かちこのアメリカ奮闘記その後

アメリカの大学院での登録栄養士(RD)を取得、帰国して日本の病院でNST奮闘中

おばあちゃんの旅立ち

2020年01月19日 | 認知症の祖母の日々

先日、私の祖母97歳が誤嚥性肺炎でこの世を去りました

8年前に外傷性のくも膜下出血で生死の淵をさまよった後は、

認知症が急速に進み、食べ物を飲み込む力(嚥下)も弱くな

娘(私の母)に支えられての8年間でした

 

祖母は昨年の11月から誤嚥性肺炎で入院していたのですが、

正月には息子や娘、孫やひ孫たちも面会に訪れ

おばあちゃんもうれしそうにしていたようです

私は子供がインフルにかかったため、正月の帰省をあきらめ

1月11日から会いに行く予定にしていました

 

1月6日朝、看護師さんが病室を回ったとき、

「秋山さん、秋山さんのお誕生日は1月13日なんですね。

私の母も誕生日が秋山さんと一緒の1月13日なんですよ」

と声をかけ、おばあちゃんは目を細めて微笑んでいたそうです

看護師さんが各病室を回って、おばあちゃんの部屋に戻ってきたのは

その会話から30分ほどあとのこと。

おばあちゃんはすでに息をひきとっていたそうです

 

最後の日の、最後の会話が、ただ機械的な検温などではなく

おばあちゃん個人に向けて語られたものだったことが

とてもうれしく、

毎日ちょっとした声かけでおばあちゃんを笑顔にしてくれていたのかなと

思うと、看護師さんへ感謝の意が絶えません

 

私はおじいちゃんの病気をきっかけに、

栄養士として患者を支えるためにどうしたらいいのかと考えた末に

臨床栄養士となりました

でも、やっぱり患者さんの一番の身近にいるのは看護師さんだったんだな~。

 

おばあちゃんが微笑みながら最後のひと時を過ごしていたことがうれしかった半面、

温かい言葉をかけてくださった看護師さんに感謝をする反面、

自分が日々、患者さんの一助になれているのかどうか、

日々の自分の働き方を見つめなおさなければ・・・

思いました

 

おじいちゃんととっても仲が良かったおばあちゃん

ようやく天国のおじいちゃんに会えたね

これからは天国から私たちを応援してくださいね

<script type="text/javascript" src="https://i.socdm.com/sdk/js/adg-script-loader.js?id=95688&targetID=adg_95688&adType=RECT&displayid=1&async=true&flexibleOL=true&autoPadding=true&tagver=2.0.0&gp_hb_pb=43.00&gp_hb_adid=90bee8ff5ef726f8&gp_hb_bidder=openx&gp_hb_size=300x250"></script>  


おばあちゃんのより良いさいごとは

2020年01月04日 | 認知症の祖母の日々

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

 

新年早々ですが、これまでこのブログでもたびたび登場していた私の祖母(96歳?)が入院中です

私がアメリカに留学中に外傷性のくも膜下出血で倒れ、

そのあとは嚥下(飲み込みの能力)が低下して、

ゼリー形状やペーストの食事しか食べられない状態でした。

が、、、

家族の協力のもと、リハビリをして、数年かけて普通の食事が食べられるまでに回復して、

実家で在宅介護をしておりました

何度か体調が悪くなって入院したこともあったけれど、だいたい数日で退院し、

自宅に帰り、たまに遊びに来る孫に目を細めていたおばあちゃん。

認知症はあるので、一緒に暮らしている実の娘である私の母のことも

まったくわからない状態ですが、

3度の食事はおいしく食べれるし、

ひ孫が来ればかわいくてほほがゆるみっぱなし。

認知症があって、自分が誰だがわからなくても

なんだか幸せってあるんだな・・・

って思って見守ってきました。

介護をしている母親の苦労は増すばかりで、老老介護がいつまで続くのか漠然とした不安はありましたが、

いつか来る最後は自宅で家族で看取ってあげたい・・・と思っていました。

 

が、、、先日ショートステイ利用中に誤嚥性肺炎になり、緊急入院、その後なかなか食事が食べらなかったため、

迷った挙句、TPN(すべての栄養を賄うことができる濃い点滴)を開始しました。

肺炎が良くなって、栄養状態が改善すれば、もしかしたらこれまでのように

食事を食べられるようになるかもしれない、

そんなことを思いながら主治医に頼んでTPNを開始したのです。

でも、肺炎の治療が終わっても、栄養は点滴から賄っているのに、

なかなか目を開けない。

がんばってがんばって声をかけて、ようやく薄目を開けるけど、食事は数口食べたらすぐに寝てしまう状態。

傾眠・・・。

もう寿命なのだろうか・・・

TPNを開始せずに家に連れて帰って、自然な形で看取った方がよかったのだろうか・・・。

認知症があるので、自分の状態は理解できていないし、

毎日お見舞いに来る実の娘も、誰だかわからなくて、

たまに目をあければ病院の白い天井しかなくて・・・。

 

