備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム147.徳倉城址

2009-04-03 22:02:59 | Weblog
備前国内神名帳に載る古社「徳藏神社」(2008年6月24日記事)は、岡山県神社庁のHPによれば「徳倉山上」が鎮座地であったとされている。そこに山城が築かれ(案内看板に、康安2年(1362年)に高師秀守城という記事が太平記にあるとのことで、その頃までには築城されていたようだ。)、当神社は山麓に遷座したのだろうと思われる。ただし、この山(232m)の名前はいろいろで、「御津郡誌」(明治39年7月。ただし、参照したのは昭和47年9月復刊のもの)では「遠藤山」、「御津町史」(昭和60年3月)では「戸倉山」となっている。ちなみに、北西に「土倉山」(402m)という別の山があるが、これも「とくらやま」である。どういう関係なのだろうか?
さて、戦国時代頃の山城としては石垣などの遺構がかなり残っており、県指定史跡となっており、地元の方の努力のおかげだろう、登山道もよく整備されている。本丸跡には「妙見宮」が勧請されているというので見に行ったが、写真下のような小祠で、かなり傷んでいる。他に、磐座のようなものがないかと探したが、特にないようである。あるいは、築城の際に石垣の一部に使われてしまったのかもしれない。「妙見宮」も、おそらく「徳藏神社」と関係はなく、妙見菩薩は日蓮宗も尊重するので、御津金川が松田氏以来の備前法華の本拠地であったことによるものだろう。「徳藏神社」は「七曲神社」の摂社「春日神社」として再興され、現在の祭神にも天児屋根命が入っているが、本来はどのような神を祀ったのか、よくわからない。

「のぼるさん」のHPから(徳倉城跡):http://www.kct.ne.jp/~itadani/tokurajou.html


写真上:「徳倉城跡」案内看板


写真下:本丸跡の「妙見宮」