遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『奇想の図譜 からくり・若冲・かざり』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫

2024-03-07 22:18:55 | アート関連
 先日、『奇想の系譜』(以下、系譜と略す)を半世紀遅れで読み終えた。その続きに一気に「奇想」つながりで本書も読むことにした。本書『奇想の図譜』(以下、図譜と略す)の出版は1989年。『系譜』が2004年9月に文庫化されたのに対し、『図譜』は2005年4月に文庫化された。『系譜』の翌年に『図譜』が文庫化されている。手許の本は2019年10月の第12刷。本書もロングセラーとして読み継がれているようである。
 
 遡ってみるとちょっとおもしろい、『系譜』の最初の出版(1970年)と『図譜』の最初の出版(1989年)との間には、20年の歳月を経ている。その間に「奇想」の画家に対する著者の研究は広がりと深化をみせている。一方、『系譜』が「奇想」の画家たちに光をあてる先駆けとなって、社会に一つの衝撃を与えて以降、「奇想」の画家に対する研究者並びに人々の評価や受け止め方は大きく変化した。伊藤若冲への関心の高まりはその典型だろう。
 1988年6月に『系譜』が新版という形でぺりかん社から出版された。『図譜』の「あとがき」にはこれが「復刊」であると明記されている。『系譜』の復刊とタイミングが合う形で、その翌年に、著者が1985年~1988年に各種雑誌等に発表していた論考がまとめられて『図譜』が出版された。文庫版出版もまた、1年ずらせて出版されている。
 著者は、『図譜』出版の「あとがき」に、「最近復刊されたのをしおに、これとの姉妹編を意図した」(p295)と記す。そして、「文庫版あとがき」にて、姉妹版の意図は、「ところが著者の期待にたがい読者の反応はさっぱりで、同じ柳の下にドジョウはいないことを痛感させられた」(p298)と苦笑している。
 それは、そうだろうと思う。『系譜』は、いわば人々が今まで見過ごしていたか軽視していた画家たちを「奇想」という共通項でハイライトすることによって、ブームを引き起こす先駆けの書となった。光が当てられた目新しさは人々を惹きつけるはずである。その後の20年の時の流れの中で、「奇想」の画家たちの展覧会が少しずつ取り上げられていき、鑑賞する機会が生まれて行ったはずだ。ちょっと知りたいという人々の欲求は、『系譜』発刊後に企画された展覧会で絵そのものを見ることにより、当初の好奇心はある程度満たされて行ったはずだ。「奇想」の画家たちに対する様々なレベルでの情報は当然増殖して流布されてきていることだろう。
 その先は、画家・作品そのものについて、一歩踏み込んで知りたいと思う美術愛好家の欲求との相関関係になっていく。いわば各論を扱っている『図譜』を読もうという欲求は低減してもそれは自然かもしれない。評判と好奇心の先に、一歩踏み出してさらに知りたい理解を深めたいと思う人の比率は下がるのが普通だろうと思うから。

 さらにその後の30年の時の経過の中で、葛飾北斎、伊藤若冲は飛び抜けて人気があるように感じる。画家名と作品は浸透してきている。私にとっても好きな画家たちである。
 伊藤若冲を例にとると、本書『図譜』の出版の後、現在までの間に、私が伊藤若冲の作品に触れた展覧会だけでも、手許に次の購入図録がある。
『京都文化博物館十周年記念特別展 京の絵師は百花繚乱』 1998年 京都文化博物館
『特別展覧会 没後200年 若冲』 2000年 京都国立博物館 
『若冲と琳派-きらめく日本の美-細見美術館コレクションより』 2003-2004年
『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』2006年 東京国立博物館・日本経済新聞社
『開基足利義満六百年忌記念若冲展』 2007年 大本山相国寺・日本経済新聞社
『特集陳列 生誕300年 伊藤若冲』  2016年 京都国立博物館
『若冲の京都 KYOTOの若冲』 2016年 京都市美術館
『没後220年 京都の若冲とゆかりの寺』 2020年 京都高島屋7階グランドホール

 脇道をつき進んでしまった。本筋に戻る。
 本書『図譜』は、いわば『系譜』以降20年弱の著者の研究の進展過程における各論を編纂した書である。
 <Ⅰ 自在なる趣向>、<Ⅱ アマチュアリズムの創造力>、<Ⅲ 「かざり」の奇想>という三部構成になっている。それぞれ独立した論考である。今読んでも、なるほどと学ぶところが多い。各論ゆえに、一歩踏み込んで画家と作品を知るあるいは、鑑賞したことのある作品を新たな視点で見直す機会になった。
 三部構成のそれぞれについて、私が論考の要所と思う内容の一部を感想を交えご紹介したい。

