かちこのアメリカ奮闘記その後

アメリカの大学院での登録栄養士(RD)を取得、帰国して日本の病院でNST奮闘中

体の中と外

2012年09月06日 | 日本の病院での奮闘記

日本の病院で働き始めて一か月がたちました

ありがたいことに、すでに病棟を任されているため、

ご家族と医師の今後の治療方針や、

栄養補給の経路についての話し合いに立ち会わせていただくこともしばしばです

そんな中、気づいたことがあります。

それは、ほとんどの患者さんが、口から奥は体の中と思っているということです

でも医学的には実は消化管は体の外。

つまり、口から肛門まで、ちくわのように穴がつながっているだけで、口の中に入っても体の中に入ったとはいえないということです。

その証拠に人は毎日無数の雑菌を食事と一緒に食べています

無菌のものはほぼないといっていいでしょう。

なのに、なぜ毎日おなかを壊したりせずに、元気でいられるか、

それはちくわの穴に入った食べ物は、胃や小腸、大腸などから吸収されて初めて体の中に入ったことになるからです。

しかも、消化管から体の中に取り込まれる際には免疫という防御機能がはたらき

体に必要なものしか吸収しないという能力があるからなのです。

まれに、食べ物が腐っていたり、菌が増殖していたりなどして、

この防御機能をもってしてでもダメージがでてしまうことがあります。

でもそういった特殊な場合を除いては腸は体の免疫の約半分を担っているのです。

病院で働いているといろいろな患者さんに出会います。

飲み込みができなくなってしまったり、

癌などで食道に食べ物が通らなくなってしまったり、

癌の悪化などで食欲がなくなって食べれなくなってしまったり・・・

そういった患者さんには、必要な栄養を体に入れる方法として

経腸栄養(胃瘻など)と点滴(静脈栄養)の選択肢があります。

実は体の構造的には、口やのどを食べ物が通らないから近道をして

胃に直接食べ物を入れる経腸栄養は、生理学的には一番自然な方法といえます。

この場合、消化管を使うので体の免疫機能も働き、

口から食べるのに最も近い状態だといえます。

しかし、経腸栄養や胃瘻の話をすると多くの患者さんや患者さんの家族が、

「胃に穴をあけるなんて・・・そんなことするんだったら死んだ方がましだ」っていうわけです。

でも点滴の受け止めはなぜか違うんですね~。

なんでなんでしょう。

点滴こそ本当は体の中に直接薬剤や栄養を入れるわけですから

体としてはすごく不自然なことが行われていることになります。

なんといっても消化管を使わないため、ちょっとでも菌が入ったりすると

体全体にあっという間に菌がまわってしまって敗血症になって命の危険に陥ったりするわけです

しかも点滴は多くの場合体に針を刺したりしなければならないため、

苦痛を伴いますが

経腸栄養を長期的にやる場合はPEGといって、胃に穴をあけて、

閉じたりもできるようにするため、一回一回痛い思いをしなくてすむんです。

ピアスの穴をあけるときは痛いけど、穴が完全に落ち着いてからは痛くもかゆくもなく、

ただ、そこに穴が開いているだけ。。。といった状態に近いと思います。

胃につながるちくわの穴が、口とつながっているか、

ちょっと生まれつきの形とは違って、その穴がおなかにできているといった感じです。

 

でも、わかります。「胃に穴をあける」って響きからして怖いですもんね。

私も過去に祖母が胃瘻をしたとき、

なんでそんな怖いことしなきゃいけないんだ~。

おばあちゃんがかわいそう!!!って思った記憶があります。

どうしても家族がそう感じてしまう感覚、私もリアルに覚えています。

でも、栄養についていろいろ勉強した今となっては、私が食べれなくなったら

胃瘻してほしいと思います

 

なんとも、難しいですが、今私が理解していることを

医学的な知識のない患者ご本人や、ご家族の方にどうやって説明したら一番よくわかってくださるのか、、、

悩む日々です

みなさんも何かいい知恵があれば教えてくださいな。

ではでは、おやすみなさーい


認知症の祖母と書道

2012年09月02日 | 認知症の祖母の日々

以前に書きましたが、私には認知症になった祖母がいます

それまでは全くぼけてなかったのに、家の中で転んで頭をぶつけ、外傷性のクモ膜下になってから、

それが引き金となって小さな脳梗塞も起こし、一時は意識もなく、体も動かせず、命も危険な状態でした

それが、家族の懸命な介護とドッグセラピー、病院や老人ホームのスタッフの方々のご協力もあって、

嚥下食ながら、自分でごはんを食べ、足もとは危なっかしいものの、

20-30mなら自分で歩けるようになりました

心配していた認知症もやや症状が軽くなり、今は家族のみんなのこともわかり、

老人ホームの中にもお友達が少しずつできてきたようです

先日も、私と祖母が手をつないで老人ホームの廊下を歩いていたら、

すぐ先に、先に進む車イスの姿が。

車イスに乗っていたのは101歳になるお隣の部屋のおばあちゃん。

車イスよりもおばあちゃんの歩くスピードの方が早かったので私が祖母に

「おばあちゃん、車イスの邪魔しないようにこっち側から通ろうか?」って聞いたら立ち止まって

おばあちゃんが私に小声で、「この方はあいさつするからちょっと・・・」って・

どうするつもりなのかな?と思ってみていたら

私の祖母は、先を行くおばあちゃんの車イスの後ろからおばあちゃんの姿をしばらく見ていて、

車イスの操作が一段落したところで、とっても自然に右手後方から近づき

追い越しざまに一言「こんにちは。」って挨拶したんです

そしたらあちらのおばあちゃんも「こんにちは」って私の祖母に笑顔で会釈。

「いつもお客さんが多くていいですね」「はい、おかげさまで」

って、、、一か月前なら考えられなかった会話!

90歳すぎてもぼけても、人間づきあい、あいさつから。

おばあちゃん達の中にも人と付き合う上での礼儀などがしっかり存在しているんだなと

思いました

 

ちなみに話が変わりますが、私の祖母の最近の流行は習字。

もともと書道を長く続けてきた祖母にとって、筆で字を書くことは

生活にしっかり根付いているようです。

6月の末に、七夕の笹につるす短冊に願いごとを書いてって看護師さんに言われて

ペンをとった時は「願い事」って言葉の意味も理解しているんだかしていないんだかわからないほど

認知がひどかったけど、その時にずいぶん長いこと短冊に向かい合って

書いた字が「習字」でした・

それもなかなか人には読めないようなつぶれた形のひどい字。

でもそんな状態でも習字って書いたのには驚きです。

きっと「習字がもっとうまくなりたい」って願い事だったのかな?

それとも「習字がまたできるようになりたい」って願い事だったのかな?

どちらにしても8月末までの段階でおばあちゃんの願い事はかなっちゃいました。

すごいことです。

おばあちゃんの奇跡的な回復と、毎日リハビリにも前向きに臨むおばあちゃんの姿勢に

いつもいつも励まされます。

そんな祖母も今月は自宅で引き取る前の訓練として、

何回か家に遊びに来ることになっています。

そしてそれが慣れたら家に外泊とかをして、徐々に家で引き取る練習をしていく予定です。

楽しみ楽しみ!

おばあちゃんが家に帰ってきたら、私もおばあちゃんと一緒に書道をやってみようかと

ひそかに楽しみにしています。