『現代コリア』誌の平成十年十月号に
次の如く書いてある。
…日本政府が「朝鮮人からその名を奪い、
日本名を名乗ることを強要した」というのは
まったくの間違い…
「創氏改名」が実施されたのは昭和十五年
頃らしい。
『戦後新入幕力士物語』①の「力道山光浩」
の項に拠れば、同十八年頃に「金村光浩」と改
名云々とある。
彼は、序ノ口・序二段・三段目を各々1場所で
突破したが、幕下は昭和十七年夏から十九年
夏まで5場所を要している。
幕下時分に、名・実とも「日本人」になろう…
と、決意したのじゃぁないか。
次の如く書いてある。
…日本政府が「朝鮮人からその名を奪い、
日本名を名乗ることを強要した」というのは
まったくの間違い…
「創氏改名」が実施されたのは昭和十五年
頃らしい。
『戦後新入幕力士物語』①の「力道山光浩」
の項に拠れば、同十八年頃に「金村光浩」と改
名云々とある。
彼は、序ノ口・序二段・三段目を各々1場所で
突破したが、幕下は昭和十七年夏から十九年
夏まで5場所を要している。
幕下時分に、名・実とも「日本人」になろう…
と、決意したのじゃぁないか。
>>国技を司る力士が、朝鮮出身ではまずいだろう、と云うことで、スカウトにも関わった百田巳之吉に工作を依頼し、百田家の養子になることが出来たのである。
後にプロレスラーになった芳の里潤三が、二所ノ関部屋に入門した頃には、朝鮮人とは思えないほどの完璧な日本人に成りきっていたという。
>>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41000
「朝鮮人は横綱になれない」との理由で自ら髷を切り落とした説があるが、上記記事では進駐軍のアメリカ人と懇意になってブローカー業で稼ぐことを覚えたため、との説を提示している。ただ、
>>(廃業の理由は)本人は一生口を閉ざしていた。
とのことだ。