相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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本人の意思で…

2020-05-01 21:36:57 | 日記
 『現代コリア』誌の平成十年十月号に
次の如く書いてある。

 …日本政府が「朝鮮人からその名を奪い、
日本名を名乗ることを強要した」というのは
まったくの間違い…

 「創氏改名」が実施されたのは昭和十五年
頃らしい。
 『戦後新入幕力士物語』①の「力道山光浩」
の項に拠れば、同十八年頃に「金村光浩」と改
名云々とある。
 彼は、序ノ口・序二段・三段目を各々1場所で
突破したが、幕下は昭和十七年夏から十九年
夏まで5場所を要している。
 幕下時分に、名・実とも「日本人」になろう…
と、決意したのじゃぁないか。
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1 コメント

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金信洛 (shin2)
2020-05-01 22:24:07
>>兄弟子たちは、すぐに信洛が朝鮮半島出身者だと見抜き、「オイ、金、金」と呼んだが、信洛は、礼儀正しく素直に「はい、はい」と挨拶していた。
>>国技を司る力士が、朝鮮出身ではまずいだろう、と云うことで、スカウトにも関わった百田巳之吉に工作を依頼し、百田家の養子になることが出来たのである。
後にプロレスラーになった芳の里潤三が、二所ノ関部屋に入門した頃には、朝鮮人とは思えないほどの完璧な日本人に成りきっていたという。
>>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41000
「朝鮮人は横綱になれない」との理由で自ら髷を切り落とした説があるが、上記記事では進駐軍のアメリカ人と懇意になってブローカー業で稼ぐことを覚えたため、との説を提示している。ただ、
>>(廃業の理由は)本人は一生口を閉ざしていた。
とのことだ。
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