表題ですが、最近特にそう思うようになりました。
別にそのことで自分を卑下してる訳では決してありません。
逆に自慢げなくらいです。今のコロナ騒動の世間を見渡していると特にそう思いますね。
先般尾鷲市では市長と市会議員の選挙がありました。
結果僕の投票した人は落選しました。やっぱ自分は少数派なんだと思い知りましたね。
その時漠然とですが思いました「あーあ、こうして社会との関りがどんどん薄れていくんだなぁ」と・・・。
ただそれは決して寂しさとか焦りとかを伴うものではありません。
何故か清々として雑念が薄れていくような気持ちになり、荒野で確然とすくっと立つ自分のイメージがありありと見えてきました。
これは良いことだと心底思いましたよ。
話はそれますが、世界はというか人間は所詮、優劣、強弱、勝ち負け、貧富等々相対的なそんなことが基準に成り立っている訳で、そこから目を離そうとするならやる事は自ずと決まってきます。
それは自分の感性が喜んだりワクワクしたり感動したりする、誰と比較や対立することもない絶対的なその世界を自分の中で構築するしかなくて、そういった社会のシステムや価値観にどっぷりと浸ることなく自分磨きをする・・これに尽きると思うのですよね。
前にも書きましたが大好きな剣道とてそうです。所詮は争いごとの域は出ません。
精神の世界を磨き上げなければそうでしかないです。
西村先生(この方は剣道の奥義を知ってると思う。歯科医)が言っていました。
剣道家は結局「禅」・・的と言った方が良いかもですが、所詮そこまでしか行けないのだと・・。
更なる高みにある世界、スピリチュアルな精神世界にまでは行かない・・と。
僕の今の感覚ではそれはほんと遠い世界なのですが、逆にふと「何だか修行なんてホントはいらないんじゃないかなぁ」などと云う気持ちが頭をもたげたりしてくるのですよ。
生意気なこと云うようですが、僕は前からこの剣道のことについて別段特別にレベルの高いことやってるとは思っていませんでした。
行き着く先に「絶対感」のような感覚が生まれてこないと意味を見出せません。
まだまだですが、精神的には僕はその感覚がいつか忽然と生まれること、それを目当てに剣道をしている積りです。
僕の芸術的なものへの憧憬はこの反動かも知れません。
美しいものや美意識のような、そういう絶対的なものへの気持ちが常に脳裏にあります。
と云うことで、何だか独り言のようになりましたが、つい今の心境のようなもの書き出してみました。
マイノリティの話から随分と横道行っちゃいましたけど悪しからず。
まぁ、時々そうして精神衛生上のクリーンナップしているのですよ。
これは誰に言ってるものでもありません。自分との会話みたいなものです。
終わります。