遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『月ぞ流るる』   澤田瞳子   文藝春秋

2024-07-23 23:32:01 | 澤田瞳子
 平安時代後期に『大鏡』という歴史物語が書かれた。これに先立つ歴史物語の始まりとなったのは『栄花物語』。『栄花物語』は正編・続編から構成される。正編を書いたのは赤染衛門と言われている。その赤染衛門が本作では朝児という名前で登場する。
 朝児の夫、大江匡衡は61歳で没した。二十歳の秋から、かれこれ30余年も連れ添った相手の死である。朝児が喪に服し、56歳の秋を迎えた時点からこのストーリーは始まる。そして、『栄花物語』として知られる物語を朝児が書き始める決意をかためるまでを描く。なぜ書くのかという朝児の思いが本作のテーマとなる。いわば、栄花物語を書こうと朝児が思ったバックグラウンドを描くストーリー。藤原道長が栄華を極めていく過程で発生する、道長と居貞(オキサダ:三条天皇)との政治的確執が中軸に据えられる。さらに、その渦中で生み出された一つの悲劇の解明がミステリーとして扱われていく。朝児がその解明に一役担う立場になる。。
 本作は、公明新聞(2019.7.1~2020.6.30)に連載された後、2023年11月に単行本が刊行された。

   天の河 雲の水脈にてはやければ 光とどめず月ぞ流るる

 『古今和歌集』に載る詠み人知らずの歌。ここに詠みこまれた「月ぞ流るる」が本書のタイトルとなっている。
 朝児が『古今和歌集』のこの歌が眼に止まったときの読み取り方は、次のように記されている。「天の川にかかった雲が風に流されてどんどん動いていく様を、まるで月が流されて行くかのようだと詠ったもの。夜の光景をおおらかに切り取った一首である。同じ空にかかる月と雲ですら、時に仲違いしたかの如く別の方角に流されてゆく。ならば同じ血を分け合った親子が異なることを考えたとて、何の不思議もない、そう気づけば美しい夜の景色を詠んだ歌の底に、多くの思いが渦を巻いているかのようだ」(p89)
 この歌が、このストーリーのクライマックスにも登場する。この歌が返歌として使われる。そこに新たな解釈が浮かび上がってくる。歌の奥行きが広がりシンボリックな歌となる。

 さて、本作の主人公朝児の身辺に変化が生まれ始める。
 一つは、宇治の妙悟尼の誘いにより、権僧正・慶円が東山山麓の顕性寺で法華八講を催す場に朝児が出向く。妙悟尼の誘いは、実は朝児を慶円に引き合わせるという意図があった。慶円に面談した朝児は、慶円の弟子である頼賢に和漢の書を学ばせる師となって欲しいと依頼を受ける羽目になる。それは頼賢が心中に抱く宿願に朝児が関わりを持つ端緒となる。
 慶円は叡山の高僧。加持祈祷に霊験あらたかで、先帝一条天皇に続き、三条天皇の崇敬をうけている僧であり、藤原道長とは対立する立場でもあった。
 居貞が東宮であった時、藤原道長の父・兼家の娘である綏子(スイシ)を妃としていた。綏子と源頼定の不義により生まれた子が頼賢だった。この子を居貞鍾愛の女御である藤原原子が長じて叡山に僧として入山させるままで育てたいと居貞に嘆願した。原子(淑景舎女御)は藤原道隆の娘であり、一条天皇の中宮となった定子の妹である。頼賢は原子のもとで生育していく。その原子が22歳の時に、口、鼻、耳から鮮血を流して死んだ。頼賢はその死を目撃した。その後、頼賢は叡山に移る。頼賢は、原子の死は、居貞の皇后で既に敦明親王を成している娍子(セイシ)が殺害を企んだものと考えていた。頼賢は娍子を敵視し、その証拠を掴むのが己のなすべき事と思い定めていた。このことを頼賢から聞かされた朝児は、頼賢の宿願達成の行動に巻き込まれていく。
 原子を殺害した証拠探しというミステリーが、このストーリーで、太い流れとして進展していく。読者の関心を喚起する大きな柱になる。

