月一の例会はいつものように大野アルプスで行われた。例年、12月と1月(百々ヶ峰)は場所が決まっており、2021年最後の例会となるはずだった。運動公園を9時に出発し、ゆっくりと大谷山、滝谷山、雁又山を経て、鉄塔の道を下りに使い、14時に公園に戻ってきた。終了の挨拶は少しいつもと違う雰囲気の中で行われた。この会の代表のKさんから代表を辞めるという挨拶があった後、役員であるYさんからこの会を解散することにしたと報告があった。今日の参加者30名の中には随分唐突な印象を受けた人もいるであろうことは容易に想像できた。解散の理由は代表がけがを負って、まだ回復には時間がかかること、参加者が年々高齢化しつつも、会員が45名、例会への参加者20名~30名と多く、例え易しい山を選んだとしてもけがなどの危険は高まり、役員の負担、責任は高まっていかざるをえないなどと推測される。もともとこの会は、20数年前にHさんが代表となって始められた会で、数年前にKさんが代表の職を引き継ぎされた。
私がこの会に入ったのは、2011年3月12日(なんと東北大震災の翌日)南宮山からだった。当時は月一の例会ではなく、月二だった。最初に驚いたのは、雨が降っても中止にならなかったことである。蕪山では土砂降りの中登り、雨具どころか傘をさしてお昼を食べた。冬には、ワカンを付けて土蔵岳や鍋倉山などに挑むのだが、毎回時間切れで山頂に達することはなかった。年間の計画はHさんが立てられ、1月には立派な冊子が配られた。そこには例会の山の詳しい説明や登山に当たっての注意みたいなものが満載されていた。申込みも全てHさんが把握していた。決まった会費もなく、ほとんどがHさんの持ち出しで行われていたと思う。私は2014年にOSKに加入したので、それからの活動の内容については承知していないのだが、北アルプスや南アルプスにも足を伸したと聞いた。2019年年末ににOSKを辞め、厚かましくながら、翌年の3月から再び月一に参加させていただいた。

2011年8月5日 冠山冠平

2012年3月3日 貝月山 なかなか山頂に立つことはできなかった 前おじさん、後Iさん
今どこの山の会でも高齢化が進んでいる。中には厳しい山の登山からハイキング、さらには飲み会中心の会となっていると聞く。さらに問題なのは目的の山までの移動手段であろう。人様を乗せるわけだから、自己責任では済まされない。かといっていちいちプロの業者を頼むわけにはいかない。昔の年寄りとは違い、今の年寄りはおじさんを含めてまだまだ元気だが、やはり山の事故さらには目的地までに起こるかもしれない事故が心配となる(うちの家内はそれを特に心配している)。しかし、年寄りにしてみれば、一人では行きたくないし、その自信もない。また、グループで登る時の会話は大きな喜びとなっている。月一のメンバーの中には、すでに複数の山の会に所属している人も多い。どこにも所属していない人には、是非自分にあった山ともやグループを見つけて欲しいと思う。
最後にこの会を長いこと運営されてきたHさん、Kさん、Yさん、Mさん、N女史に最大の敬意を捧げるとともに本当にご苦労様でした。再び一緒に登る日があることを祈ります。
付録 今日の大野アルプス




鉄塔の道

私がこの会に入ったのは、2011年3月12日(なんと東北大震災の翌日)南宮山からだった。当時は月一の例会ではなく、月二だった。最初に驚いたのは、雨が降っても中止にならなかったことである。蕪山では土砂降りの中登り、雨具どころか傘をさしてお昼を食べた。冬には、ワカンを付けて土蔵岳や鍋倉山などに挑むのだが、毎回時間切れで山頂に達することはなかった。年間の計画はHさんが立てられ、1月には立派な冊子が配られた。そこには例会の山の詳しい説明や登山に当たっての注意みたいなものが満載されていた。申込みも全てHさんが把握していた。決まった会費もなく、ほとんどがHさんの持ち出しで行われていたと思う。私は2014年にOSKに加入したので、それからの活動の内容については承知していないのだが、北アルプスや南アルプスにも足を伸したと聞いた。2019年年末ににOSKを辞め、厚かましくながら、翌年の3月から再び月一に参加させていただいた。

2011年8月5日 冠山冠平

2012年3月3日 貝月山 なかなか山頂に立つことはできなかった 前おじさん、後Iさん
今どこの山の会でも高齢化が進んでいる。中には厳しい山の登山からハイキング、さらには飲み会中心の会となっていると聞く。さらに問題なのは目的の山までの移動手段であろう。人様を乗せるわけだから、自己責任では済まされない。かといっていちいちプロの業者を頼むわけにはいかない。昔の年寄りとは違い、今の年寄りはおじさんを含めてまだまだ元気だが、やはり山の事故さらには目的地までに起こるかもしれない事故が心配となる(うちの家内はそれを特に心配している)。しかし、年寄りにしてみれば、一人では行きたくないし、その自信もない。また、グループで登る時の会話は大きな喜びとなっている。月一のメンバーの中には、すでに複数の山の会に所属している人も多い。どこにも所属していない人には、是非自分にあった山ともやグループを見つけて欲しいと思う。
最後にこの会を長いこと運営されてきたHさん、Kさん、Yさん、Mさん、N女史に最大の敬意を捧げるとともに本当にご苦労様でした。再び一緒に登る日があることを祈ります。
付録 今日の大野アルプス




鉄塔の道