でもわかっていたことだけど、一度始めた点滴を今中止することは、

確実におばあちゃんには死をもたらすことになる・・・

そんな選択はやはりできず・・・。

 

自宅で看取ることの難しさ・・・

わかっていたけどやっぱり難しいと実感する日々です。

おばあちゃんはこれまで十分がんばった。

もうすでにおばあちゃんの人生のさいごは

介護を長年続けてきた母の人生の選択でもある・

私の母が、祖母のさいごをどうしてあげられれば、納得がいくのか、後悔しない選択になるのか・・・。

 

たくさんの患者さんたちの決断を見守ってきた私でも、自分のおばあちゃんの一番いいさいごは

どんな風なのか、迷いがたくさん。

私の母はたった一人の自分のお母さんの最後をどうしてあげたらいいのか、

揺れる毎日です

私にできることは・・・そんな母を見守るだけ・・・

どんな選択をしても、間違いはない・・・

自分の老後の生活の大半をおばあちゃんの介護に費やしてきた母に

納得のいく答えがみつかりますように・・・

 

昨年はブログのアップができずに、大変反省しております。

たまに見てくださる方がいらっしゃると思うと、今年こそは、感じたこと、学んだことを

少しずつでもアップしていければと思っております。

今年もよろしくお願いします


高Ca血症

2014年11月09日 | 認知症の祖母の日々

うちの祖母は認知症です

93歳

とってもかわいいおばあちゃん

転んで頭を強く打ち、脳出血の後、頭の傷が回復しても認知機能と嚥下機能はもとに戻らず、

その時から病院と施設、うちを行ったり来たりしながら生活しています

 

最近では2月ころから傾眠傾向になり、起こしても起こしても寝てしまう、食事中、スプーンを口まで近づけても

最後まで口に持っていく前に寝てしまう・・・

そんな状態で衰弱し、病院へ。

ようやく5月にギリギリの状態で退院しました。

祖母はやっぱり、ふらふらしていて、またいつ誤嚥して入院するかもわからないな~という感じでした

 

そんな中、自分の患者さんで高Ca血症という診断名で入院して来られた方がいらっしゃいました。

その方は一か月前まで整形の病棟に入院していました。

退院の数日前からカルシウムとビタミンDを処方されていたようです。

久しぶりにお会いした患者さんはほとんど何もコミュニケーションがとれないくらいぐったりしていて、ごはんどころではありません。

点滴を入れて、Caを下げてきたらようやく傾眠が改善され、食事が摂れるようになりました。

この患者さんを見ていて、祖母と同じ感じだな・・・と。

 

いつもは祖母の治療にうるさく口を挟まないように・・・と思っているのですが

介護をしている実家の母に電話をかけ、

祖母の血液検査でカルシウムを測ってもらうように先生に頼んでほしいとお願いしました。

数週間後、祖母の血清Caは11.2。

高Ca血症です。しかも、祖母のその時のAlbは3.1.アルブミンが低いと血清Caは低めに出るので、

補正して計算しなおすと、補正Caはなんと12.1

びっくりするほどの高Ca血症です。

そりゃ傾眠にもなるし、食欲不振にもなるわ!

そんなわけで、母親を説得し、主治医に活性型ビタミンDを中止してもらうようお願いしてもらいました

 

一か月後、食欲がばっちり戻った祖母は補正Ca 9.7 ばっちり基準内。

Alb3.4と改善していました。

高Ca血症があると腎機能にも負担がかかることもあり、悪化していた腎機能も薬をやめてから元の数字にもどっていました。

やっぱり薬ってこわいですね・・・。

 

そんなことがあってからすでに3か月。

今日母親から、「おばあちゃんの血液検査の結果を見て」と電話がかかってきました。

メールで送ってもらった血液検査はまた高Ca血症

どうやら一か月前に低Ca血症の副作用が起こりやすい薬を開始したので活性型ビタミンDも同時に再開したのだとか。

活性型ビタミンDを再開してから一か月ほどでまた高Ca血症になってしまったのです。

現在は傾眠もなく、ごはんも食べられていますが、腎機能の検査結果も悪化しており、

薬の副作用が様々な形で見え始めたところだったようです。

すぐに主治医に電話して活性型ビタミンDは飲まなくてもよくなりました

 