 二つめは、朝児が再び、女房勤めをすることに。その経緯が頼賢に絡む側面を持ちながら進展していく。
 朝児は若い頃、大納言・源雅信の姫君・倫子付きの女房として働いていた。そして、道長と倫子の娘であり、一条天皇の中宮となった彰子に仕える。道長一門を盛り立てるサポーター役の一人となった。
 その後、上記の通り、朝児は大江匡衡の妻として生きる。朝児の娘の一人・大鶴は道長の二女・妍子のもとで既に女房として勤めていた。つまり、母娘が女房として仕えることになる。
 父道長の思惑により、妍子は即位した居貞(三条天皇)のもとに入内していた。一方、道長は東宮となった孫の敦成を天皇にするために、できるだけ速やかに居貞(三条天皇)を退位させようと政治的画策を繰り返す。一方、居貞(三条天皇)は天皇であり続けることに固執する。道長と居貞(三条天皇)の間には政治的確執が渦巻いている。
 妍子は居貞(三条天皇)に冷たくあしらわれる状況にいて、居貞(三条天皇)の寵愛を切望する立場だった。妍子は居貞(三条天皇)との間に子を成したが、生まれたのは女児だった。このことに道長は失望する。

 女房勤めを再開した朝児は、宮廷内での政治的な権謀術数、確執を間近に観察する機会に触れるようになる。宮廷における様々な人々の生き様と思いを見て考え始める。
 次の箇所などは、その一例の記述と言えるだろう。
「ろくな後ろ盾のない娍子を寵愛して皇后の座を与え、その所生の皇子・皇女を慈しむ帝の情愛ある行動には、一抹の感嘆すら覚える。
 誰もがとかく易きに流れ、力ある者ばかり勝つ無常のこの世で、もしかしたら帝一人だけが哀しいほどに澄み、自分を含めた世人はみな濁れる酒に酔いしれているのではあるまいか」 (p196)
 
 読者にとっては、道長が全盛を極める時代の宮廷がどのような状況であったかを本作で具体的に想像しやすくなる。なぜ、御所で火災が頻繁に発生したのかの一因もなるほどと感じられることだろう。きれい事だけでは終わらない平安時代の世界が垣間見える。

 朝児が道長から女房勤めを要請された日、道長の屋敷で朝児は藤式部と出会う。そして、藤式部から「赤染どのほどのお方が家に籠もっておられるのはもったいない。一度、物語の一つでも書いてみてはいかがかな」(p113)と勧められる。
 この時、朝児と一緒に居た頼賢に、藤式部は物語論を語る。これは著者自身の物語論を重ねているように受け止めた。
「御坊は物語の意義をしかと考えたことがなかろう。よいか。この世のいいことや悪いこと、美しいことに醜いこと。それを誰かに伝えるべく、手立てを尽くし、言葉を飾って文字で描いたものが物語じゃ。つまり紛うことなき真実が根になくては、物語とはすべて絵空事になる。いいか、物語とはありもせぬ話を書いているふりをして、実は世のあらゆる出来事を紡ぐ手立てなのじゃ」(p114)と。
「ええい、歯がゆい。赤染どの、そうでなくともそなたは大江家の北の方。あれほどの和歌の才に加え、数多の史書を読んでこられたそなたであれば、『源氏物語』を超える物語が書けることは間違いあるまいに」(p115)
 この出会いが、朝児に一つの課題を投げかける契機になったとするところも、興味深い。

 このストーリー、ミステリー仕立てで流れを進展させながら、藤原道長、居貞(三条天皇)、妍子、頼賢という人物像を描こうとしたものと受け止めた。そして、朝児(赤染衛門)がなぜ『栄花物語』という新しい形式の物語のジャンルを開拓しようとしたのか。そこに朝児(赤染衛門)の人物像が反映されていると思う。
 たとえば、人物像を端的に描写した一節に次の箇所がある。
*満ちた月は、必ずや欠ける。その道理を知りつつもなお道長は、その手に望月を?まずにはいられぬのか。だとすればもはやそれは、滅びへとひた走る愚行でしかない。 p288
*人は他者と互いの悲しみ苦しみを補い合うことでつながり、その欠けを糧に育つ。ならば、この宮城において真に孤独で哀れな人物は、あの道長なのかもしれない。 p434
*誰かを強く憎むのは、自分自身を厭う行為の裏返しだ。ならばこれ以上誰かを憎悪し続けては、幼い自分にあれほどの慈愛を注いでくれた原子を裏切ってしまう。←頼賢 p394

 そして、その先に朝児は己が何を描きたいのかをつかみ取る。それが何かは、本書を開いてお読みいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『のち更に咲く』   新潮社
『天神さんが晴れなら』   徳間書店
『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在 22冊
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