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♂♀(オスメス)
2004
花村萬月


先日、友人に勧められて、どれ読んでみるか、と読んでみました。
所さん風に言うと「ス・ゴ・イ・デ・ス・ネ~~~~」。
好感度タレントの上位に常に君臨する所さんがこの本を読んでいないことをを祈ります。

9割がセックス描写、もしくはそれにまつわる妄想で綴られています。
かといって、フランス書院文庫や黒い表紙の官能エロ文庫ではありません。熟読したことがないので分かりませんけど。

私の主な読書タイムは通勤電車なのですが、満員の通勤電車の中で"「せんせいいくいくいくいくいく」”なんて字面を追わせてどうしろというのでしょうか。
しかし、不思議なことに本作を読んでいても勃起することはありません。私のプライドの為ではなく本当にそうなんですよ。

ラスト際での終焉なイメージがものすごく刹那さを煽ります。今までのセックス描写がものすごく長い伏線ってところです。読んでいてもこの描写がセックスのことだとは思っていませんでした。多分。

村上春樹の小説で急にでてくるエロい描写の方が効果としては高いのですが、ベクトルが全く違うので比較対象にすらなりません。村上春樹を語る方の中で完全にそのエロを無視して語る方が良くいらっしゃますが、私はエロ抜きではあり得ないと考えています。あのエロシーンこそが妄想の局地。

大学生の時にほぼエロビデオ専門レンタルビデオ店で暫くバイトしていたことがあり、そこで相当鍛えられました。エロビデオが流れていようと、飯が食えます。多分、それに似た感覚なのでしょうか。冒頭からいきなりですし、それがいつ終わるかと思えば、終わらない。あまりにも供給過多になると消費者はとたんに飽き始めてサーッと引いていきます。それと同じ現象でしょうか。バランスが大事です。
ここまで書き連ねられると「あぁ、自分ってまだまだだな」等といらぬ上昇志向が芽生えてしまいますが、あまり感化されるといずれ新聞に載ってしまいそうなので程々にします。

手法としての考えなのですが、エロビデオのインタビュー部分は常に冒頭にあるのですが、これを中盤の5割ぐらいの頂点際での挿入というのは如何でしょうか。
男共と酒を飲む際にエロビデオネタになることは珍しいことではありませんが、あのインタビューシーンを尊重するか否かで食い違うことがあります。あれを蛇足と言ってはそれまでなのですが、ディテールを妄想する手助けとしては有効でしょうが、モチベーションを高める為としてはあまりにおざなり、かつフォーマット化してしまっているのが悔やまれます。もっと有効な活用があるはずなのですが。
今朝の通勤時に、明らかにそのシーンの撮影であろう現場を見かけました。撮影する側とされる側のダラダラ感がアウトプットにも出てしまう気がします。

セックス小説の類として高橋源一郎「あ・だ・る・と」という作品があるのですが、こちらはエロビデオ制作者サイドの手記というかルポの様な作品でしたが、最終的にはやはり根元的な哲学に入り込んでいました。嫌いな人は読む気すら起こらないでしょう。しかし、こちらは恐らくそれが書きたかったためのお話でしたのでラストで「救われた」感、満載です。

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