神が宿るところ

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正覺山 蓮前院 安樂寺

2021-05-22 23:26:49 | 寺院
正覺山 蓮前院 安樂寺(しょうかくさん ​れんぜんいん あんらくじ)。通称:元三大師 安楽寺(がんざんだいし あんらくじ)。
場所:茨城県常総市大輪町1。国道354号線「西中入口」交差点から茨城県道134号線(鴻野山豊岡線)に入って北へ、約3.2km。大きな寺号標と広い駐車場がある。こちらは南門で、表(正面)参道入口であるが、参道が長いので、本堂近くに行くのであれば、更に約400m進んだところ(案内看板あり)で右折(東へ)約170m、西門付近の駐車場利用が便利(更に進んで、境内にも駐車場がある。)。なお、「大生郷天満宮」(前項)からは東へ約2km(道路距離)。
寺伝によれば、延長7年(929年)、菅原道真の三男・影行(景行)が「大生郷天満宮」を創建した際、その別当寺として開いたのが始まりという。天満宮の総本社とされる「太宰府天満宮」(現・福岡県太宰府市)と同じ形で創建されたとされるが、それは、延喜3年(903年)に菅原道真が亡くなった時、棺を牛車に載せて運ぶ途中、牛車が動かなくなったところに「安楽寺」を建立して葬り、延喜5年(905年)に廟所が建てられたのが「太宰府天満宮」の創祀とされるからで、元々は「安楽寺天満宮」と称していたということに準じたものだろう(なお、大宰府の「安楽寺」に第60代・醍醐天皇の勅により社殿が建立され、神として祀られるようになったのは延喜19年(919年)である。)。当初は、現在地の北方、「古寺家(ふるじけ)」という場所にあったが、戦国時代の天正年間(1573~1591年)に北条氏と下妻城主・多賀谷氏との戦乱の兵火により堂宇が焼失、後に多賀谷氏によって現在地(字「満蔵(みてぐら)」。元は浄土真宗「西蓮寺」があったという。)に移されて堂宇を再建した。これにより「大生郷天満宮」と離れ、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後に多賀谷氏が改易となったため一時衰微したが、天海大僧正により江戸城の鬼門(北東)鎮護の寺院として徳川幕府の庇護を受けるようになり、「元三大師」を勧請して国家安寧の祈願所となった。徳川第3代将軍・家光から寺領20石の朱印状を受け、最盛期には末寺・塔頭など合わせて60ヵ寺を擁していたという。昭和30年の火災により本堂など多くの建物が焼失、現在の堂宇はその後再建されたものである。広大な境内には4つの門があり、祈願する内容によって「長寿門」(南門・表参道)、「子安門」(西門・西参道)、「福禄門」(東門・東参道)のそれぞれの門を通り、「諸願成就門」(中門)から本堂・元三大師堂に参って厄除け祈願するという。現在は天台宗の寺院(別格本山)で、本尊は阿弥陀如来。
因みに、元三大師というのは、第18代天台座主・良源(延喜12年(912年)~永観3年(985年))のことで、承平5年(935年)の大火事により根本中堂など多くの堂宇が焼失して荒廃した「比叡山 延暦寺」を再興した名僧として中興の祖とされる。朝廷から「慈恵(じえ)」の諡号を受けたので、「慈恵大師」と呼ぶべきであるが、命日が正月3日であったことから、「元三大師」の通称で親しまれている。元三大師・良源は、第62代・村上天皇の皇后の安産祈願をしたほか、現在も多くの社寺で行われている「おみくじ」の創始者であるともされる。また、良源が夜叉の姿となって疫病神を追い払ったときの姿を写したとされる「角大師」札や、観音の化身として33身の大師像を写した「豆大師」札も有名で、中世には元三大師・良源自身が厄除けの御利益ありとして彫刻や画像が信仰の対象となり、多くの天台寺院で祀られるようになった。そして、命日の正月3日には厄難消除・諸願成就の護摩供養が行われ、だるま市が開かれる。当寺院でも、毎年正月3日には、開運の福だるまを求める多くの参拝客で賑わうという。


厄除け元三大師安楽寺のHP


写真1:「安樂寺」表参道入口


写真2:表参道の杉並木。ここで、時代劇のロケ撮影がよく行われるとのこと。


写真3:「長寿門」(南門)。厄除開運、健康長寿、病気平癒を祈願。


写真4:「子安門」(西門)。家内安全、子孫繁栄、子宝成就を祈願。


写真5:「福禄門」(東門)。商売繁盛、福徳増長、招冨出世を祈願。


写真6:「お伽羅の供養塔」。民話によれば、鬼怒川が増水して堤防が切れそうになったとき、龍神の怒りを鎮めるため人柱を建てようということになり、身寄りのない「お伽羅」という娘を激流に投げ込んだ。洪水被害もなく済んだが、その後疫病が流行ると「お伽羅」の祟りだという声も上がり、その菩提を弔うために建てられたのが、この供養塔だという(この事件が明暦2年(1656年)に起きた史実とする資料もある。)。なお、当寺院は鬼怒川右岸(西岸)約600mのところにある。


写真7:鐘楼


写真8:手水舎と「権者井戸」。この井戸から元三大師が出現したという。


写真9:古代の石棺(?)


写真10:「諸願成就門」(中門)


写真11:「元三大師堂」。中門の正面にある。


写真12:本堂。中門を入って、直ぐ左にある。
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