新陰流(柳生新陰流とよく云われる剣の流派)の教えに「殺人刀」と「活人刀」もしくは「殺人剣」と「活人剣」とも云うものがあります。
ここでよく誤解されて使われるのが「活人剣」という言葉で、それは「剣とは人を活かす為のものである・・」と云うふうな理解であり、哲学的な剣の目的というか心の持ち方・・とまぁそんな感じなので、読者の方にも聞いたことがあったり、なるほどなぁと感じたりする方もいるかも知れません。
が、実はこの言葉そうではなく、もっと剣の勝負における現実的な恐ろしい意味合いがあります。
殺人剣もしかりですが、要は「殺人剣(刀」は相手を攻め、力の差で押し込んで何もさせずに切る・・と云うような意味です。
それに引き換え「活人剣(刀)」はもっとレベルが高く、相手を攻めてその気でもって相が動かざるを得ないような状態にもっていき先に動かすことによって生ずる隙を切るというような意味があります。
判りやすく云えば「後の先」的なことなのですが、もっと突き詰めれば「先先の先」というようなもので、これはかなり専門的な内容になりますので説明は控えますが、要は相手を先に動かす・・先に仕掛けさ、それに乗じてこちらが切るとか打つとか、とまぁそんなことです。
ですから恐ろしい殺し合いでの理合いのことな訳です。
で、最近考えていること。
八段審査の特に二次審査のビデオなど何度も目をこらして見ていると、やはり合格する人は多くの場合この「活人剣」的な技というか打ちを決めていますね。
専門的には「乗る」というような表現をします。相手の打ちの一瞬・・・いや一瞬よりももっと刹那というか、その位の微妙さで速く、面の場合は乗る、または出頭ら(出端とも云う)を打ちます。
これがポイントですね、やはり・・・。
思うに、僕の剣道はまだまだ殺人剣的なレベルで使う場合が多いようです。
これだと一次審査は良くても二次審査では難しいですね。
相手の技量レベルも格段に上がっているし、そう簡単にはいきませんが、この一本が決まれば僕の得意の返しや応じ技も生きてくるし確実に合格につながる可能性が高くなりますね。
このこと最近ずっと考えています。
今更になって気づいたと云うわけでもないのですが「実感してきた」ということかなぁ。
「活人剣」か・・・・まぁこれが極意ですなぁ、やっぱり。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます