2023年11月5日(日)
10月22日(日)に交野天神社に孝徳天皇が祀られているということで、コアロッドを持って私は急いで行った。
そして、スッキリしない参道をの途中に鳥居が在り、その前の右手の狛犬さんは大きく傾いていて、左手の狛犬さんの左手3~4m奥の森の中から大きく成長している楠木を見上げているようであった。
その大木の楠木の根元から東へ12m、北へ12mほどに黄金の反応を捉えた。 この部分に第36代 孝徳天皇が祀られているとフェニックスコードは教えている。
それにしても右手の狛犬は、「これが楠葉の由来だ~~!」と孝徳天皇の墓の由来とその大木を見上げて、「ああああ~~」と始まりの「阿」を表現していましたぁ~~。
2020年8月7日(金)
兵庫県三田市の光明山観福寺から見える光明山は、藤原鎌足の長男とされる定恵の墓である。
定恵は孝徳天皇の落胤(らくいん)である。
また定恵は、謎の人物、法道仙人でもある。
そして、藤原鎌足の次男とされる藤原不比等は、天智天皇の落胤である。
その藤原不比等は、双子の弟である。
不比等は藤原家では次男となっているが、天智天皇のDNA的流れで言えば、天智天皇の三男である。
長男は大友皇子(弘文天皇)、次男は誰かというと、稗田阿礼である。
そして、聖武天皇の妃、光明皇后は藤原不比等の娘となっているが、兄 定恵=法道仙人の娘である。
行基と橘三千代との子である。2923年10月10日加筆訂正
不比等は、光明子の養父である。
その光明子が眠る光明山がある地名は養父市(やぶし)であるが、養父に育てられた光明皇后が眠っていることを語り継いでいる。
嘘のようであるが、本当の話である。
・・
これらのことを教えられている私としましては、翌日の光明山山頂へ上り、光明皇后と身近に対面できることに少しワクワクドキドキでした。
でも少しだけ、クマさんのことも気になる私で、「・・でも神様の使いで行くのだから、何があっても守られる」との強い思いもありました。
・・
旅館 古城に着いたのは夕方6時頃で、急いでお風呂で汗を流し、6時半から食事でした。
武部さんは私のお願い事で、小野妹子の墓と孝徳天皇陵へとお参りに行ってもらいましたが、DNA的に小野妹子~孝徳天皇の流れで、
孝徳天皇の子供の定恵、定恵の子供の光明子という流れですので、武部さんに小野妹子と孝徳天皇が乗ってきて、定恵の墓に行って、翌日に三人が光明皇后の神殿に行くという計画でした。
・・ので、夕食の場には、光明子をのぞいたお三人さん方が居るという感じで、この世の人が私を含めて三人。
あの世の方が三人で合計6人の御霊の宴会でした。
「私は、ビールは口にしたことはありませんので、出来ましたら日本酒で・・」ということで、ビールと日本酒で話し込む宴席でした。
立派なお御霊6柱の宴席には、おもてなしの心と気配りがなされていました。
飲みつぶれることもなく、おごそかな時間はあっという間に過ぎて、部屋に帰った私はすぐさまバッタリと寝入ってしまいました。
そのせいもあって、十分に寝て起きたのは夜中の3時頃でした。
それで、スマホで光明山の登山コースの情報を初めて、次々と読みふけりました。
そして、自分なりに登るコースと地点を地元のおじさんの助言も含めて決めてから、また眠りました。
思いはもう、上るコースと頂上のイメージを描きながら目をとじました。
・・
朝、「武部さん、このコースで行きたいと思いますが、どうでしょう・・」と。
すると武部さんも同じコースを考えられていた様子でした。
そして朝食を済ませ、早めに宿を出発。
宿から登り口まで車で、15分ぐらいでしたでしょうか・・。
地元の人が教えてくれた場所はすぐに分かりました。
登山靴に履き替え、スパッツをまいて準備OKです。
さぁ~光明山へ巡礼登山開始です!!
