神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

空素沼神社

2015-09-05 23:07:55 | 神社
空素沼神社(からすぬまじんじゃ)。
場所:秋田県秋田市寺内高野2-17。旧国道(7号線)沿い、「古四王神社」の西端から北東へ約600m進むと白塗りの鳥居がある。社殿は、そこから北~北西に約150m。駐車場なし。
当地には元々「狼沢」という小沢と田地があったが、元禄元年(1688年)、一夜にして大沼になってしまった。その沼の形がカラス(烏)が羽を広げたように見えることから「空素沼」と呼ぶようになったという。あるいは、行ったものが帰って来ないということで「帰らずの沼」が訛ったものともいう。出羽久保田藩第9代佐竹義和公(1775~1815年)のとき大旱魃があり、当時有徳とされた「亀像山 補陀寺」の徳善、「正法山 長谷寺(通称:赤田の大仏)」の是山、「万国山 天徳寺」の義産を招いて雨乞い修法を行ったところ忽ち霊験があり、「空素沼」南岸に神社を建立して龍神を祀った。これが当神社の創建とされる。現在の祭神は高龗神(タカオカミ)。
ただし、「秋田県史」では、「日本三代実録」貞観7年(865年)条の「出羽国高泉神に従五位下を授与する」記事にいう「高泉神(たかしみずのかみ)」を当神社のことと推定している。「秋田城跡」付近では「高清水霊泉」など多くの泉があるが、「狼沢」=「大神沢」というのが1つの根拠とみられる。ただ、「狼沢」の読み方は「オホイヌサワ」で、付会の感が否めない。また、本来は「生稲沢(おいねさわ)」であるという説もある。こうしたことから、「高泉神」が秋田・高清水岡の泉を祀った自然神であったとしても、それを当神社に当てるのは無理があるように思われる。


秋田県神社庁のHPから(空素沼神社)


写真1:旧国道(7号線)沿い、「護国神社前」バス停付近にある「空素沼神社」の鳥居と石碑。後ろの建物は民家で、社殿はここから北東に約700mのところにある。


写真2:社殿への参道入口の鳥居。「空素沼神社」の扁額が掛けられている。


写真3:社殿前の鳥居と社号標


写真4:社殿


写真5:境内の題目碑。天満宮天神と空素沼龍神の名も見え、雨乞いの神だったことがわかる。


写真6:同じく境内の「小野小町塚」の碑。昭和18年に「おばこ川柳会」がおばこの代表として小野小町を選び、建立したものというが、何故ここに?


写真7:「空素沼」。確かに神秘的な感じがある。標高約30mほどで、丘(高清水岡)の中段辺りにある。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石龍神社(秋田県秋田市) | トップ | 両津八幡神社 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伊藤裕子旧姓鎌田)
2022-01-17 16:03:01
私は高清水小学校、高清水中学校で学び毎日のようにここら辺で遊んでいました。確かに学校の先生からはからす沼には絶対に入るな河童がいてお尻から内臓食べられると言われ誰も事故にあった人はいませんでした。道路から少し低くなっているしからす沼の上は素晴らしい桜のトンネルがあって初夏には甘い香りの白いにせアカシアの大木がありました。ですから、学校の行き帰りはそんな道を歩いて冬はスキーをはいて高清水の丘から滑って降りてきたものです。からす沼神社にはよく遊びに行きました。そのうっそうとした樹木には昭和20年○月○日と掘ってあり恐くなって近寄らなくなりました。風致地区で、私の通った小学校や中学校は全てなくなりました。本当に素晴らしいところで学んだということが、50年もたってやっとわかりました。本当にあそこはなんとも言えない神秘的な異国のようなところです。秋田からはかなり遠くに離れてしまいましたが、今でもあの美しい桜並木、ロシアアカシアの香りを思い出します。どうかあのままの姿でいてください。ありがとう!
返信する
Unknown (ブログ管理人)
2022-01-17 18:47:27
伊藤裕子さま、ありがとうございます。
秋田城址の公園に近い割に、あまり知られていないように見受けました。沼の面も静かで、とても神秘的です。いつまでも残っていると良いですね。
返信する

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事