お盆も15日、もうそろそろ街の喧騒も下火だろうとスーパーに買い物に出かけたらまだまだ沢山の人混みで、どこから湧いてくるのだろうこの人達は・・自分も含めですが・・・と思われるほど賑わいをみせていました。
見える人も見えない人もいるのがお盆・・と云えども、毎年この時期は大賑わいですね。
明日は京都は五山の送り火で明後日は熊野の大花火、まだまだ盛夏は続きそうです。
因みにお盆は毎年尾鷲で過ごします。息子達や娘が帰省したり友達が遊びに来たりと何かと気ぜわしいからです。
お陰で五山の送り火はしばらく見ていません。銀閣時裏手の大文字山は家から目と鼻の先で屋上から眺めると松明の燃えざままで確認できるほどです。おまけに周囲を見渡すと他の四山の送り火も見えます。
しかし、お盆は尾鷲です。
今年は13日に京都薬科大学で関西、中部地区の薬学生の剣道大会があり、その審判を依頼されていたので渋滞を避け12日の早朝に尾鷲を発ち13日に試合が終わる頃、夕方少し早めに退出させてもらいましたがやっぱり渋滞に掛かってしまいましたね。結局いつもより1時間以上掛かりました。
滅多に帰省しすることなどない娘が珍しく3日間も居たのにあまり顔を合わすこともありませんでした。
で、15日は終戦記念日、まだまだ戦争の傷跡は癒えていませんね。というか確認させられます。
そんな中やれ北朝鮮がミサイルを撃つとかアメリカと戦争・・と云うか一方的な壊滅作戦でしょうが、騒がれています。
それでも日本は呑気で相変わらず政治家達は些末なことで中傷合戦やっていますが「おいおいもうちょっとその外のことも深刻に対応せいよ」と言いたくなってきますね。まったく・・。
それでもやっぱり日常はのべつ幕無しに過ぎていきます。
今の日本の平和は先の戦争の上に成り立っていると云うことは毎年のように感じさせられます。
日本、日本人は戦後アメリカ統治の時代に刷り込まれたことそのままにやってきました。
教育という大変な武器でアメリカ(ここではマッカーサーと言って良い)は自らの欧米的価値観を押しつけてきました。
我々はそれを否応なく受け入れ最早72年が過ぎようとしています。
日本社会の国際化とかグローバルスタンダード化とかそう云う流れの中に置かれ、我々の思考を欧米化させる教育を受けて、と云うか受けさせられてきて今にいたっています。
なんとも隔たった回帰的、極右的な価値観(僕はまったくもって認めていません。うんざりしています)のことを言うのでは決してありませんが・・・また日本人というものの括り方も少々抵抗がありますが、まぁそれは良しとして、ここで言いたいのは、その誇りのようなものを持つ再確認するそういう姿は美しいと思えます。その事なんです。
今や我々はそういうことに気が付いて、じっくり歴史を見直して、思考して再認識して・・も良さそうな頃ではないでしょうかね。
勿論そんなこととっくにずっと唱えられている場面も多々あるのでしょうが・・・そんなこと思う訳です。
話は飛びますが、先進国とはどんなんでしょうか、経済規模だけのことだけで語られるものではないはずですがね。
泳ぎを止めることができないサメのように相変わらず経済発展の水平思想ばかりが気に障ります。縦の掘り下げた豊かさのようなものの追求・・という思考に何処かでシフトしないと本当の意味豊かさを謳歌できる先進国・・・と云うか成熟した国家にはなり得ないような漠然とした感覚がありますね。
何事も「足るを知る」的な思想が綿々と日本にはあるのですから・・・。
とまぁ、街の喧騒の中でそんなこと考えた訳です。
失礼します。
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