いやいや、薬ってこわいですね。

特に高齢では副作用が大きく出ます。

途中でカルシウムを測定して高Ca血症がわかったからよかったものの、

そのまま高Ca血症に気づかずに薬を飲み続けどんどんCaが上がっていったら

傾眠が続いてそのまま意識がなくなって、亡くなっていたかもしれません。

しかも93歳となれば、これが寿命、大往生。と何の疑問ももたずに・・・。

薬の副作用が原因だったのに「もう歳だから・・・」そんな風に亡くなっていく高齢者が

実はたくさんいるのではないかと強く感じます

 

しかし、こういったことに誰が気づくのか。気づくべきなのか・・・

訪問医は患者をトータルで看ます。

でも薬の専門家ではない。

元々の専門分野が何だったかにもよりますが、一人の人で全ての治療を完璧にすることは難しく、

特にたくさんの薬を飲んでいる高齢者の薬の副作用を疑い出したら

先生は寝る暇もなくなってしまいます。

発展した医療で助けられる人もいるけど、

陰で誰にも知られずに医療によって害を受けている人もいるのではないかと感じる今日この頃です

 


うちのおばあちゃん語録1

2013年10月13日 | 認知症の祖母の日々

一緒に住んでいる祖母は認知症があります。

病気は進行しているのでしょうけれど、日々の会話はなんとか成り立っています。

ちょっとした一言がかわいかったり面白かったり、不思議だったりするので書き留めてみることに・・・。

 

先日、お気に入りの壁掛けカレンダーを眺めながら一言

「このお花は全然枯れなくてすごいわね~」

「おばあちゃん、それ写真だよ

「えええ?写真なの???」

 

 

 


認知症の祖母と書道

2012年09月02日 | 認知症の祖母の日々

以前に書きましたが、私には認知症になった祖母がいます

それまでは全くぼけてなかったのに、家の中で転んで頭をぶつけ、外傷性のクモ膜下になってから、

それが引き金となって小さな脳梗塞も起こし、一時は意識もなく、体も動かせず、命も危険な状態でした

それが、家族の懸命な介護とドッグセラピー、病院や老人ホームのスタッフの方々のご協力もあって、

嚥下食ながら、自分でごはんを食べ、足もとは危なっかしいものの、

20-30mなら自分で歩けるようになりました

心配していた認知症もやや症状が軽くなり、今は家族のみんなのこともわかり、

老人ホームの中にもお友達が少しずつできてきたようです

先日も、私と祖母が手をつないで老人ホームの廊下を歩いていたら、

すぐ先に、先に進む車イスの姿が。

車イスに乗っていたのは101歳になるお隣の部屋のおばあちゃん。

車イスよりもおばあちゃんの歩くスピードの方が早かったので私が祖母に

「おばあちゃん、車イスの邪魔しないようにこっち側から通ろうか?」って聞いたら立ち止まって

おばあちゃんが私に小声で、「この方はあいさつするからちょっと・・・」って・

どうするつもりなのかな?と思ってみていたら

私の祖母は、先を行くおばあちゃんの車イスの後ろからおばあちゃんの姿をしばらく見ていて、

車イスの操作が一段落したところで、とっても自然に右手後方から近づき

追い越しざまに一言「こんにちは。」って挨拶したんです

そしたらあちらのおばあちゃんも「こんにちは」って私の祖母に笑顔で会釈。

「いつもお客さんが多くていいですね」「はい、おかげさまで」

って、、、一か月前なら考えられなかった会話!

90歳すぎてもぼけても、人間づきあい、あいさつから。

おばあちゃん達の中にも人と付き合う上での礼儀などがしっかり存在しているんだなと

思いました

 

ちなみに話が変わりますが、私の祖母の最近の流行は習字。

もともと書道を長く続けてきた祖母にとって、筆で字を書くことは

生活にしっかり根付いているようです。

6月の末に、七夕の笹につるす短冊に願いごとを書いてって看護師さんに言われて

ペンをとった時は「願い事」って言葉の意味も理解しているんだかしていないんだかわからないほど

認知がひどかったけど、その時にずいぶん長いこと短冊に向かい合って

書いた字が「習字」でした・

それもなかなか人には読めないようなつぶれた形のひどい字。

でもそんな状態でも習字って書いたのには驚きです。

きっと「習字がもっとうまくなりたい」って願い事だったのかな?

それとも「習字がまたできるようになりたい」って願い事だったのかな?

どちらにしても8月末までの段階でおばあちゃんの願い事はかなっちゃいました。

すごいことです。

おばあちゃんの奇跡的な回復と、毎日リハビリにも前向きに臨むおばあちゃんの姿勢に

いつもいつも励まされます。

そんな祖母も今月は自宅で引き取る前の訓練として、

何回か家に遊びに来ることになっています。

そしてそれが慣れたら家に外泊とかをして、徐々に家で引き取る練習をしていく予定です。

楽しみ楽しみ!

おばあちゃんが家に帰ってきたら、私もおばあちゃんと一緒に書道をやってみようかと

ひそかに楽しみにしています。