統計ブログはじめました!

各専門分野の統計技術、方法、テクニックなどを気ままに分かり易く例題をもとに解説します。

独立業務請負業(7)

2005-03-29 15:06:54 | 日記・エッセイ・コラム
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本県の研究者が全く知らないところで静かにしかも確実に進行する研究、
「多偏波干渉SARデータ解析ソフト(Windows版)」は一人の並外れた才能で僅か1ヶ月余りで完成したのです。
研究者の多くが合成開口レーダの複素数データの解析に手こずっていたり、諦めていた研究がデスクトップ上で簡単に視覚的に、又統計的に任意の画像範囲の情報をいとも簡単に取り出せるのです。
彼(主席研究員、M氏)は準大手のコンピュータ会社で中心的なソフト開発者として活躍していました。
超多忙な毎日に身も心も疲れ果てたのでしょう、退職して心身を休めている頃に、私は古い知人から紹介されました。この知人(H氏)はこの地方ではじめてパソコンショップを開業した人物で、H氏のショップには多くのパソコン青年や少年が来ていました。その中の一人がM少年だったのですが、その非凡さは少年のころからH氏に見出されていました。
H氏の波乱万丈の人生は壮絶です。
友人の紹介でH氏と知り合ったのは昭和55年12月(1980年)の小晦日です。
彼のパソコンショップでパソコン(ベーシックマスター・レベル2、日立)を買った時です。当時は初めてのパソコンショップでもあり、大層繁盛していたようです。
私は年末年始の休みの間、パソコンに夢中になりました。
H氏の協力で「ベーシックマスター・レベル2」をホビーとしてではなく、職場のパソコンシステムとして利用しました。
分析機器とのオンライン化や化学分析用のキャリブレーション、そしてレポート出力にいたるルーチン・システムを作り上げました。日立製作所の担当者なども見学に来られました。
H氏のパソコンショップも順調で社員も増えて表計算ソフトの開発や大手企業からのソフト開発の受注などをうけるようになりました。地元のTV局ではベンチャー起業として何度も紹介されるなど華々しい活躍をしていました。
この時期に開発したのがハンディタイプ(RAM)の「カルクベース」です。
また、
科学技術の計算や統計分析においても「FORTRAN」から「BASIC」プログラムへの移植などダウンサイジングが急速に進んだのもこの頃ではないでしょうか。
バブル経済が始まっていたのでしょうか?
H氏のパソコンショップを訪ねると大勢の若者で賑わっていました。
私はH氏のパソコンショップが大層繁盛しているように見えましたが・・・。


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独立業務請負業(6)

2005-03-26 15:26:48 | 日記・エッセイ・コラム
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大学生諸君もコーナリフレクター(CR)の設置に馴れ、各自の作業分担も自然に決り最後の一基を設置し終える頃には和気あいあいの雰囲気でした。ロープの結び方一つ満足に出来なかった大学生諸君だったけど、すべてのCRを設置し終えると、皆んなで真夏の眩しい大空を見上げました。大空に一筋の飛行機雲が東から西に流れています。
誰かが、
「あれは観測機かな?」


1万3千メートルの上空を飛行する観測ジェット飛行機が見えるはずもありませんが、助教授の携帯電話に観測が順調であるとのメールがJAXA(宇宙航空研究開発機構)から届きました。
こうして、
他県大学による本県のための溜池情報データの収集は無事終了しました。それから、1ヶ月後にJAXAから観測データが届きました。
その解析に当研究所の主席研究員であるプロフェッショナルSE(プロを強調して普通のSEと差別化しています)が
天才的な能力を発揮します。
この段階での彼(プロフェッショナルSE)はリモートセンシングの知識も、ましてや合成開口レーダのことも、そして多偏波干渉SARデータ解析や複素データ解析など全く知識が有りませんでした。
しかし、
彼の潜在的な能力は恐るべき力を発揮します。
研究者(助教授)のもとでの1日だけの学習で、何と1ヶ月程の独学で「多偏波干渉SARデータ解析ソフト(Windows版)」を作り上げてしまったのです。この天才的な能力に驚いた研究者(助教授)は次々と高度な解析の為の資料や文献を提示し、
またアドバイスを惜しまず彼の驚異的な能力を引き出して行きます。
合成開口レーダによる多偏波干渉SARの研究自体、それほどメジャーとは言えません。その地味な研究を淡々と長年続けられてきた研究者(助教授)の第1人者としての実力と人間的な魅力をに私は惚れていたのです。
そこに、何気なく参加した当所スタッフの恐るべき潜在能力の発現で、この研究は世界的な開発ツールとしての方向に発展して行きます。


本県の研究者が全く知らないところで静かに確実にです。


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独立業務研究請負業(その5)

2005-03-21 16:07:21 | 日記・エッセイ・コラム
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1980年から2000年の20年間、毎年1月から5月までの5ヶ月間休むことなくスギ花粉などの空中浮遊花粉の飛散状況を観察していました。
観測を始めた頃は注目されることもありませんでしたが、スギ花粉症が社会的な関心を集める様になり、東京都の観測事例などがマスコミで報道されると各地で観測の必要性がクローズアップされる様になりました。
私達の所へもTV局の取材があり話題になりましたが、その時に取材に来られたアナウンサーだったので、
私は思わず、
「アレー、あの時と同じですね!」
そのアナウンサーは私を覚えていないようで、
「あの時と言いますと・・・・?」
私は、スギ花粉の時の話をしますと、そのアナウンサーは思い出した様で20年前の想いで話しになりました。
地方のTV局では取材から編集や営業までもアナウンサーが担当するそうで、TV画面に華々しく映るアナウンサーも裏で色々な仕事をしている様です。
そうです、
スギ花粉の観測でも本県の注目は皆無でした。そして、今回の航空機搭載合成開口レーダによる溜池観測の研究も他県の国立大学の研究者と大学生と私達で、本県の溜池を研究しているのです。研究現場の取材TV局も他県の県会議員の紹介で来られたのです。
しかし、
宇宙からの溜池研究に必要なコーナリフレクター(CR)の設置には、地元の土地所有者にお世話になりました。
また、その日の正午と夕方のニュース番組では取材TV局からこの研究の模様や意義などが放映されました。


TVニュースに写りだされた若き大学生の汗が真夏の日差しにキラキラを光っていたのが何とも新鮮でした。


大学生諸君! 身体を使えば智恵が浮かぶゾ!