神が宿るところ

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波付岩

2023-12-09 23:32:03 | 磐座
波付岩(なみつきいわ)。
場所:茨城県石岡市染谷1548外。「常陸風土記の丘」駐車場入口付近から南へ約270mで右折(西へ。「石岡市B&G海洋センター」入口の向かい側に進む。)、約650m。途中、「石岡ストックヤード」(土砂置場)入口の先は道路が狭くなり、駐車スペースもないため、「常陸風土記の丘」駐車場に駐車し、徒歩で行くことをお勧めする。ただし、結構上るので、思ったより遠く感じる。
「波付岩」は、約2億5千万年~1憶5千年前につくられた砂岩・泥岩起源の雲母片岩と呼ばれる変成岩の岩山で、北方約1kmのところにある「龍神山」や式内社(論社)「(染谷)佐志能神社」(2018年9月29日記事)の「屏風岩」と同様の地質とされる。そして、この岩のあるところは標高約66mだが、かつては近くまで海の波が打ち付けていて岩肌に貝殻が付着していたために、その名があるという。ただし、現在はそのような痕跡は見られず、古い資料でも、筆者が実際に貝殻の付着を見たということではなく、そのような伝承があるとしているだけのようである。また、見た目が、波濤が押し寄せるようであることから「波築岩」、「波止岩」とも呼ばれていたとする資料もある。南方約900mのところには「恋瀬川」が流れており、古代にはそこまで「香取海」(現・霞ケ浦)が入り込んでいた可能性は高いが、もし「波付岩」に貝殻が付着していたとすれば、ここが波打ち際ということではなくて、貝殻の化石を付けた「波付岩」の地層が隆起したということが考えられる(因みに、約7千年前の所謂「縄文海進」での関東地方での海面上昇は、現在と比べて2~5m程度とみられている。)。
さて、「波付岩」の東側からは「波付岩遺跡」という縄文時代~古墳時代の住居跡が発見されており、石器や土器片も採集されているので、古くから人々が暮らしていた場所らしい。そして、かつては「波付岩」の上に国常立尊が祀られていたといわれ、また、当地の地名(字名)が「石倉」ということから、時代は不明だが、自然神信仰があったのではないかと思われる(国常立尊は大地・国土そのものを神格化した存在とされる。)。そして、この雲母片岩というのは、平たい板のように割れやすく、古墳の石棺材として使われている。こうしたことも、この岩が祭祀対象とされたことにも関係があるのかもしれない。


写真1:「波付岩」。土に埋もれているが、1つの岩山(岩盤)なのだろうか。大岩の前に石祠があるが、これが国常立尊を祀ったものと思われる。


写真2:同上


写真3:同上。横からみると、板状に剝がれやすそうであるのがわかる。


写真4:同上


写真5:同上


写真6:同上


写真7:同上


写真8:出羽三山神社の石碑。このような形で石材として利用されたようだ。
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