散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

真田丸 36回「勝負」に「なんでやねん」

2016年09月11日 | ドラマ
本日の真田丸をみて、思わず「なんでやねん」と思ってしまいました。関西人でもないのに。

なんで「関が原」をまともに描かない。CGなんだから金はかからないだろう。なぜ描かない。

主人公がその場にいないから、って、今までだって関係ないシーンはいくらでも描いていただろうが。

どこまで戦闘シーンを排除したら気がすむのか。

それにしても関が原をまともに描かないとは。

そういえば本能寺も描かなかった。いい加減にせい。

島津は出ていなかったから、正面脱出シーンはなくともいい。

でも金吾の裏切りと、それに起因する大谷刑部の死は描くべきだろうが。

金吾中納言も大谷刑部もさんざん登場していたのだから。

まったくわけがわからない。

漫才風にしめるなら、もうええわ。ええ加減にしろ。

サザンオールスターズが出てきた時

2016年09月11日 | 日記
サザンは革命的だった。と、こう書くと批判があるかも知れません。桑田さんはビートルズの影響を強く受けており、また加山雄三の影響も受けており、ある意味「古い」からです。

でも彼らが出てきた1978年当時においては、画期的、革命的、どんな言葉を並べても表現しきれないほど「新しい音楽」でした。

新しい音楽、はその前にもありました。歌謡曲の時代からフォークソングの時代。拓郎、陽水が出てきます。

陽水のアルバムLP「氷の世界」は、日本で初めて100万枚を超えたLPで、まさに画期的で新しい音楽でした。

ところが私は小学生で、その革命性に気付くにはおさなすぎたのです。子供ながらに「いい曲だ」とは思ってはいましたが。

その後フォークとニューミュージックの「戦い」みたいのが起きます。フォークは貧乏くさい方で、ニューミュージックはややポップです。

フォークの象徴が「神田川」のかぐや姫なら、ニューミュージックの象徴はユーミンでした。

で、結局のところ、サザンがでてきてそういう「戦い」そのものを破壊してしまったような気がします。

フォークとニューミュージックは、底の方ではつながっていました。初期のユーミンはそれなりに「暗かった」のです。

けれど、サザンは全く違っていました。

デビュー曲は、勝手にシンドバット。これは「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバット」の合成です。

コミックバンドと誤解されていました。

桑田さんは今は国民栄誉賞なみの存在ですが、当時は短パンとタンクトップでした。

歌詞も曲も、それまで「聞いたこともない」もので、「根本的な新しさ」を感じたのをよく覚えています。

その後、40年近く一線で活躍するとは、、、、思っていないはずもなく、永遠に残る音楽だということは、そのころから気が付いていたような気がします。

吉田拓郎から遠く離れて

2016年09月11日 | 日記
吉田拓郎さんがソングスに出ているのをみました。リハーサル風景で歌っていた10曲ぐらいの歌、すべて知っています。

拓郎さんを最初に聞いたのは小学生の時で、それから中学にかけて、異常に濃密な影響を受けました。

濃密すぎたのでしょう。「明日に向かって走れ」以降の拓郎さんはほとんど聴いていません。

つまり

アルバムでいうと。

青春の詩

人間なんて

元気です

御伽草子

ともだち

今はまだ人生を語らず

明日に向かって走れ

以上が僕の中の拓郎さんのすべてです。その後も、キャンディーズに提供した曲なんかは聴いてましたが。

小学生ですから、すごく影響を受けました。本当にあまりに大きな影響で、不思議なことに、その後は聴かなくなっていくのです。あまりに影響が多き過ぎると、軽く聴いたり出来なくなるのかもしれません。

一番好きだったのは、たぶん「おきざりにした悲しみは」

これを小学生で歌っていたのです。「生きてゆくのは、ああ、みっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた」

こんな歌詞を小学生が熱狂的に歌っていました。

思いつくままに題名を書くと、青春の詩、川の流れの如く、人間なんて、どうしてこんなに悲しいんだろう、御伽草子、落陽、ともだち、ペニーレーンでバーボン、ある雨の日の情景、雪、
灰色の世界、今はまだ人生を語らず。

特に聴いたアルバムは、「元気です」。名曲がそろっています。

拓郎ちゃんも70歳のようです。私は遠く離れていますが、納得のいくまで歌ってほしいと思います。元気で。