愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

目立った言葉:「パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」

2014-06-28 01:52:15 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは偽りの宗教指導者たちのパリサイ人とサドカイ人たちを「邪悪な姦淫の世代」と呼びました(マタイ16:1~4)。次いでイエスは、弟子たちに「じっと見張っていて、パリサイ人とサドカイ人のパン種気を付けなさい」、教えられました(マタイ16:6,11)。次のようにマタイの福音書に記されています。

「さて、弟子たちは向こう側に渡ったが、パンを携えて行くのを忘れた。イエスは彼らに言われた、「じっと見張っていて、パリサイ人とサドカイ人のパン種気を付けなさい」。それで彼ら(弟子たちは、「わたしたちはパンを少しも持って来なかった」と互いに論じはじめた。これを知って、イエスは言われた、「パンを持っていないことで、どうしてそのように論じ合っているのですか。信仰の少ない人たちよ。まだ要点が分からないのですか。それとも、五千人の場合の五つのパン、そして幾つのかごに拾ったかを覚えていないのですか。また、四人の場合の七つのパン、そして幾つの食糧かごに拾ったかを。わたしがパンについて話したのではないことを、どうしてあなた方は悟らないのですか。ただ、パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。その時、彼ら(弟子たち)は、パンのパン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人の教え気を付けよと言われたのだ、ということを会得した」(マタイ16:5~12)。

 イエスが、「じっと見張っていて、パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさいと言われたのは何故でしょうか。イエスは少し先にパリサイ人とサドカイ人に出会ったことを念頭において弟子たちを諭されました。当初弟子たちは、イエスの諭の意味を悟りませんでしたが、弟子たちはイエスの教えの要点を理解しました。パン種、つまり発酵させてパンを膨らませる物質は、腐敗を表すのに使われていた語だったのです。イエスが象徴的な話し方をしておられたこと、そしてパリサイ人とサドカイ人の教えに用心するよう警告されていることを理解しました。偽りの宗教指導者たちのパリサイ人とサドカイ人の教えには、パン種がパンを膨らませるように人々を腐敗させる影響力があることを教えられたのです。現在の神エホバの教えを教えない諸宗教も、同じように人々を腐敗させる影響力ありますので、神エホバはイエスを通してそこから「出なさい」と教えておられます(啓示18:4)。

           メガソーラ 完成連系 梅雨晴れ間 今日の一句

                   庭に咲いている「アジサイ」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤のユリと白のアガパンサス

2014-06-28 00:08:39 | 四季折々の花々

 ユリの花の美しい時期です。私の年代ではユリと聞けば、テッポウユリやヤマユリを思い浮かべます。しかし、最近は様々な種類、色とりどりのユリを見かけます。花期は5月~8月です。用途は切り花、鉢植え、庭植えです。花言葉は「純潔」です。

 今日は赤のユリと白のアガパンサスを紹介致します。

                   庭に咲いている「ユリ」

               通り道端に咲いている「アガパンサス」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目立った言葉:「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求める」

2014-06-27 00:50:02 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはご自分の後に付いて来る1万人以上の大群衆が三日も食事をしていないので哀れみを感じました。三日も何も食べていない人たちをそのまま家に帰すなら、遠くから来ている人たちは倒れる可能性があります。そのため、イエスはみ父エホバに感謝の祈りを捧げ、七つのパンと少しの小さな魚を割いてその大群衆に弟子たちを通して配りました。この度も大群衆は満ち足りるまで食べることができました(マタイ15:32~39)。それらの大群衆の大半は単にイエスの行う奇跡を見たい、と思う人々で、信仰を働かす人々ではありませんでしたが、イエスは、み父エホバの愛と公正、憐れみを示されました。次に偽善的な宗教指導者たちのパリサイ人とサドカイ人たちがイエスに近づきしょうとして、天からのしるしを求めた場面がマタイの福音書に次のように記されています(マタイ16:1)。

 「そこでパリサイ人とサドカイ人たちが彼(イエス)に近づき、誘惑しょうとして、天からのしるし(奇跡)を見せてくれるようにと頼んだ。イエスは答えて言われた、「夕方になると、あなた方はいつも、「「晴天になるだろう、空が火のように赤いから」」と言います。そして朝には、「「今日は冬のような雨降りだろう。空は火のように赤いが、薄暗く見えるから」と言います」。あなた方は空模様の解釈の仕方を知りながら、時代のしるしは解釈できないのです」」。邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めます。しかし、ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。そうして、彼らをあとに残したまま去って行かれた」(マタイ16:1~4)。

