多分、私の中に初めてMacintoshという名前が登場したのは1995年のことだったと思います。
家でボーっと阪神淡路大震災特集のテレビ(ナビゲーターは久米宏だった気がします)を観ていたときに初めてインターネットという言葉を聞きました。あの災害時でもっとも早く情報を伝えられたのがインターネットだったそうです。確か、テレ朝の特集だったので真偽のほどは不明ですが、TブーS程の捏造は無いでしょう。
あのときのテレビで初めてインターネットを知り、パソコンの使い道を知りました。
そのテレビの後半は、何故か小学生がPowerBookとQuickTake(Appleが出していたデジカメ)で夏休みの宿題をやるという非常にサイバーな方向へ転んでいた気がします。
そして、その黒いノートパソコンは?
当時、パソコンと言えば高校で無理矢理使わされたよく分からない黒い画面のものでした。多分NEC98とかその辺のDOSマシンだったと思います。視聴者プレゼントでPowerBookが当たるというのをやっていたのでハガキを5枚は出したはずです。もちろん当たりませんでしたけど。
そのときは「PowerBook?なんじゃそりゃ?」です。
恐らく、あの特集のおかげでコミュニケーションツール=Macという図式ができたのかも知れません。
何故かあのときのインパクトが強烈でそれ以後ずっとインターネットという言葉が引っかかりまくり、そしてそのためにはMacが無ければ・・・、と。以後、暫く忘れてました。
その年の大学受験に思い切り失敗しました。
高校3年生当時、バンドをやっていた私は授業をさぼっては練習、早退しては練習、練習しては寝坊、で遅刻、な毎日。勉強などできるはずもありません。プライオリティは徳川将軍を覚えるよりもコードを覚えることでした。
内申点を上げるために引き受けた水泳部主将というアドバンテージも虚しく、推薦もどこぞの名も知らない大学ということでありがたく辞退していました。
今でもギターはビックリするくらい下手なのですが、趣味なので文句言わないでください。迷惑はかけませんので。
そしてめでたく浪人生となり、同じく大学受験に失敗したバンドのリードギターと共に地元の代々木ゼミナールに通うことに。
「AKIRA」が大好きだったので、当時発売されたケン・イシイの「JELLY TONES」にオマケで収録されていたムービーが観たかったのですが、当時良く出入りしていたレコ屋で「これだったらMacのCPUが68kでメモリが・・・」なんて当時は意味不明なことを言われていました。そのレコ屋の兄ちゃんはゴリゴリのDTM野郎です。不思議な呪文を聞いたような気分でしたね。そのMacって何?
受験のため東京に住む部活の友人の家へ宿泊。そこでその彼が所有していたThinkPadに入っていたWindows 3.1のソリティアにハマる。
なんとか大学に合格して花の都大東京へ!(正確には横浜です)
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