かちこのアメリカ奮闘記その後

アメリカの大学院での登録栄養士(RD)を取得、帰国して日本の病院でNST奮闘中

終末期の医療~動物と人間の違い~

2016年08月16日 | 日本の病院での奮闘記

ここ一週間子供が風邪やら胃腸炎やらでお仕事をお休みして

看病に明け暮れていましたが、

動物病院で看護師をしている友人が会いに来てくれたので

旦那様に子供をお願いしていろいろ話をすることができました

その中で、ちょっと心に留まった内容を備忘録として書き留めておくことにしました

 

友人が勤務しているのは動物の高度医療の病院

基本的には紹介患者(動物って患者と呼ぶのかわかりませんが)のみ、

一般の動物病院では難しい手術などをすることが多いようです

その中には、急性期を乗り切っても体力が落ちてしまい、

食欲も落ち、十分に食べられるまで回復しない動物たちもいるとのこと

人間と一緒ですね

私の勤務する病院でも高齢の患者さんが増え、

手術や薬などで病気の治療が終わったあとも

食事が食べられずに、点滴をやめることができない方たちがたくさんいます

その場合どうするか・・・

 

点滴または胃瘻

 

議論の余地もなく点滴を延々と続け、退院できない患者さんたち

認知症があったり、弱りすぎて、意思疎通ができない方たちもたくさんいます

ただただ毎日天井を見つめ、または目もあけずに

点滴につながれたまま、ただ時間だけが過ぎていく・・・

それって幸せなのかな?

死なないでそこに存在するってことが幸せなのか、

そこに存在するってことが家族の幸せにつながっているのか・・・

点滴からその人に必要なエネルギーや蛋白を導き出して

主治医を説得して、

過不足なく栄養を入れることが私の役割ではあるのですが、

それは本当に患者さんのためになっているのか、

自問自答することも少なくありません。

 

友人の話では、動物が口から十分に食べられなくなったとき選択肢は3つ

①いつか食べられるようになることを期待して病院に入院して抹消の点滴を続ける

②胃瘻をつくって家に帰る

③何もせずに家で看取る

①は金銭的な負担も大きく、それほど長くは続けられないし、

②もなかなか介護が大変

というわけで③の、住み慣れた家へ戻って自然な流れで看取るということが多いようです

 

人間では、

ずっと生きていけるだけの十分な栄養を

中心静脈栄養で入れながら長期療養型の病院で生きていく

または老人ホームなどで胃瘻から延々と栄養を入れ続ける患者さんが多く、

③のように家で最期をむかえる患者さんはほとんどいないのが現状です

 

でも、患者さんはどれが幸せなのでしょうか。

私がペットを飼っていて、もし食べられない状況になったら③を選択すると思います。

それが自分の親だったら・・・

意識がなくて食事が食べられなくて、ずっと眠ったような状態のままだったら・・・

どんな選択をするのが本人にとって一番なのか、

家族はどの選択をしたら納得がいくのか・・・

 

動物なら迷わず③を選択するだろうなと思った私が

それが親だったら選択に迷いが生じると感じたことにもびっくりしました

 

 

人間だと医療保険や介護保険で家族の金銭的な負担が少ないため

食事がとれなくなって

意識がなくなって

全く反応がなくなっても

点滴で栄養を補給し

延々と入院している患者さんたち・・・

 

患者さん本人はそんな風に生き永らえることを本当に望んでいるのか?

膨大に膨れ上がって問題になっている医療費を、

このような点滴につぎ込んでしまっていいのか?

限りある病院のベットを、

限りある人的資源を、

このような患者さんたちに費やしてしまっていいのか?

答えは簡単には出ませんが

動物の終末期の現状の方がより「人間としての最期」

に近いと感じるのは私だけでしょうか

 

動物の医療と人間の医療。

遠いようで、すごく多くのことが共通していて、、

医療者や患者の家族の葛藤も共通していることを知り、

いろいろ考えさせられた一日でした


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