 偽善的な宗教指導者の「パリサイ人とサドカイ人たちが、イエスに近づき、誘惑しょうとして天からのしるし(奇跡)を見せてくれるように頼んだ」ことが記されています(マタイ16:1)。パリサイ人とサドカイ人たちは心が邪悪で、イエスを通して天の父エホバの愛と公正と知恵との特質やご意志をまなぶためにエホバからのしるし、つまり奇跡を見たいと、頼んでいるのではりません。もしかしたら、自分たちにイエスがみ父エホバから委ねられているを誇示するためにしるしを行うのではないかと、誘惑したのかも知れません。しかし、イエスはご自身を高めるためにみ父エホバからのを誇示することはありません。イエスはみ父エホバのご意志を行う時に正しく力をお用いになられますそこで、イエスはパリサイ人とサドカイ人たちに、空模様の状態を見て、晴天になるか、あるいは雨の日になるかの見分け方を知っていながら、「時代のしるし」、つまりイエスが地上に遣わされ、神の王国の良いたよりを宣明している業や、多くの病気の人々を即座に治す業、奇跡を行う力を見ながら、イエスはみ父エホバから遣わされているキリスト、メシアであることを理解できない邪悪を指摘されました(ルカ4:43;8:1.マタイ15:30)。ですから彼らののことを「邪悪な姦淫の世代」と述べ、み父エホバのご意志を学び、守り行わない、エホバの忌嫌われる事柄を行う人たちであることを明らかにされました。また(マタイ16:4)。彼らは「ヨナのしるし以外は何のしるしも与えられない」とイエスは指摘もされました(マタイ16:4)。この場面の先にイエスは、「見よ、ヨナ以上の者がここにいる」と証しされ邪悪な姦淫の世代しきりにしるしを求めますが、預言者ヨナのしるし以外は何のしるしもあたえられない」と、指摘されていました(マタイ12:38~41)。ヨナ書は、罪深い人間を扱う際の神エホバの憐れみ、辛抱強さ、辛抱、過分のご親切を表しています。ヨナ書に記されているこれらの教えや、ヨナ以上の者」・イエスが彼らの目の前にいる証拠のしるし以外は、彼らには与えられないことを教え、そこを去られています。

 イエスは常に神エホバのご意志を行う謙遜さを手本によって残されています(ペテロ第一2:21)。エホバのご意志を学び、守り行う「思慮深い人」として歩みたいものです(マタイ7:24,25)。

           良いたより 伝える家の バラの花 今日の一句

                     庭の「オミナエシと蝶」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノウゼンカズラとアガパンサスの花

2014-06-26 21:28:12 | 四季折々の花々

 ノウゼンカズラの花は、新梢の先にラッパ状の花を咲かせます。花びらは一斉に咲きますので、暖かくて華やかな雰囲気を醸し出しています。花期は7月~8月ですが、こちらでは6月半ばから咲いています。用途は鉢植え、庭木です。花言葉は「執着心」です。

 今日はノウゼンカズラとアガパンサスの花を紹介致します。

                  妻の実家の「ノウゼンカズラ」

                  庭に咲いている「アガパンサス」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目立った言葉:「わたし(イエス)はこの群衆に哀れみを感じます」

2014-06-26 04:08:56 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは、足のなえた人、不具の人、盲人、口のきけない人、その他多くの病気の人を治されました。大群衆はそのイエスの奇跡の業を見て非常に驚き、神エホバの栄光をたたえました(マタイ15:29~31)。次いでイエスは群衆に哀れみ感じられます。三日間も食事をしないで、イエスの周りにいた大群衆の1万人以上の人々に満ち足りる食事与えられました。その場面がマタイの福音書に次のように記録されています。

 「ところがイエスは弟子たちを自分のもとに呼んで、こう言われた。「わたし(イエス)はこの群衆に哀れみを感じます。わたしのもとにとどまってすでに三日になるのに、食べる物を何も持っていないからです。そしてわたしは、何も食べないままで彼らを去らせたくありません。彼らは途中で力が尽きてしまうかも知れません」。しかし、弟子たちは言った、「この寂しい場所で、これほどの群衆を満足させるだけのパンをわたしたちはどこで得るのでしょうか」。するとイエスは言われた、「あなた方にはパンがいくつありますか」。彼ら(弟子たち)は言った、「七つです。それに小さな魚が何匹かあります」。そこで、地面に横になるように群衆に指示してから、イエスはその七つのパンと数匹の魚を取り、感謝をささげてから、それを割いて弟子たちに配り始め、、ついで弟子たちが群衆に配った」。そしてすべての者が満ち足りた。また、かけらの余りとして、七つの食糧かごいっぱいに拾った。しかも、食べていたのは四千人の男であり、ほかに女や幼子たちがいたのである。終わりに群衆を去らせてから、イエスは舟に乗ってマガダン地方に入られた」(マタイ15:32~39)。

 イエスハは、ご自分の周りに集まっている大群衆を見て哀れに感じられました。それらの大群衆は男性だけで四千人いました。女性と幼い子ともたちが共にいましたので、男性と女性と幼子たちで合計1万人以上はいたことは間違いありません。イエスはそれらの大群衆に哀れみを感じられたのです。大群衆が羊飼いのいない羊のように感じられました。加えて、大群衆は、3日間も食事を取らないでいたからです。イエスは当然ながら、まず先に大群衆の空腹を満たすことを優先されています。さらに、注目すべき点は大群衆は必ずしもイエスに深い信仰を表したわけではありませんが、それでもイエスは愛と公正によって、満ち足りるまで食べさせました。イエスはみ父エホバの際だった善良さの手本を示されています。このようなイエス・キリストが1914年以来、天に設立されいる神の王国政府の王となられているのを知るのは、大きな喜びとなっています。

           四万十の 新緑映える 道走る 今日の一句

                庭に咲いている「ピンクのアジサイ」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする