誰?!
・・では、4冊めの本の中へと一足先に「しゅっぱ~~~つ!」
1章シュメールの故郷は兵庫県神崎郡を流れる市川流域だった!
2016年11月17日~18日に、恒例となった「イエスと卑弥呼の墓参り」を目的としたツアーを無事に終えて、ホッと一息入れる間もなく、ツアー中に気になった地点をパソコンで検索してみたら、やっぱり重要なことを教えられたのである。
その地点というのは、神崎郡福崎町が町おこしの為に力を注いでいる「柳田國男記念館」のすぐそばだ。
その場所には「駒が岩」と言う岩がある。そこには「河童伝承」があることから、よほど大事な場所であることを伝えている、と私には思えたので、早速、神崎郡在住の古代史研究家の市川慎さんに連絡をして、再調査をすることにした。
「河童伝承」にしろ「大蛇伝説」にしろ、怖い話が残っている所は特別に重要な場所なのである。
・・
カメラとコンパスグラスをリュックに押し込んで、私は、お気に入りのJR播但線のわずか2両編成の赤色の普通電車にゴトゴト揺られながら、椿さんと一緒に福崎駅まで向かった。
車窓に映る景色が、あとわずかの所で「七福神様たち」の眠っておられる緑濃い山々に変わろうとする手前の駅が福崎である。
福崎駅で降りると、にこにこした市川さんの優しい笑顔が待っていてくれる。
私たちは、慣れた調子で市川さんの車に乗り込んで、詳しい説明も特に必要としない阿吽の呼吸で目的地まで連れて行ってもらう。
まず初めに、取り敢えず、3人は「柳田國男」が何かを書き遺してくれていないか、を確認するために、その記念館を訪れてみた。
熊本の田舎生まれで、長年、建築の仕事に携わってきた私としては、古い時代の建築物をゆっくり見て回るのも気が落ち着くものであるが、そこでゆっくりと町の歴史書も読んでみたいものだと興味をそそられる本もあったりした。
そこで本を読みながら柳田國男の世界に浸りたいとも思ったが、目的は違うところにあったので、本だけを買い求めて、次を急いだ。
いよいよ目的の「駒が岩」である。
ここに「河童」が出没していたということだが、なるほど相当意味深い岩であることが、コンパスグラスを覗いてみて、ハッキリわかる。
春日権現とも春日大明神とも呼ばれる「天児屋根命」の陵墓がコンパスグラスで真南にあり、「恵比寿様」の陵墓が真北にある。
これが教えることは、「天児屋根命」、私は「コヤネ爺」と呼んでいるが、この人のルーツは「恵比寿様」つまりイエスの従兄弟の「タダイ」であるよ、ということである。
さらに、また、東に位置する「白山」という山と、磁北にあたる「恵比寿様」の陵墓である「高星山」とで、きれいな正三角形が描ける。
白山信仰は北辰信仰なので、これらが何を伝えたいのか、読み解くことができる。
そして、もうひとつ、大事なことも教えてくれている。
それは、「駒が岩」の長い背のラインが250°方向を向いていて、それを真直ぐ伸ばしていくと、岡山県備前市にある「イエス・キリストの最期の地」に行き着くのである。
私がコンパスグラスを覗いて感慨にふけっていた時、すぐそばで椿さんは、2つの低い山(神前山と日光寺山)の間から「市川」という川、七福神様たちの安らいでおられる「埴岡の里」(現在の神河町と生野市)の真ん中を流れる川の上流を眺めて、かつての厳かで美しかった聖地を想像するのであった。
市川さんが何の気なしに口にされた「この『市川』には7つの川が流れ込んでいる」という一言が心に強く響いたようだ。
椿さんも私と同様、あの世とこの世、過去と現在と未来が、何の違和感もなく、一つになっていると感じるらしい。
今、自分が立っているこの同じ場所に、何層にもなって過去が重なっており、さらに未来も繋がっているのである。
太古の時代から、この「埴岡の里」は「聖地」として選ばれていたに違いない。
聖地はその2つの山の間を軸にして北方向にまるで蝶が羽を開いたように扇形、あるいは見方によってはハート型に拡がっており、周囲を七福神様達の山々に囲まれていて、平面的に見れば、「市川」と7本の川とで巨大な「生命の樹(メノラー)」が形造られている。
・・・
みんなで謎解き物語の中にいてますよ~~~!
