神が宿るところ

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丸子神社(駿河国式内社・その5)

2010-09-14 22:53:20 | 神社
丸子神社(まるこじんじゃ)。祭神:金山彦命。
場所:静岡県沼津市浅間町4。JR「沼津」駅の南西、約1km。県道163号線(東柏原沼津線)沿いで、「浅間町」交差点の北東の角(かなり交通量が多い。)。駐車場有り。
社伝によれば、創建は崇神天皇の御代(在位:前97~前29年?)。崇神天皇は人皇第10代とされるが、実在性が高い最初の天皇ともいわれる(ただし、3~4世紀頃?のことらしい。)。創建時の祭神は金山彦命だが、景行天皇東国巡幸の際、国常立尊を祀るようになったともいう。また、旧社地は沼津市本字堂敷免にあり(写真1)、社地は方八町ともいわれる大社であったという。しかし、文亀年間(1501~1503年)の火災により社勢が衰え、更に天保2年(1831年)の火災によって、「浅間神社」(沼津市浅間町)の相殿となった。そして、明治10年(1877年)の「浅間神社」再建の際に、二扉一社となったとされる。
因みに、「浅間神社」は延暦20年(801年)、坂上田村麿が東夷征伐の際に富士山に戦勝祈願し、その凱旋時に創建されたという。後に「仙元沼津大明神」とも称され、特に武家の崇敬が篤かった。いずれも相当の古社だが、式内・式外の差か、二扉一社という形でありながら「丸子神社」は旧県社、「浅間神社」は旧郷社であった。
さて、「丸子」というと、静岡では、とろろ汁で有名な「丸子(まりこ)宿」を思い浮かべる。しかし、「丸子」というのは「麻呂子」であって、男子を指す。したがって、当神社は、誰か高貴な王子などを記念したものか、あるいは男子の集団、例えば軍団創設を記念したものではないだろうか(妄想?)。もちろん、これでは祭神が金山彦命であることは説明できない。しかし、もともと、当神社の由緒からしても、特に金山彦命が祭神である理由は説明されていない(江戸時代には、国常立尊を主祭神としていたらしい。)。


玄松子さんのHPから(浅間神社・丸子神社):http://www.genbu.net/data/suruga/asama3_title.htm


写真1:「丸子神社」旧跡。場所:沼津市。第一中学校の南側。社殿は鉄筋コンクリート製の立派なものだが、ここには神霊はなく、祭礼の際の御旅所となっているという。因みに、この旧跡の東に、やや広い市道が南北に通っているが、当神社の例祭の日(9月15日)には北の本田町まで市が開かれ、沿道に幟旗が立ったという。このため、北上するという意味も込めて、今もこの道を「幟道(のぼりみち)」と呼んでいる。


写真2:「丸子神社」・「浅間神社」鳥居


写真3:社殿正面
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