神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

主石神社(常陸国式内社・その14)

2019-02-16 23:43:48 | 神社
主石神社(ぬしいしじんじゃ)。
場所:茨城県鉾田市大和田1028-1。茨城県道360号線「大和田」交差点から北西に約450m。駐車場なし。
社伝によれば、第29代欽明天皇の御宇(539~571年?)、村人が拾った小石が成長し、4~5尺(1尺=約30cmとして約120~150cm)までになった。ある夜、石が光り、老翁が現れて「吾は大山祇神である。庶民の愁いから護るため出現した。」と言って消えた。そこで、村人が石の上に祠を建てて、「主石大明神」と称したという。こうした経緯から、現在も祭神は大山祇命で、伊予国一宮「大山祇神社」(現・愛媛県今治市)の末社といわれたこともあるが、元々、霊石信仰が草創であることから、「大山祇神社」とは直接関係はないとされている。「延喜式神名帳」に登載された式内社「主石神社」に比定される神社であり、六国史にも記事があるとされるが、それは次の通りである。まず、「日本文徳天皇実録」嘉祥3年(850年)に「鴨大神御子神主玉神」を官社に列するという記事があるが、これを「鴨大神御子神」と「主玉神」の2つに分けて、後者を当神社のこととする。また、「日本三代実録」貞観3年(861年)には従五位上の神階授与の記事があるが、ここでも「主玉神」となっている。これを当神社のこととするについては、異論もある(「鴨大神御子神主玉神社」2018年8月25日記事参照)。


写真1:「主石神社」境内入口の鳥居と社号標。


写真2:境内


写真3:本殿。社伝によれば、祠に祀ってからも霊石は成長し、祠の縁板(床板?)を壊したそうな。現在の社殿は安土桃山時代の天正年間(1573~1593年)建立と伝えられるが、霊石の成長はいつまでだったのだろう。


写真4:鳥居を潜って直ぐ左にある小丘。上り口に注連縄が張ってある。


写真5:上ると、小祠がある。当神社の北西側にいくつか古墳跡があるが、この小丘が古墳かどうかは不明。
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