4冊目の本は、もうビックリ! です。 お楽しみに・・!!
市川と駒ヶ岩
2016年11月22日(火)
春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ばれる天児屋根の陵墓からコンパスグラスで真北のラインに、柳田國男も子供の頃遊んだという駒ヶ岩が位置しています。
そのラインの先に、高星山があります。
私はこの高星山(1016m)が七福神のお一方の恵比寿神の本当の陵墓だと教えられています。
恵比寿神は、イエスの従兄弟であり十二使徒の一人のタダイです。
タダイはマリア様の妹の子です。
姫路市豊富町神谷にある畑山(311m)の後ろにひっそりと隠れるようにコヤネ爺さんの陵墓はありますが、磁北にある恵比寿神と、東に白山(510m)という山を結ぶと、一辺が29㎞の綺麗な正三角形を描きます。
白山信仰は、北辰信仰です。
このことから、天児屋根爺さんが崇めるご先祖様は恵比寿神であるタダイだと教えています。
又、偶然でしょうか・・。 不思議ですねぇ。
コヤネ爺さんの磁北ライン上にあった河童伝承の駒ヶ岩が向いている方向は、コンパスグラスで250度方向に長くなっていましたが、これは大事な方位石です。
この方角にはイエス・キリストの最期の地である備前のその地を岩は教えています。
これは偶然ではないでしょう。 全て神様の計画でしょう。
ツアーの時、私に河童の河太郎、河次郎の説明板の内容を読んでくれたのは、いつも笑顔が素敵な藤田さんだったかな~・・、Mさんだったかな~~~。
やはり私の周りにはいつもメッセンジャーの人達が居られますねぇ。
私はバスの中で、「河童伝承や大蛇がでる怖い話などが残っているところは、非常に重要な場所であることを教えています」と話しましたが、見事そうでした。
ツアーの翌々日には、その駒ヶ岩の上に立って、そこから360度に広がる特徴ある山々を眺めていました。
邪馬壹国(邪馬台国)の謎が一つ一つ確実に浮かび上がってきます。
明日朝、7時7分7秒にブログをセットしました。なにやら・・不穏な動きが・・・!!
2016年6月15日(水)
先日、千鶴山に登りましたが、樹木があり360度のパノラマを見通すことはできませんでした。
360度見渡せるように樹木の伐採を地元関係者の方々にお願いできればと思います。
千鶴山山頂は、薬師峰または七種薬師とよばれ、薬師さまが祀られています。
その薬師さまが向いている方角は、キッチリとコヤネ爺さんの陵墓を見つめていました。
なんと、その薬師峰からコヤネ爺さんの陵墓までの距離と、女王卑弥呼の陵墓までの長さは水平距離で13.4㎞と、ピタリと同距離でした。 ・・偶然でしょうか。
又、コヤネ爺さんの陵墓から真北の位置に女王卑弥呼の陵墓が位置しているのも偶然ではないでしょう。
コヤネ爺さんの陵墓から磁北のラインに、神河町の寺前駅から北西に見える城山がピタリと位置しています。 ・・これは大きな意味がありそうです。
神河町の城山にも私は登りましたが、樹木が生い茂って何も見えませんでした。
神河町の方々には、京丹後にある磯砂山のように、この城山山頂の樹木を360度見渡せるように手を入れてほしいと願います。
城山からは、西のメノラーが真正面に見えますし、女王卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの墓も祈りの山である大嶽山や、コヤネ爺の陵墓を隠すように、でも・・目印の山である畑山も綺麗に見えるはずです。
早急に、これらの祈りの山を360度見渡せるように、又、登山道も落石で事故をしないように整備していただければ、我が国の礎を築かれた大王や女王様やその方々を支えられたご先祖様達に手を合わせられ、そして共に世界の平和のためにお祈りされる人達の流れができることでしょう。
姫路から播但線に乗って寺前駅で降りられ、そこから城山に登る人達が増えれば増えるほど、世界の平和を引き寄せることができます。
世界中から生野、神河町へと多くの人達がやって来られます。 それは・・、イエス・キリストの遺体が入れられた陵墓や祈りの地下神殿などが用意されている世界の聖地だからです。
もう何人も隠し通すことはできません。
今、行政もマスコミもダンマリを決め込むほどに巨大で強力な力がはたらいているようです。
人は本来の自分の姿を取り戻さなければなりません。
自分の中に・・、そして自分を育むように外にも神様が居られることを常に意識しなければなりません。
