備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

87.當麻神社

2008-06-17 22:54:17 | Weblog
當麻神社(たいまじんじゃ)。
場所:岡山市中区米田630。百間川が操山にぶつかり、東へ進み、北に回りこむところの右岸(西岸)、操山の北東端に鎮座。駐車場はないが、鳥居前に1~2台程度は駐車できるスペースはある。
ちなみに、下記のHPの説明では「もと米田306番地の鎮座であった」とする。その場所は、登記図面などからすると、現在の当社の北、百間川が大きく南に曲がる辺りの河川敷の中である。百間川の右岸に「百間川米田第一緑地」というところがあるが(単なる「空き地」のようだが)、その堤防の内側の辺りのようだ。
当社は當麻氏の氏神として祀られたものとみられるが、詳細は不明。かつて当麻村と岩間村が合併して米田村となり、その後の岡山市への編入により大字米田となったが、当時「当麻」は「てぇま」と読んでいた(現在は「とうま」)らしい。当麻氏は用明天皇の子孫であるとの伝承があり、天武元年(672年)に吉備国守であった当麻公広嶋が大友皇子方の手によって殺害された、という記事が歴史上に当麻氏が登場する最初である。「吉備国守」だったのだから、吉備に「当麻神社」があってもおかしくはないが、ほかには同神を祀る神社を見かけない。なお、「岡山市史(古代編)」(昭和37年10月)は、延暦七年(788年)に備前国司となった当麻王が約10年の任期を勤めたので、この間に、この地に私墾田を開いたのではないか、との推測をしている。 
さて、江戸時代に神社の統合で付近の4ヶ所の神社を合祀して「五社大明神」と称したといい、鳥居の扁額も同名である(地図上の記載も同じ。)。
なお、当社の西約300mに「岩間神社」があり(道が狭く、駐車できるスペースも無いので注意。)、同社も神名帳所載の「當麻神社」であるとしている。ただし、岡山県神社誌(昭和56年4月)によれば、宮司さんはどちらも同じようだ。どういう事情なのだろうか。

岡山県神社庁のHP(當麻神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01087

同(岩間神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01080


写真上:當麻神社(五社大明神)


写真下:岩間神社(岩間権現宮)

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