今年は近くの池に一面にホテイ草が広がり、
雨の中、花を咲かせています。
近くで見ると涼しげな可愛い花びらをしています。
今日は雨の中のホテイ草と額紫陽花の花を紹介致します。
雨の中、近くの池に咲いている「ホテイ草」
雨の中、ご近所の庭の「額紫陽花の花」
今年は近くの池に一面にホテイ草が広がり、
雨の中、花を咲かせています。
近くで見ると涼しげな可愛い花びらをしています。
今日は雨の中のホテイ草と額紫陽花の花を紹介致します。
雨の中、近くの池に咲いている「ホテイ草」
雨の中、ご近所の庭の「額紫陽花の花」
聖書の教えを学んだことのない若い人のご意見を聴きますと、「今の若い人たちは、自分がどれだけ得をするのかの判断で友を選んだり、結婚相手を選び、愛などは考えていない」という説明を聞きました。すべての若い人の意見ではないとおもいますが、現在の風潮は「愛」が希薄になっている若者の象徴的な言葉と感じました。皆様方はどのように感じますか。私に答えて下さった方は、それでも、ご自身では、「自分たちのそのような考え方は間違っていて、自分たちが40歳代後半になり、日本の中心的な役割を果たす頃には、たぶん、自己中心的な考えゆえに日本は滅びるのではないか・・・」とも述べられました。私は「そのようにあなたが感じるのであれば、私たち人間の良心の働きが健全である内にみ言葉・聖書の愛は何と述べているかについて学ばれることをお勧め致します」とその方にお勧め致しました。今でもその方を定期的にお訪ねしています。若い方の意見から分かります通り、若い方も「愛」は人間にとって重要ということを知っていらっしゃるのです。
聖書の箴言に次の言葉が記されています。
「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦難のときのために生まれた兄弟である」(箴言17:17)。
皆様方も「真の友」に恵まれた方であれば、悲しみ、苦しみとの苦難の時に真の慰め手、励まし手の築き上げる愛で包まれたに違いありません。愛の人は、どんな時にも「真の友」となるのです。それはなぜでしょうか。聖書は愛は「結合の完全な絆」と教えています。ですから、愛の人は苦難の時の「真の友」となるのです。愛の結合の完全な絆は、離れることがないのです。
聖書は「愛」について次のように説明しています。「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実な事と共に歓びます。すべてのことに耐え、すべてのことを信じ、すべてのことを希望し、すべての事を忍耐します。愛は決して絶えません」(コリント第一13:4~8)。
この聖句が示しているような愛を身に着けた人は、「どんな時にも愛しつづけるもの」なのです。愛の人は「損得」で行動するのではなく、エホバ神の愛を学び、その愛に動かされて行動しているのです。この愛の最も優れた模範を示してくださっているのがエホバ神であり、そのみ子イエスです(ヨハネ3:16)。そのエホバ神は「愛」と説明されているとおりです(ヨハネ第一4:8)。そのエホバ神は私たちに近づくように促してくださって、「エホバの友」となるように導きを与えて下さっています(詩編15編。ヤコブ4:8)。
どんな時にも愛し続ける真の友は、愛の神エホバと愛の人であり、エホバ神が「友」と呼んでくださる方でもあるのです(ヤコブ2:23).
麦笛を 吹きし日遠く 懐かしむ 今日の一句
小雨の中、道端に咲いている「アベリア」