遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『黒石(ヘイシ) 新宿鮫ⅩⅡ』  大沢在昌   光文社

2023-07-06 21:47:37 | 大沢在昌
 新宿鮫シリーズはブログ記事を書き始める以前から読み継いでいる。この第12巻は、「小説宝石」(2021年4月号~2022年10月号)に連載されたのち、加筆・修正されて、2022年11月に単行本が刊行された。

 ネット上のある会員組織がシステムのバージョンアップを検討しているというメッセージの全文が冒頭に出てくる。それも日本語と中国語の併記で。唐突感一杯!!
 場面は一転し、前作第11巻『暗躍領域』において、阿坂課長の命で鮫島の相棒となった矢崎隆雄が再び登場する。前作では結果的に矢崎が公安部から鮫島につけられたスパイだったことが明らかになった。その矢崎が話をさせてほしいと鮫島の前に現れてきたのだ。
 これだけで、新宿鮫愛読者は、引き付けられることだろう。

 矢崎が鮫島に告げたのは八石についてである。中国残留孤児二世、三世のメンバーを中心にした会員制の「金石(ジンシ)」というネットワークの存在を鮫島も知っていた。金石は、日本人や中国人も所属し、犯罪だけでなく一般ビジネスや生活に関する情報をやりとりする互助会的な機能を有するネットワークだった。
 しかし、鮫島は八石については知らなかった。矢崎は言う。このネットワークのハブとなる人間が8人いて、八石と総称されている。八石は相互に熟知しあった人間関係が築かれているのではなく、交流がある者もない者もいる。近い仲間以外には、名前や顔を知らないメンバーなのだ。八石の間でも、会員同士の間でもそれは同様である。
 高川和(たかがわなごみ)、仲間うちでは黄(ファン)と称される八石の一人が、矢崎に自分を保護してほしいと電話でコンタクトしてきたという。金石を支配しようとしているメンバーがいるようなのだ。そのネットワークでは、システムアップという建前のもとで、異変が起こりつつあった。

 勿論、鮫島は矢崎が接触して来たことと、その内容を阿坂課長に報告したうえで、この事案に関わっていく。矢崎は本庁警備部災害対策課所属であるが、北新宿の事件の事後処理について鮫島のサポートをするという名目で、新宿署生活安全課に通うということになる。鮫島と矢崎は、東葛西で自分の会社「フジ緑化」を経営する高川に直に会って事情聴取することから始めて行く。高川はオリナスというショッピングモールで事情聴取に応じた。
 高川は言う。八石だけの掲示板があり、八石は、自分(虎)以外に、徐福、雲師(ウンシ)、安期先生(アンキセンセイ)、鉄(テツ)、扇子(センス)、左慈(サジ)、公園(コウエン)というハンドルネームを使っている。高川は、鉄・雲師・安期先生の3人を知っているが他は知らない。徐福が黒石(ヘイシ)を兵隊として使っている。徐福が金石全体を牛耳ろうと考えている。逆らう者には黒石を差し向ける。黒石は一撃で頭を叩き潰すという伝説がある。高川は被害者のことを聞いたことがあるという。

 高川と会った4日後、矢崎から鮫島のパソコンにメールが届く。千葉県袖ケ浦市で石油化学プラントの研究員が死亡したという地方版記事である。頭を強く打ったことが死因と考えられている、警察は事件、事故の両面から捜査中と報道されていた。黒石について高川から聞いていた矢崎と鮫島は引っかかりを感じてまず所轄の木更津署に出向く。この事件への関わりが始まりとなる。

 このストーリーのおもしろい特徴と観点をご紹介しよう。
1.鮫島と矢崎の二人が捜査を担当する。鮫島は意見聴取のメリットを考え、鑑識係の薮を捲き込む。捜査状況は全て阿坂課長に報告する。結果的にこの4人がいわばタスクフォースとなる。

2.八石のハンドルネームからまず実在人物名を如何に特定していくか。それが捜査の中心になっていく。そのプロセスで、事件が次々に発生する。事件の発生は、手がかり、糸口となっていく。読者にとっては、この解明プロセスが興味津々の主軸になる。
 そのプロセスで、鮫島が扱った様々な過去の事件の記憶が、背景情報として重ねられ、また絡み合って行く。

3.鑑識係の薮は、鮫島・矢崎の捜査情報から、黒石の殺害方法の分析・解明に特化していくことになる。

4.黒石に殺されることを恐れる高川は、警察による保護を求めた。自己保身を優先する高川は、己の知る限られた情報とはいえ、それを鮫島・矢崎の求めに応じて、小出しに情報提供するというやり方をとっていく。
 
5.鮫島は、捜査の進展とともに、徐福が金石というネットワークをどのように改編させていこうとしているのか。その目的は何か。この点を重視し、分析・推理していく。
 このネットワークの存在目的と存在意義が、一つの問題提起になっていると思う。

6.このストーリーは、鮫島の観点からの叙述とパラレルに、犯行に及ぶ黒石の観点からの叙述が展開されていく。そこには、黒石は己の正体を絶対に見破られない。殺人の武器についても気づかれないという自信が表出されている、それはどこから生まれるのか。読者には謎めいたまま、ストーリーが進展していき、一層想像をかきたてられる。そこがおもしろい。
 さらに黒石は己を「ヒーロー」とみなしている。それはなぜ?
 黒石の放つ謎めいた側面に読者は引きずり込まれていくはずだ。

7.単行本の表紙には女性の石像が描かれている。この石像が重要な意味を持ってくる。
 事件全体のターニング・ポイントになっていく。お楽しみに。

8.中国残留孤児二世・三世が社会的に実在する。中国人と日本人との狭間の存在。四世ともなればただの日本人になる・・・。そこに著者の問題意識、社会的な歪みに対する認識があるようだ。根底に中国残留孤児に対するこれまでの政治・政策批判の視点が内在していると感じる。

 最後に、印象的な箇所を引用しておきたい。
*警察の存在理由は、犯罪の抑止にほかならない。その犯罪には、盗みや暴力だけではなく国家に対する反逆行為も含まれる。犯罪だと規定することで、国家にとって都合の悪い意見や立場を表明する者を捉えることが可能だ。
 法の執行機関は国家権力の擁護機関である。その事実に、警察官は自覚的だが、一般市民の多くはちがう。   p258

*「悪いことをしていなければ警察は怖くない」と考える者は、「悪いこと」の規定が政治によっていともたやすく変えられることに気づいていない。 p258

*残留孤児二世三世の苦労の記憶は薄れ、やがて忘れられていくかもしれない。それを是とするか非とするかは、当事者の問題だ。だが、当事者でもないのに記憶の風化を責め立てる人間は、何においても存在する。  p458

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<大沢在昌>作品の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 19冊


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