イエス・キリストはご自身が捕縛された直後に、使徒ペテロは、人への恐れから「イエスを知らない」と三度も否認しました(マタイ26:69~75)。それでも、イエスは贖いの死の3日後に復活し、ペテロに「小さな羊たち」を「養い」、「牧する」任務をペテロに与えました(ヨハネ21:15~17)。イエスはペテロを信頼し、イエスの追随者、弟子たちを世話する重い責任をゆだね、深い愛を示されました。
今日は、あなたは「キリストの愛を知って」いますか、ということについて紹介致します。何を学ぶことができるでしょうか。
神エホバの言葉は、イエス・キリストの愛を本当に美しく描写しています。では、私たちはイエスの愛にどのようにこたえ応じるべきでしょうか。聖書は、「知識を超越したキリストの愛を知る」ように勧めています(エフェソス3:19)。すでに紹介しました通り、イエスの生活と神の王国の良いたよりの宣教に関するマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書の記述から、イエス・キリストの示された愛について多くのことが学べます。とはいえ、「キリストの愛」をよく「知る」には、聖書がイエスについて何と述べているかを学ぶ以上のことが求められます。
「知る」と訳されているギリシャ語には、「経験を通して、実際的に」に知るという意味があります。私たちは、イエスが示されたような愛を表わす時、つまり他の人ために自分自身を私心のない態度で与え、人々の必要とするものに同情心を持って応じ、人を心から許すとき、イエスの気持ちを真に理解することができます。そのように、経験によって、「知識を超越したキリストの愛を知る」のです。そして、イエス・キリストのようになればなるほど、イエスが完璧に見倣った方エホバ、愛ある神エホバにいっそう近づける、ということも、ぜひ覚えてくだされば嬉しく存じます(ヤコブ4:8)。
次回は、聖書の教え、「愛のうちに歩んでゆきなさい」という内容をお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
どこからか 蜜蜂も来る ネギ坊主 今日の一句
整形外科医院玄関の「シクラメン」