お金のために神様を遠ざけ、自分の清らかな魂を売ってまでもただ生きるのであれば、それはもう死んでいるに等しいでしょう。
いえいえ、悪魔の手先として動き回る畜生に他ならないのではないでしょうか。
人は人として生きてはじめて輪廻も約束されます。
空海さまはそう申されているようです。
七種槍がとてもきれいでした。
遠くに卑弥呼の陵墓も見えました。
薬師様はキッチリと畑山裏にあるコヤネ爺の陵墓を見つめ見守っていました。
「お前、私をナメトンノカ! 命とったろか!!」と、神様が申されたので、私は、「どうぞとって下さい!」と冷静に言いました。
・・このことは、第一冊目の本にも書きましたが、この話は本当の話です。(P59~60に書きました)
命は神様に預けています。 神様・・ご自由に!と。
今までの人生で、3度ほど死んだような経験をしていますので、拾った命だと思っている私です。
私達のこの肉体は、神様、ご先祖様たちの乗り物だと私はいつも思っています。
「自分とは何ですか」と言われたら、タクシーの運転手さんのようなものだと私は答えます。
乗られた方のご希望の地に私は安全にお連れするだけの役割と思っています。
その為にこの世に遣わされたと思っています。
朝、自我が目覚めだすそのちょっと前に、神様は言葉をかけられます。
その通りに動き、しゃべり、神様の手足となって動かなければなりません。
そのように動かなければ・・、「あなたは必要ありません!」と、「手のまがい、足のまがい・・時には、ポアされるんです。」
・・このことも三冊目の本に書きました。
奥様は、「まあ~~!」と外へ飛び出すように出て行かれました。(P153~154に書きました)
亀さんの歩みは本当にノロノロですが、目的方向に着実に向かっていま~~す!
2015年8月3日(月)
国土地理院のウォッチ図の位置情報のサービスが停止するとの情報が届いています。
いろいろなことが考えられますので、多くの皆さんの手元に、等高線地図の情報と共に、
位置情報を残しておいてください。
そしてできるだけこの情報を多くの方々にも残しておいてほしいと願います。
国土地理院の現在の等高線地図は、その地形を正確に表しています。
私は国土地理院のウォッチ図から、モーセやイエス・キリスト 女王卑弥呼などの墓の発見をしました。
いつこれらのサービスが停止し、今までの地形が変わるやもしれません。
心ある人達への私からの切なるお願いです。
現在の地形と、位置情報の記録をお願いいたします。
これらの前方後円墳が日本の歴史、世界の隠され続けてきた本当の歴史を教えてくれます。
一部の人間の都合で、好き勝手に隠ぺいされては、この我が国の礎を築いてくれた方々に申し訳ありません。
SOS です! 世界市民の目で監視が必要です。
モーセの墓
住所:京都府京丹後市丹後町宮(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度43分46.59秒 135度7分3.43秒
35.729609,135.117620 ズーム:17
UTMポイント:53SNV10645397
標高:215.5m(5m(レーザ))
イエス・キリストの墓
住所:兵庫県神崎郡神河町南小田(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度6分43.43秒 134度42分44.46秒
35.112063,134.712349 ズーム:17
UTMポイント:53SMU73798551
標高:833m(10m)
卑弥呼の墓
住所:兵庫県神崎郡神河町大山(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度6分33.69秒 134度46分1.25秒
35.109360,134.767013 ズーム:17
UTMポイント:53SMU78778520
標高:777m(10m)
イエス・キリストのお墓と卑弥呼のお墓の位置関係
コヤネ爺の墓
住所:兵庫県姫路市豊富町神谷(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
34度53分23.58秒 134度46分4.30秒
34.889882,134.767860 ズーム:17
UTMポイント:53SMU78796086
標高:256.7m(5m(レーザ))
対馬の墓(イエス・キリストの直系子息)
住所:長崎県対馬市峰町志多賀(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
