神が宿るところ

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大塚古墳(千葉県香取市)

2014-03-15 23:51:49 | 古墳
大塚古墳(おおつかこふん)。
場所:千葉県香取市岩部字大塚1084-1。県道16号線(佐原八日市場線)と県道44号線(成田小見川鹿島港線)が交わる「岩部」交差点から、県道44号線を東に約600m。駐車場なし。
「大塚」という名の古墳は多く、また、塚の上あるいは塚に接して神社が建てられているケースも多い。香取市岩部(旧・栗源町)にある「大塚古墳」もその1つで、殆どの地図にも史跡等を示す「∴」マークとともに記されているが、発掘調査は行われておらず、自然地形の可能性もあるとのこと。千葉県文化財地図では方墳とされているが、きれいな円墳のようにも見える。現在は円形の森のようになっており、航空写真で測ってみると、森の部分の直径は約90m。もし、これが古墳なら千葉県内でもかなり大きい方墳(または円墳)だろう。「大塚古墳」の付近では、「大畑古墳」(奈良時代頃の土師器・須恵器出土)・「コジヤ古墳」(円墳。石棺出土。現在は消滅)もあり、古墳であってもおかしくはない。因みに、「大塚古墳」の少し東の「コジヤ遺跡」から陶製の「瓦当笵」が出土している。「瓦当笵」とは、瓦当面を作るのに使用する「型」のことだが、多くは木製であったために現在まで残ることが少なく、全国的にも極めて珍しいものらしい。「コジヤ遺跡」から出土したのは、軒丸瓦の「瓦当笵」で、中央に蓮の花を図案化した「有軸素弁八葉蓮華紋」が陰刻されており、その文様から奈良時代のものと推定されているという。古代には、瓦は寺院か官衙にしか使われておらず、さほど遠くないところに古代寺院があったとすれば、この辺りに古代寺院を建立するような有力豪族が居たということだろう。残念ながら、この「瓦当笵」の文様を有する軒丸瓦は未だ発見されていないとのこと。
なお、この「大塚古墳」には「金の機足(はたあし)」が埋められているという伝説があるらしい。「機足」というのがどういうものかよくわからないのだが、織機の一部だろうか? 「大塚古墳」脇に「大畑公会堂」があり、「大畑(おおばたけ)」という地名に由来するが、本来は「大機」であり、本来は織物を製作する技術者集団が居たのではないかともいわれているようだ。そうすると、この辺りには、有力な豪族の庇護の下、機織りや瓦焼きなどの工房があったのかもしれない。
ところで、当古墳?の南西約600mのところに鎮座する「祖波鷹神社」(場所:香取市岩部1064。栗源中学校の西側)は、その名の通り「香取神宮」の第一摂社「側高神社」(香取市大倉。前項参照)の分社と思われるが、長保2年(1000年)の創建と伝えられている。ここは「大伴氏の奥津城」との伝承もあるとのことで、中世に千葉氏の一族である岩部氏の居城「岩部城」もあった場所ともされる(「岩部城」は「栗源保育園」から「栗源小学校」を含む広い範囲にあったと考えられている。)。一説に、「岩部」という地名は、本来は「祝部」ではなかったか、ともいう。


写真1:「大塚古墳」。県道に面している。


写真2:現状は、雑木が繁った小山


写真3:祠に向う参道?


写真4:墳頂にある祠。神社名・祭神等不明
コメント (4)
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