本県の研究者が全く知らないところで静かにしかも確実に進行する研究、
「多偏波干渉SARデータ解析ソフト(Windows版)」は一人の並外れた才能で僅か1ヶ月余りで完成したのです。
研究者の多くが合成開口レーダの複素数データの解析に手こずっていたり、諦めていた研究がデスクトップ上で簡単に視覚的に、又統計的に任意の画像範囲の情報をいとも簡単に取り出せるのです。
彼(主席研究員、M氏)は準大手のコンピュータ会社で中心的なソフト開発者として活躍していました。
超多忙な毎日に身も心も疲れ果てたのでしょう、退職して心身を休めている頃に、私は古い知人から紹介されました。この知人(H氏)はこの地方ではじめてパソコンショップを開業した人物で、H氏のショップには多くのパソコン青年や少年が来ていました。その中の一人がM少年だったのですが、その非凡さは少年のころからH氏に見出されていました。
H氏の波乱万丈の人生は壮絶です。
友人の紹介でH氏と知り合ったのは昭和55年12月(1980年)の小晦日です。
彼のパソコンショップでパソコン(ベーシックマスター・レベル2、日立)を買った時です。当時は初めてのパソコンショップでもあり、大層繁盛していたようです。
私は年末年始の休みの間、パソコンに夢中になりました。
H氏の協力で「ベーシックマスター・レベル2」をホビーとしてではなく、職場のパソコンシステムとして利用しました。
分析機器とのオンライン化や化学分析用のキャリブレーション、そしてレポート出力にいたるルーチン・システムを作り上げました。日立製作所の担当者なども見学に来られました。
H氏のパソコンショップも順調で社員も増えて表計算ソフトの開発や大手企業からのソフト開発の受注などをうけるようになりました。地元のTV局ではベンチャー起業として何度も紹介されるなど華々しい活躍をしていました。
この時期に開発したのがハンディタイプ(RAM)の「カルクベース」です。
また、
科学技術の計算や統計分析においても「FORTRAN」から「BASIC」プログラムへの移植などダウンサイジングが急速に進んだのもこの頃ではないでしょうか。
バブル経済が始まっていたのでしょうか?
H氏のパソコンショップを訪ねると大勢の若者で賑わっていました。
私はH氏のパソコンショップが大層繁盛しているように見えましたが・・・。