34度29分57.38秒 129度24分0.30秒
34.499271,129.400084 ズーム:17
UTMポイント:52SED36731759
標高:253m(10m)
2015年7月4日(土)
248年11月17日 イエス・キリストの命日の日を選んで卑弥呼は入定を計画。
そしてその日その時がやってきた。時間帯は夕暮れ迫る4:00頃であった。
陵墓は埴岡の里、標高764mの岩山に15m増設し、陵墓の後円部の底円部直径100m、上円部の直系は50m、墳丘長さは150mで、東西南北の
四方の丘や山から、透き通るような藍い空に白い雲も浮かび、緑豊かな山々が連なる情景との中に、出来上がった真新しい陵墓の葺石が陰りかけた太陽に照らし出されて黄金色に輝いていた。そのクライマックスの地は、現在の兵庫県神崎郡神河町婀月山標高779mの舞台である。
女王卑弥呼入定のその時を見守る人たちが、八幡山連峰を取り囲むように、老いも若きも、民衆が固唾をのんで見守っていた。
卑弥呼は白の衣装で、その両側には男性二人、向かって左側には36歳になる実子。右側に3歳違いの弟が毅然と立ち、一段下がった両脇に直立不動の姿勢で赤い旗が付いた棒を持った係りの男性が立っている。さらに下段の前方部の広場に選ばれし巻向の官僚たちが卑弥呼たちを仰ぎ見ていた。その中に、妹の夫もいた。
卑弥呼と妹とは5歳違いで、第九代開花天皇の第三王妃でしたが、開花天皇が247年2月8日に100歳で他界すると、巻向の官僚に求愛されて第二の人生を歩んでいた。実は、箸墓古墳は妹、倭姫命の陵墓で、4年がかりで213年には蘇我氏たちの手によって完成していた。
妹は卑弥呼や夫の要望で巻向に留まった。
巻向の人たちは、交野山(交野市)にも集まってその舞台の方角を見守っていた。倭国の人たちの大方が埴岡の里の方角に向かって祈りだした。
卑弥呼は大きな声を張り上げて、眼下にいる人々に御礼とお別れの言葉を告げた。 そして前方部の最前列にいたコヤネ爺の目をキッ!と見て、そして目元を弛め微笑みさえも見せた。それからもう一度遠くの山々から見ている人々にゆっくりと手を振り、最後にもう一度深々と太陽が沈みゆく真西の方角に丁寧にお辞儀をして、もう一度聴衆に一礼して、弟や実子にその時が来たことを告げた。
実子は、最上部に造られていた弧帯石を内封した45トンほどの岩戸に掛けられた4本の縄をもう一度見やって叔父に両目を閉じて軽く頭を下げた。
それを受けて軽く目を閉じ、すぐさま俊敏に目を見開いた弟は、30°に傾斜した薄暗い階段に白い服を着た卑弥呼が先に下り始め、その後に実子が続いた。すぐさま弟は、一段下に直立不動で立って旗を持っている係りの者に旗を振るように告げた。
係りの者は大きく上から下へと赤い三角の旗を振りおろした。
その瞬間、「ヤ~~~~!!」と張られていた大縄を前方部から大勢の者どもが一斉に引いた。
大きな岩戸は、「ド~~~ン!」と落とされ入口を塞いだ。
と、同時に埴岡の里の上空に大勢の群集のどよめきの声がこだました。
30分程のドラマであった。
そして・・「ヤ~~ッホ~~!」のこだまが鳴り響き、それから今でも日本の山々にこだまし続けている。(ヤッホーとはヘブライ語で神様という意味である)
天岩戸のお話は、この時のシーンである。
それから三日三晩祈りが捧げられ、76人は山を下りた。
そして5日後の22日に女王卑弥呼死亡。享年71歳であった。
2015年6月25日(木)
モーセの置物が事務所に来てから・・、なにやら私に話しかけてくるような気がして・・・。
いつものように睡魔が襲って、目を覚ますと・・、いつものように地図を開かされて・・・・。
なんと、出雲の北に鶴島があって、三重県の志摩市に鳶ヶ巣という岬があって・・。
その二点と丹後半島のモーセの陵墓を結ばせます。
なんとぉ・・、綺麗な二等辺三角形を描かされます。 そして・・
その二等辺三角形の底辺へとモーセの陵墓からの垂線の交点を見さされます。
そこには、なんとぉ! 以前に教えられていたコヤネ爺さんの陵墓があります。 大きな大きな前方後円墳です。
コヤネ爺さんの陵墓を見つけた経緯は、鶴と亀の巨大な地上絵がある生野を頂点とする黄金比の十字架の
縦のラインと、出雲大社と伊勢神宮内宮を結んだ斜めのラインが交差するあたりにあって、何か大いに意味がる場所だと思っていましたが、
なんと、モーセの陵墓とも大いに関係する場所ですから、・・この陵墓は日本の歴史を解き明かす大事な陵墓です。
さぁ~いったいこの前方後円墳に埋葬された主は誰でしょう!?
