聖書には、エジプトから脱出したイスラエル人が海辺に宿営している時、ファラオとその軍隊が、イスラエル人の宿営に追い付いたことが記されています。さて物事はどのように展開していくのでしょうか。聖書には次のように記されています。
「ファラオは近くまで来た時、イスラエル人は目を上げ、エジプト人が追ってきているのを見た。イスラエル人はおびえ、エホバに向かって(助けを)を叫び出した。そしてモーセに言った。「エジプトに葬る場所がないので、荒野で死なせるために私たち(イスラエル人)をここに連れて来たのですか。何ということをしてくれたのです。どうして私たち(イスラエル人)をエジプトから連れ出したりしたのですか。エジプトで、「私たちのことは放っておいて、このままエジプト人に仕えさせて欲しい」とあなた(モーセ)に言ったではありませんか。荒野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」。モーセは民(イスラエル人)に言った。「恐れてはなりません。しっかり立って、エホバが今日どのように救ってくださるかを見なさい。今日見ているこのエジプト人をもう二度と見ることはありません。エホバが皆さんのために戦ってくださいます。皆さんは静かにしていなさい」。
エホバはモーセに言った。「なぜ私(エホバ)に向かって(助けを)叫び続けるのか。イスラエル人に、出発するように告げなさい。あなた(モーセ)は、杖を掲げて、海の上に手を伸ばし、海を二つに分けなさい。イスラエル人が乾いた地面を歩いて海の中を通れるようにするのだ。私(エホバ)はエジプト人が強情になるままにしており、彼らは後を追って入って行く。こうして私(エホバ)は、ファラオとその歩兵、戦車と騎兵たちを打ち負かして自分に栄光をもたらす。私(エホバ)がファラオとその戦車と騎兵たちを打ち負かして自分に栄光をもたらす時、エジプト人は、私がエホバであることを必ず知る」」(出エジプト記14:10~18)。
上の聖句に記されている通り、イスラエル人が宿営している海辺にファラオとその軍団が近づいたのを見た時、イスラエル人はモーセに不平不満を述べています。それは、荒野で殺されると思ったからでした。人間は苦難や試練に直面すると、何が正しいかを見失い、信仰に堅く立てなくなることを教えています。そうした中で、神エホバは救出する方法を具体的に教えられました。それはモーセが杖を掲げ、海の上に手を伸ばすと、海が2つに分かれ、乾いた地面を通って脱出できるという内容でした。そしてエホバは繰り返し、ご自分に栄光をもたらす時、エジプト人は、エホバであることを必ず知る、と励ましました。そうすることによって、モーセが最後まで信仰に堅く立ち、エホバのご意志を行えるようにされています。
さらに、物事はどのように進行するでしょうか。引き続き次回に報告致します。
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