<Ⅰ 自在なる趣向>
 著者は、『系譜』の「おくがき」では、「この大物(=北斎、付記)と取組むための準備が、まだ私自身に不足なため」(p241)との理由を記し、奇想の画家と認識しつつ『系譜』の一項に北斎を取り上げていなかった。
 この『図譜』では、この第Ⅰ部の冒頭に葛飾北斎について論じている。北斎が読本挿絵に描いたワニザメ、大蜘蛛、爆発のシーン、「富獄三十六景」の中でも特に有名な「神奈川沖浪裏」の大浪と読本の挿絵の波、北斎漫画を対象に分析し鑑賞する。これらの作品事例を介して、北斎の想像力・創作力の源泉がどこにあるかを究明する。
 著者は、当時輸入された蘭書に印刷された銅版画、その洋風手法から北斎が学び、それをヒントに換骨奪胎して独自の描法に取り入れていることと、北斎が自然の観察と凝視に卓越していた点を具体的に論じている。「北斎の眼は、対象を瞬時にキャッチする高性能のカメラ」と喩え、一方北斎の心性には「すべての物に魂が宿ると信じるアニミズムが巣くっている」(p49)と言う。「神奈川沖浪裏」は、北斎の眼と心性の合作として生み出されたイリュージョンなのだと指摘する。北斎が、西洋美術でいうメタモルフォシス(変容)に通じる手法を独自に習得して駆使していた点を論じている、
 北斎の浪から、曽我簫白が描いた「群仙図屏風」の波、イギリス画家ウォルター・クレイン画「海神の馬」やマックス・クリンガー画「手袋」、さらには伝伊達綱村所用の単衣の図柄を取り上げ、変容についての解説を展開するところがおもしろい。

 洛中洛外図屏風(六曲一双)の全体の構成原理は現存する60点のうち1点を除き一貫しているという。東から眺めた目線での一隻と西から眺めた目線での一隻を組み合わせて、六曲一双で洛中洛外の全体を構成するという構成原理である。
 この定型に従わず異色なのは、舟木家本「洛中洛外図」だけだとか。この屏風絵の奇想な点を取り上げて分析的に論じていく。洛中洛外図もいろいろ鑑賞してきているので、興味深くこの論考を読んだ。また、改めて洛中洛外図の細部の鑑賞の仕方、目のつけどころを具体的に学ぶ機会にもなった。
 著者は、「舟木屏風」が浮世絵の母体になるとし、「『舟木屏風』の人物の特徴は、『又兵衛風』に通じるものをもっている」(p98)と論じている。

 第Ⅰ部の最後に、<「からくり」のからくり>という題で、中国と日本の文献を話題にする。世界に冠たる中国の美術を日本は受け入れた。だが、それに圧倒され萎縮せずに、中国の原典から借用転化していく才を発揮し、柔軟な応用力を日本美術は発揮したと著者は言う。それを「見立て」の妙と表現している。それが、文献の中でも同様に起こっているとして、日本の説話文学に見られる中国書の原典からの内容の変容、すり替えを指摘する。それを「自在な遊戯の態度」として、ポジティブに評価している。

<アマチュアリズムの創造力>
 第Ⅱ部では、若冲・白隠・写楽が取り上げられている。
   1.若冲という「不思議の国」--「動植綵絵」を巡って
   2.稚拙の迫力--白隠の禅画
   3,写楽は見つかるか? --ある架空の問答
という3つの論考で構成されている。あの時代の大半の絵師は、○○派に入門し、絵と描画法の基礎を修練して、絵画力を修得し、その○○派の中で絵師として力を蓄え発揮して名を成していく。流派の看板を背負った職業絵師である。流派という埓の中に生きている。それに対して、たとえ一時期どこかの流派で描法等を学んだことがあったとしても、流派の看板を背負うことなく、独習で技法を身につけ自己流で絵の道を歩んだ画家を、ここではアマチュアリズムという共通項で括っていると理解した。
 著者は、「一言で片付けるならば、応挙はプロ、若冲はアマということになるだろう」(p138)と例示している。
 若冲の「技法の基礎は明・清花鳥画の独習によってつくられ、それは本質的に自己流のものであった。もっとも若冲の場合、それは本格的な自己流であり本格的な素人絵なのである。矛盾しているようだが、こういう以外に仕様がない。かれは、応挙のように三人称の普遍的形態を追わず、中国花鳥画のかたちの迷宮のなかから、自己に訴えかける形態をみつけ、呪術をかけるようにしてそれを画面の外に誘い出して、自己のものにしてしまう」(p139-140)と評している。
 若冲の「動植綵絵」の世界を分析的に鑑賞し、そこから若冲の絵を読み解くキーワードとして<無重力>と<正面凝視>、さらに<増殖>を抽出している。若冲は、「いつも『物』の質感を捉えることに関心を払った」(p152)と論じる。若冲の描いた絵の世界に、「現実を同化させてしまう強烈なリアリティを、『動植綵絵』は持ち合わせているのだ」(p149)と語る。

 白隠の生涯を簡略に解説しながら、白隠の禅画の特質を論じていく。著者はそのルーツは中世禅僧の書画に求められるとする。その上で、白隠の禅画は「自己の強烈な個性をなかだちとして、江戸時代民衆の感情に即した土着的な表現に再生させた」(p161)ものと読み解いている。白隠の禅画をあまり見る機会がなかったので、白隠の人生に沿った形で絵の変遷を眺められる点が有益だった。67歳作の「達磨図」を含め3点の達磨図が併載されているが、見応えのある図だ、何ともいえないギョロ目に迫力が漲っている。「円相内自画像」(永青文庫蔵)とは実に対照的である。白隠はこの自画像を残し、遺偈は残さなかったという。
 著者はこの一文の最後に、禅画家仙厓にも少し触れている。「亡くなるまでの15年間、かれの書画は、技巧の衣装を捨てた<無法の法>を目標に円熟していった」(p190)と言う。

 3つめは、話し手Aが年齢不詳の美術史家、聞き手BがAの友人の美術ジャーナリストという設定で、写楽とは誰かについて、架空の問答をするという設定の対話録になっている。奥書に、初出は1985年の『浮世絵八華 4 北斎』(平凡社)とある。この時点までに世間で談論風発していた様々な写楽探しの仮説論議の状況が網羅され、要点が語られていく。当時の様子がうかがえておもしろい。
 文庫版には、追記が2つあり、2つめの追記でどうもこの論議は終焉しそうな雲行きと思われる。ふと、振り返ると最近は写楽論議を見聞した記憶がない。

<Ⅲ 「かざり」の奇想>
 本文は、ダーウィンの『ピーグル号航海記』に記述されているというフェゴ島住民の観察から始め、著者はホイジンガの有名な言葉をもじって、”「文化は<かざり>の形をとって生まれた。文化はその初めから飾られていた」ともいうことはできないだろうか”(p234)という仮説を設定する。
 『万葉集』に載る挿頭(カザシ)の歌を皮切りに、縄文土器に遡り、中国における事情にも触れながら、各時代における様々な<かざり>を例示し、江戸時代の宗達による「見立て」まで論じて行く。「かざり」の母体は「風流」にあると捉え、「飾り立てる風流」(p250)の側面に関心を寄せていく。「風流」の窓から日本美術を通覧し、日本人の創造には「見立て」があるという特質を抽出する。それはヨーロッパ文化に於ける創造性とはかなりちがうものがあると論じている。
 「この『見立て』の思想方法こそは、日本民族の活性の素で、文芸・美術などの芸術の構造をはじめ、形造る働き、美学の基本をなすのだといってよい」(p268)と、郡司正勝氏の文を引用しつつ、論じている。
 「美術における見立てとは、かたちや主題の連想・変換を楽しむ一種の知的遊戯とみなすことができるだろう」(p286)とも述べている。

 <かざり>という視点で日本文化を通覧しているところがおもしろい。学際的な試みが必要な領域だと言う。著者はこの第Ⅲ部の論考で、「日本かざり学」とでもいった学際的な研究の場、「かざり」学を提案している。そういう場や研究は本書の出版後、現在までに進展しているのだろうか・・・・。読後印象として気になる。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
椿説弓張月 前編第一  31コマ :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
新編 水滸画伝 巻一 39コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》  :「文化遺産オンライン」
おしをくりはとうつうせんのづ  :「文化遺産オンライン」
椿説弓張月 続編より 23コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
洛中洛外図屏風(舟木本)   :「文化遺産オンライン」
伊藤若冲の《動植綵絵》など皇室ゆかりの5件、国宝指定へ  :「美術手帖」
絹本著色動植綵絵〈伊藤若冲筆/〉  :「文化遺産オンライン」
白隠慧鶴  :ウィキペディア
出山釈迦:白隠の禅画   :「日本の美術」
七福神合同船:白隠の漫画 :「日本の美術」
達磨図(白隠慧覚筆)  :「MIHO MUSEUM」 
「達磨図」をはじめ、白隠・仙厓が描いた禅画 およそ20点が展示  YouTube
仙厓義梵   :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『若冲の花』   辻 惟雄 編  朝日新聞出版
『奇想の系譜 又兵衛--国芳』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<アート>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 34冊
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