卑弥呼さんの陵墓に2012年5月5日に初めて登った翌日に私はそのポイントに登りましたが、 間違いなく陵墓でした。
応神天皇の代に弓月、現在の中央アジア カザフスタン、キルギス
あたりから19万の民を引き連れてきた秦氏達のご先祖様の陵墓と推測します。
それを臭わすように、人工的な綺麗な畑山という山に守られるように息をひそめて眠っています。
240年代、この日本で最大の実力者の陵墓か、あるいは30年代の最高権力者の陵墓か。
いったいこの方は誰!?
特定秘密保護法案の可決を急ぐ理由とは何でしょうか。
いろいろな国家機密があるのでしょうが、現在までちゃんとやって来れたのに、「どうして!?今、急に?? 特定秘密保護法案が必要なのか?賛成出来ない」と、元自民党の野中幹事長さんの弁。
元ベテラン国会議員さんも訝る法案を、しかも「時間がない!」という超特急で通してしまう、それほど重大な問題とは、今私が神様から教えられている日本の、そして世界の本当の歴史が表に出てしまうことを、闇から闇に葬りたいのでしょう。
旧約聖書の通りに、ユダヤのカバラの法則に則り地上絵が造形されていたり、しかも彼らが崇めるメノラーの地上絵も対で発見されたことで、彼らはもう日本がこの地球上で重要で重大な場所であることを認識しました。
そしてそこには、古代日本に辿り着いたユダヤの部族達が、イスラエルの地から日本に帰って、理想国家の礎を築き、モーシェ も イエス・キリストもその理想国家建設に身を捧げ、この日本に骨を埋めたという事実が世界に知れた時、従来の常識が雪崩の如く氷解し、そのことは国境線をも取り払われるような大きなうねりとなります。
「それでは困るんです!」と、従来の日本の歴史にないほどの外圧が、政権与党に降りかかっているのでしょう。
でもここは、政権与党の皆さんも、野党の皆さんも安部首相と一丸となって大和魂を発揮してもらわねばなりません。
国民の為に、いえいえ人類の為に命を捧げる覚悟でやらなければなりません。
「ノー!」と拒否せねばなりません。
私の地上絵のグーグルアースが見えないようにシールドされたり、大事な場所の神社の名前が削除されたりと、それはそれは神経質な動きになってきました。
オスプレイの飛行訓練と称して、従来なかったブラウンルートの本命である神河町、生野町には何がありましたか。
鶴と亀 龍(玄武) 魚 女神ハトホル ひょうたんと一対のメノラー。東経134度80(十進表記)を南に下がって行ったら、ダビデの星の中心点に1,2kmの巨大な勾玉の地上絵もありました。
これらの地上絵群がある東経134度80(十進表記)のライン上に、邪馬壹国の大王イエス・キリストの本当のお墓や、そのイエス様の直系にあたる女王卑弥呼の墓や、出雲の国譲りをなした邪馬壹国終焉の最大のヒーロー吉備王朝のコヤネ爺さんのお墓などが順を追って証明され、そして聖杯も500トンの石の下から出てきたりと、これら神様から教えられた予言通りになって行くことが、従来本当の歴史を隠し続けてきた為政者にとっても、「時間がない!」という危機的状況でしょう。
それは日本もその他の国々も同じ事情でしょう。
でもこれからの世は、隠しごとは出来ない世になって来ています。
長年、隠し通せると思ってやってきた業界のニュースが最近ありませんでしたか。 一流と言われ続けてきたホテルや料亭のメニューの嘘が次々と・・。
宗教でも国家でも嘘を着き通すなんて無理な時空に、もう今年の2月3日から入っています。 弥勒の世と言いましょうか、第七ステージと言いましょうか、嘘の無い世界にとっくに突入しています。
人間のたくらみ事は、宇宙神にはお見通しです。
神様ほど怖い方は居られません。 又、神様ほど愛を与えてくれる方も居られません。
これからの世は、正直に・・本当に自分に真正直に生きる人しか平安は与えられません。
みさんに「早く気付いてください!」と、空海様も言ってらっしゃいます
・・・
大事な場所へと先週、皆さんを134度80(十進表記)ラインへとご案内しましたが、
「楽しいバスツアーを私なりにまとめてみましたぁ~」、とY院長先生。
院長先生のブログを是非とも見て下さい!
