備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム150.矢坂山・富山城址(その1)

2009-04-19 23:19:46 | Weblog
岡山市北区大供表町に鎮座する式内社「天石門別神社」は、もとは矢坂山(132m)山上にあったのではないかという説があることは、同神社の項(2008年6月21日記事)に書いた。矢坂山という名は「弥栄」から来ているという説もあり、これも「聖なる山」らしい。中世には「富山城」が築かれ、最近も北側は万成石の採掘場となって大きく削られるなど、古代とは大幅に変わってしまっていると思うが、今もなお磐座らしい岩もあるというので、現地に行ってみた。
JR「大安寺」駅のすぐ横の踏切を渡り、北へ進むと東西に走る旧道があり、角の上正野田公会堂を左(西)に行けば「松山長昌寺地蔵石仏」がある(写真上)。矢坂山への登り口は右折(東へ)し、更に山側の狭い道に入る。題目石のあるところ(大安寺中町13という住所表示がある。)を登っていく。「うおみやま・とみやまじょう」という案内板が随所にあり、登り始めは散在する墓地への分岐に迷いやすいが、墓地群を抜ければ間違うことはない。ただし、ここを登る人の関心は「富山城址」らしく、岩への案内はない(当然か。)。気をつけてみれば、木立の中に、立石(写真上)や平らな大岩(ここには「展望所」の案内板がある。)がある。(以下、次項に続く。)


「沸茶の庵」さんのHPから(富山城跡):http://putcher.sakura.ne.jp/shuuhen/siro/okayama/tomiyama/tomiyama.htm
登り口の写真が載っているので参考に。


写真上:「松山長昌寺地蔵石仏」(大安寺西町)。いわゆる磨崖仏であるが、もっと上の方にあったのが、落ちてきたものという。応永10年(1402年)の銘があるが、「松山長昌寺」がどこにあったか不明。


写真中:細長い石を立てたもの。特に案内はない。


写真下:「展望所」の平らな大岩。山の中腹だが、眺めが良い。