散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ブラックペアン 最終回の感想

2018年06月25日 | ドラマ
私はずっとこのブログで、「ドクターX」とは「本質的に違う作品」と書いてきました。

それは「終わり方」が分かっていたからです。原作は読んだことがないのですが、「終わり方」はちょっと調べれば分かります。

「ペアンを取り出さなかったのでない。取り出せなかったのだ。それ以来、カーボン製のレントゲンには映らないブラックペアンを用いている」ということは分かっていました。

つまりこの作品は「人間は失敗をする」が前提になっています。「失敗するんです」が前提です。だから「失敗しないんです」という作品とは完全にベクトルが逆方向なのです。

最後は渡海が「失敗することを学んで」終わります。

ペアンを残すほかなかった。そのあとアフリカに医療支援に行った。渡海の父はペアンを残した佐伯の責任を全て背負って死んだ。患者を助けるため、自分は医者をやめるわけにはいかなかった。

という佐伯、内野聖陽の説明は「ちょっと何言ってるか分からない」ほど、矛盾というか、変な点が多すぎます。

でもそれはどうでもいいことです。「要するに人間は失敗する」ということを佐伯が学び、そして渡海が学ぶという点が重要なのであり、「無理過ぎる説明」には、この際目をつぶるべきだと思います。

最終回は、原作通りというか、特に「ひねった」部分はありませんでした。「想定の範囲内」というやつです。

どうして佐伯が理事長にこだわるのか、が最大の疑問だったのですが、一応世良くんのナレーションで「組織改革をやったのち、すぐに理事長の椅子を譲った」とされていて、「組織改革をしたかったのだ」ということが分かりました。

猿之助は理事長戦にやぶれたのち「医者だから研究をする」と反省したようにも見えたのですが、最後の最後でも「インパクトファクター」とかにこだわっていて、全く反省していない。それでいい、と思います。全員が成長したのでは「予定調和」でありすぎることになります。

猫ちゃんは大学に残ったようですが、どうするんだろう。そこが一番気になります。

「ブラックペアン」の中のオマージュ、パロディ、小ネタ

2018年06月25日 | ドラマ


「ドラマの中に過去のドラマをぶち込む」という手法があります。堤幸彦監督あたりが多用して広まった気がします。

オマージュ、リスペクト、パロディ、小ネタ、パクリなどと呼ばれます。オマージュ(フランス語)とリスペクト(英語)は尊敬という意味です。

ブラックペアンの中にも「数々のオマージュ」があります。が、、、日本のドラマを最近あまり見ていない僕には、それを全て指摘することはできません。

思いあたるものだけを少しだけ書きます。

1、必殺仕事人の歩き方 または「オペンジャーズ」

第5回ですね。小さな女の子の手術が失敗しかける。小泉が廊下に飛び出し、二宮を探す。二宮と猫田が廊下を向こうから並んで歩いてくる。すぐに小泉もそこに加わり、三人で横になって歩いて手術室を目指す。そのシーンが「スロー」になります。人間が横になって並んで目的地に向かって歩く。完全に「必殺仕事人」だと思います。

二宮、猫田は手術職人であり、つまりは「仕事人」です。この二人が「職人」であることを明確に表したシーンです。小泉くん(タカシナ)が「仕事人」になりつつある、といことも表しているでしょう。

もっとも調べると元は「アベンジャーズ」らしいのです。あんな歩き方をアベンジャーズはしなかったと思うけど?

2、手術シーンの「戻ってこい」

最終回です。佐伯教授に対して、手術室にいる全員が叫びます。ただこれは「あまりに多く使用される手法」なので、何のオマージュかは分かりません。
わたしが最初にこの言葉を聞いたのは、たぶん「振り返ればヤツがいる」です。三谷さんの初期作ですね。

3、助けてください。

あまりに有名な「世界の中心で愛を叫ぶ」の「助けてください」。佐伯教授の第二回目の手術(三回あるのですが)で黒崎准教授が叫びます。執刀医は小泉くんです。がその後遠隔操作によって二宮が教授を助けます。

「助けてください」は「助けられない状況における絶望の言葉」だとは思いますが、このドラマの場合、二宮くんは「本当に助けて」しまいます。

4、できちゃうんだよ。東城大はできるんだ。

二宮君のセリフです。

何のオマージュかは分からないし、俺はできるんだ、を二宮くんがその場で「東城大はできるんだ」に変えた、らしいのです。でもオマージュっぽい言葉です。

5、論文の小ネタ   ネットで調べると論文に小ネタが沢山あると書いてあります。


徳川慶喜のこと

2018年06月25日 | 歴史
徳川慶喜は水戸の人間です。水戸から一橋家に入り、将軍になりました。水戸学は尊王主義の源ですから、彼は「朝敵」になることを非常に恐れていました。また徳川家を朝敵をしないことは基本的な政治姿勢でした。

彼は大阪城から逃げ、江戸では主戦論を退けて謹慎します。彼が「逃げ、謹慎し、負ける」ことによって、維新は成った、これは明治政府でも密かに言われていたことのようです。「維新最大の功労者の一人ではないか」という話すらあったということです。

鳥羽伏見に負けて江戸に帰った時、小栗上野介は主戦論を展開します。箱根の関で官軍をくい止め、東洋一の幕府海軍が官軍を砲撃する。どう考えても戦術的には幕府の勝ちです。

もっと簡単に、江戸に兵が出払った京都に海軍を使って乗り込む。(大阪湾経由で)そして玉(天皇)を奪回する。そうすれば官軍はあっという間に「賊軍」に変わってしまいます。

小栗が慶喜の裾か袴をつかんで止めた、のは当然で、幕府は戦術的には勝てたのです。

が、慶喜はそれをしませんでした。一時戦術的に勝てたとしても、制度疲労を起こしていた幕府は、長期的にみれば必ず敗れる。官軍が天皇を残して、京を逃げるはずもない。必ず天皇を連れていく、まあそういうことが「見えて」しまったのだと思います。「自分の名が足利尊氏と並んで歴史に残る」、慶喜にとって、それに勝る恐怖はなかったのです。

長州は江戸に兵を出すことに反対でした。幕府が上記の作戦できたら、とても勝てないからです。だた薩摩が、というより西郷が江戸出兵を強く主張しました。革命家としての西郷の眼力が最も光彩を放ったのはこの時でしょう。理屈では勝てないが、勝てる。そして結果は、西郷の言う通りになりました。(だたし西郷は江戸鎮撫には、まあ失敗します。江戸を鎮撫したのは長州の大村です)

さて、慶喜ですが、その後もずっと謹慎をします。ただし趣味には深く没頭し、困窮する旧幕臣などからは「貴人情を知らず」などと言われます。

明治も半ばになって、やっと天皇と対面し爵位をもらいました。たしか大正まで生きたと思います。

最近の大河での慶喜の扱いは、「ひどいものだな」と私などは思います。八重の桜もひどいし、篤姫ではもう「最低の扱い」でした。慶喜の行動のみ描写して、内面描写が浅いためにそうなるのです。この「内面描写の浅さ」、もっと単純に言えば「心の声を一切流さない」という演出は、最近の大河に共通していますが、一体どうしてだろうか、まあ「慶喜が可哀相じゃないかい」とか思いながら、最近の幕末ものを私は見ています。

西郷どんは、実はよく見ていなくて、なんか「遊び人の金さんみたいな慶喜」が出ていることはなんとなく知っています。