http://www.yaita.eei.jp/diary/?ZFDBSID=n1fq85hj9etotoq64fe1to91l2&d=20787
そして、このようなこともおっしゃっていますが、真剣に院長先生のお話に耳を傾けなくてはなりません。
http://www.yaita.eei.jp/diary/?d=20132
12月のバスツアーは、本当のイエス様のお墓を眺めていただきたいと思っています。
特定秘密保護法案が可決されると、たちまちこのブログも閉鎖され、私の言論も封鎖されることでしょう。 そして神河町の女王卑弥呼の墓や生野町などの地下聖堂への入口などへの立ち入りが出来ないようにバリケードを張り巡らされることでしょ。
秘密のうちにお墓を荒らされたり、大事なものを持ち去られ、証拠隠滅なのでしょう。
神河町の町民の方々は、事の重大さに気付いてほしいと願う私です。
未だ今なら町民の方々の手で立証は出来ます! 間に合います!!
2013年11月14日(木)
東経134度80(十進表記)は兵庫県を貫いています。
そしてそのラインには地上絵も旧約聖書のカバラの法則通りに造られていました。
大王である大国主命が亡くなり、我が国は80年ほど覇権争いで騒乱状態が続きますが、大王の直系である あづき ちゃんが女王として共立され女王卑弥呼が一時の平安な世にこの国を治めますが、71歳の時、悲しくも政変に巻き込まれました。
それが出雲の国譲りでした。 その国譲りを成し遂げたコヤネ爺さんのお墓も、黄金比率の縦のラインと出雲大社と伊勢神宮内宮を結んだ斜めのラインとが交わった交点に眠っていました。
この我が国の建国の礎を造ったヒーロー達のお墓が縦に並んでいました。
さぁこの事実を笑い飛ばすのも自由ですが、
この我が国の・・、いえいえ私達人類の未来に重大な影響を与える事案です。
防衛せよ日本人!と宇宙からのメッセージが届いています。
隠された本当の日本の歴史の謎が、この東経134度80(十進表記)のラインに隠されていました。
いつの世から歌い継がれてきたのか、かごめかごめの歌はこのことを語り継がせていました。
淡路島のシオンの山も東経134度80(十進表記)にあります!
2013年7月16日~17日
本が出版されて、初めて本を片手に
「この写真の場所がここです!」と、昨年11月に全国の方々が行かれた場所をご案内いたしました。
同行された方は、要所要所でピンクのテラファイトで水を浄化しながら世界平和へのシナリオを励行されていました。
願いは争いのない平和な地球の創造、「第七ステージの歩み」です。
思い出に残る夢の一時をありがとうございました。
Uさんと友人のYさんと 私のU で、 UYU ! YUU !!
Yさん :「家の家紋、 抱き茗荷です」
私 :「エ~~ッ、 私と同じですかぁ」
出合いに感謝! です。
その 出合いは、ご先祖様(神様)が創っていますよ~~!!
そして、生石神社では、まっさらのおさい銭箱になっていましたぁ
・・・
「奇麗ですねぇ~、あれが八幡山ですかぁ~!!」
「これが・・、亀さんですかぁ!」
「ホントだぁ! 鶴にも・・魚にも見えますね!!」
「あそこに亀の彫り物が・・」
「ホントだぁ・・亀さんだぁ」
「こちらに来て下さい。 こちらには鶴さんです」
「ホント! 鶴さんだぁ」
「ここの場所で皆で手をつないで、かごめかごめの唄を歌って皆で手をつないで・・ねっ」
なんとそこから絶峯御林を見ると、エネルギー体が出現していました!
私 :「あれが卑弥呼おばさんの墓、婀月山(あずきやま)です。自然に見えますか!?」
「見えません。人が造った山ですね、どう見ても・・」
「女王卑弥呼様が眠ってらっしゃるんですね」
私 :「卑弥呼おばさんは、みなさんにお礼とお別れの挨拶をしてから、自分からお墓の中へ入っていくんですが、コヤネ爺さんの目をキッと見つめ、係の男性に 「入ったら閉めて!」と言って、男性は手に持った旗を大きく振りました。 すると・・、岩戸に掛けられた大きな縄を手にした人達が一斉に、「ヤ~~(神様)~~~~~!!」と、卑弥呼の入定のシーンを方々の山から眺めていた沢山の人達ともども一斉に「ヤ~~~~~!!」と、それはそれは埴岡の里の天高く怒号のように鳴り響きました。 壮大なドラマのシ~~ンが今でも聞こえてきそうです
・・・
・・お知らせです!
