統計ブログはじめました!

各専門分野の統計技術、方法、テクニックなどを気ままに分かり易く例題をもとに解説します。

独立業務請負業(16)

2005-09-26 16:34:53 | 日記・エッセイ・コラム
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父の父ですから私のおじいさんですが、
私の記憶には素足にわら草履で杖をつきながら小1時間をかけ私の家に来ることがありました。
汚れたままで家に上がるおじいさんを母は嫌いらしく、おじいさんが来ると何時も不機嫌でした。
しかし、父はおじいさんに優しかった様です。
おじいさんは一人で離れの物置小屋の様な所で寝起きしていました。
それ程に、おじいさんの青田買い(米投機)の失敗で全財産を失った家族の生活は深刻で、
それ以来、おばあさんは亡くなるまでおじいさんを近づけることはありませんでした。
おばあさんが亡くなったとき、父や父の兄弟達がおじいさんを会わせぬ訳にはいかないと、
おじいさんをおばあさんの亡骸と対面させまし。
おじいさんはおばあさんの手を握ってうな垂れていました。諭されても離れようとせず、いつまでも手を握っていました。
父はおじいさんに優しかったと思います。
近鉄の車中でもよくおじいさんの話を聞かされました。


独立業務請負業(15)

2005-09-20 14:46:57 | 日記・エッセイ・コラム
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終戦間もない頃、父に連れられてこの地に来ていたのです。
父は土産物の製造と卸業をやっていました。近鉄吉野駅前から続く土産物店への売り込みです。
幼い私は近鉄駅の待合室で父が戻って来るのを待っていました。
すぐ戻るからと言って出かけた父が、
なかなか戻って来ないので今にも泣き出しそう顔で不安げに駅前の広場を眺めていました。
その時の風景が心象となって、今でも夢に出てきます。
近鉄吉野駅から大阪の難波に向う車中で、父の若い頃の話をしてくれました。
父が小学生の頃、学校から帰ると家財道具の全てに赤い紙片が貼られていたそうです。
そして、その日から生活が一変し貧乏を味わうことになったそうです。