2020年7月31日(金)
事務所の庭を綺麗にしてくれました。
武部さんが定期的に手を入れてくれる作品を眺めていると、いつも気持ちが和みます。
綺麗ですねぇ。
武部さんが仕事をやっている間も、私はテラファイトコア シルバーの組み立てに追われていて、ゆっくり話す時間もありませんでした。
でも、ちょっとだけお願い事をしました。
「光明皇后のお墓参りをお願いできませんでしょうか」と。
そしてその前に、小野妹子~孝徳天皇~定恵~光明皇后の順番でお願いします・・と。
そして、武部さんはそのことをブログにUPしていますね。
kinou 7,30 yunnbo yama wo noboru
2020年5月19日(火)
藤原不比等の墓と、移し替えられた藤原鎌足の墓は、私の頭の中では、ゆるぎないものとなりました。
後は、その場所から証拠のものを出して、『祀る』という段階に来たと思っています。
このことを藤原氏の子孫の方々に伝えたく、どのような方々が一番にその場所に行って御霊に手を合わせなくてはならないかをネットで調べてみると・・。
「日本赤十字社」の名誉社長で五摂家の筆頭、近衛家の現当主、近衛忠輝氏という情報を知り得ました。
赤十字と言えば、
不思議な名の赤十字山(407.6m)と長老ヶ岳と、移しかえられた藤原鎌足の墓が、見事に2:1:√3の直角三角形を描いていることを思い出しました。
そして、藤原鎌足と長男の定恵、次男の不比等の三人の墓には、大いなる強い意志が表されていたことも思い出しました。
そしてこの日本の大地に神々の計画を読み解くことができることも・・教えられていました。
一般的には・・不比等君は、藤原家の次男ということになっていますが、実は、天智天皇の落胤で、兄 の定恵は孝徳天皇の落胤だったということを大地に遺された三角法では教えています。
私は、藤原鎌足公の移し替えられた墓と、藤原不比等公の墓を特定できました。
一刻も早くこのことを立証し、二人の御霊に子孫たちが手を合わせ、供養し祀っていただきたいと願います。
どなたか私のこのブログを読まれた方で、近衛忠輝様、又は五摂家の方々と懇意にされておられる方が居られましたら、どうぞ私に御引き合わせくださいませ。
このことこそが実は、世界を平和に導くための岩戸開きなのです。
今、毎日このブログを見ている方が、平均1200名ほど居られます。
この中に、世界を平和へ導く扉の鍵を必ずお持ちの方が居られると私は信じます。
どうぞこの情報がその方々に届きますように拡散していただきたいと、今日は私からの緊急のお願い事です。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
2020年1月
若き日、空海様は、久米寺に縁を持っている。
空海様の空白年間を解き明かすには、最低、空海様がどこのお寺に縁を持ったから解き明かさなくてはなりません。
空海は急ぎ大和国久米寺を訪れ、そこで、密教の核心を説いている「大日経」を発見したと伝えられているようですが、大日如来こそイエス・キリストのことである。
それで、久米寺とイエス・キリストの墓とを繋いで、意味ある山や神社や寺院が三角法で浮き上がるかを調べると・・!
二等辺三角形を描くポイントに、淡路島の油谷山。
そして、重要なポイントには必ず行基が関わっていますが、その行基の開基という東光寺(猪名川町)。
そしてそして、法道仙人も必ず重要なところには登場しますが、孝徳天皇勅願で法道仙人開基と伝えられる摩耶山天上寺(神戸市)が浮かび上がりました。
若き空海様は、久米寺で間違いなくイエス・キリストの真実を聞いてしまったことでしょう。
空海は大学を中退してから、空白年間が10年ほどあって・・、その内、和泉国の槇尾山寺で剃髪して・・、そして久米寺。
突然、30歳で東大寺に姿を現し、遣唐使船に乗り込み長安(現、西安)へ。
2年ほどで帰国し、太宰府庁に隣接した観世音寺に留められる。
そして又、槇尾山寺。それから高雄山寺~乙訓寺を行き来している。
実は、遣唐使船に乗る前と帰国後に、神戸の再度山大龍寺に身を寄せている。
私の不思議物語ももう10年が経とうとしている。
どうも・・空海様の空白年間と同じように動き回っていたようです。
空海様の空白年間と任務は全て教えられたようです。
2019年11月27日(水)
23日(土) 高貴な人が眠る大事な古墳である山を見る為に、麓の観福寺の電話番号をカーナビにセットして神戸から車を走らせました。
どうして行ったのか!?
・・それは・・、四天王寺で手を合わす先は、鎌の形をしたコンタラインの長老ヶ岳でした。
その長老ヶ岳と鎌ヶ岳にある藤原不比等の墓と、36度54度90度の正五角形の一部をなす綺麗な直角三角形を描く場所に、前方後円墳があり、その山裾に、観福寺があったからです。
今年の春、藤原不比等公1300年法要に呼ばれるにあたり、藤原不比等の墓の特定をし、それに続いて、長男の定恵の足取りを追い求めていました。
そのきっかけになったのは、定恵にまつわる山梨県早川町の西山温泉でした。
そのような流れから、定恵の墓が浮かび上がってきました。
以前私は、紀貫之の墓が、どうして比叡山延暦寺根本中堂の東の山中にあるのかが不思議でなりませんでしたが、ここに来て、紀貫之は定恵の秘密も全て知っていたということが証明されそうです。
梵字の「ア」「ウン」には大きな意味を感じます。
小さいですが、「ホ・キ」の山もありました。(下)
2018年10月9日(火)
昨日(8日)市川慎さんと一乗寺へと行きました。
今度のツアーは、ここ法華山一乗寺からスタートですから、大事なことの確認作業へと行きました。
行って角度を計測し、帰って地理院地図にラインを引いて初めて浮かび上がるものがあります。
そしてそこから先人達の思いと願いが聞こえてくるようです。
孝徳天皇は・・650年・・ ・・をもって供養し、鎮護国家の道場とされた。
何の供養か! だれの供養か! ・・ この答えがこの場所と、三重塔と本堂に手を合わす方角に隠されています。
三重の塔で手を合わす先には、マリア様の墓があります。
そして本堂で手を合わす先には、聖地神河にあるイエス・キリストの墓です。
ここ法華山一乗寺のポイントは重要な位置に在ります。
磁北には、聖地内での祈りの場である八幡山ピラミッドがありますし、神河町長谷にある犬塚との関係からは、マリアの墓やイエス終焉の地まで直角三角形で教えています。
犬塚は間違いなく大きな意味をもたせたベンチマークポイントであることが再び浮かび上がってきました。
法華山一乗寺は、マリア様やイエス・キリストを供養する所であり、並びに古代王家の方々を供養するお寺でした。
11月17日のツアーは、ここ法華山一乗寺がスタートです。