2013年7月20日(土)13:30~17:00
大阪府立ドーンセンター 募集定員
111名です。
懇親会は ホテル京阪にて 定員
45名です。
2013年6月20日(木)
出雲の国譲りの最大の功労者、コヤネ爺さんの前方後円墳が、とある山中に息をひそめるように眠っています。発掘、証明されれば大きさから言うと日本で三番目に大きい前方後円墳です。神戸の法務局では探すことができず、18日(火)姫路の法務局へと出向き、やっと地権者を特定すべく謄本を上げることができました。
地権者は二百名以上になっています。細かく分割され入りくんでいますねぇ
古い古い地図とにらめっこして特定して行く過程で、「??????」
アッ! この東西南北の記号は・・・!!!
そうです! 西宮市の市章にあった 弓偏に田で・・、「ユタ」で、ユダヤを表していると、ダビデの星も含めて、 「怪しい・・」と思っていましたが、 西という日本の古い漢字のようです。
・・・でも、これは、日本から見て西の方角にはユダヤの人が住む国があると教えているような気がします。
そうだ! この意味は、西の彼方に住むユダヤの民が暮す国と日本が行ったり来たりしていたことを教えているのではないでしょうか。
古い漢字が教えるこの意味は・・・!
・・・
21日 AM 武部さんより情報がありました。
武部さん:「古い漢字の西という字の元は籠(カゴ)と言う字です」
私 :「そうなんですかぁ!」
武部さん:「陽が西へ沈むと鳥は籠に入ります。帰っていきます」
私 :「面白いですねぇ。ダビデの星もカゴを表しますが・・」
・・・ 籠に鳥 か~~ごめ、かごめ 籠の中の鳥は・・・
西宮市の市章と中の文字には 大いなる意味がありそうです
2013年5月26日(日)
上記の絵は、779mの婀月山の山頂で繰り広げられた、卑弥呼おばさんが自ずから入定後、岩戸が閉められた直後のシーンである。
卑弥呼おばさんは皆にお礼と分かれの言葉を述べて、最後にコヤネ爺の目に視線を向け、気丈夫にも脇に居てた男性に、「では、閉めて!」と告げ、係の者が大きく勢いよく旗を下します。
待ち構えて綱を手にしていた者たちは一斉に、「ヤアーーー!!」と、その声は、埴岡の里の天空に轟きました。
その岩戸が閉まった瞬間、天的祭司コヤネ爺が我に返り、自分が仕出かした事の重大さに慌てふためき、「ひぃ、ふず、みい、よぉ、いつ、ま、むう、なな、やあ、ここの、とうお」と祝詞を唱えた言葉は、ヘブル語でこそ意味をなす!と言います。
ヘブル語では
「ひぃ、ふぁ、み、よお、つぃぁ、ま、なね、や、かへな、たぶぉ」となり、
「ハィアファ ミ ヨツィア マ ナーネ、ヤカヘナ タヴォ」となり、
「誰がその美しいかた(女神)を出すのでしょう。彼女に出ていただくために、いかなる言葉をかけたらいいのでしょう」との意味に解釈できると言います。
間違いなく、コヤネ爺はうろたえています。
・・・
岩戸は卑弥呼おばさんがいつも使ってた無垢の弧帯石が埋め込まれ、人の手で造った四角い岩戸と側壁とは、大縄が入る隙間が開いていました。
そして、入口上部で、水平にして長方体に造らていていましたから、閉められた時、山の勾配が岩戸の上部でVの字になって隙間が出来ています。
そして
「方位磁石が狂う石が置かれた3つのラインが交わった所の岩を砕きなさい!」と言われたような気がして、黒い表土を取り除くと不思議な四角い岩が最初に現れました。そして、その岩の上にまたまた方位磁石が狂う石が置いてあり、「方位磁石が狂うこの石の下の岩を、迷わずに砕きなさい!」と、言ってるような気がしたので、チースとハンマーで砕き続けたら、その岩の中から、不思議な不思議な石がポロッと出現しました。
その石と現場の岩などを調査すれば、自然でないことが明らかです。