備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム133.清田八幡宮

2009-02-25 22:24:59 | Weblog
八幡神社(はちまんじんじゃ)。通称:清田八幡宮(きよたはちまんぐう)。
場所:倉敷市曽原1124。県道21号線(岡山児島線)から、水島インターチェンジの1つ東側(岡山市側)の交差点、コンビニ「セブンイレブン倉敷水島インター店」の向かい側(南)の道路に入ると、正面に鳥居が見える。駐車スペースあり。
創建年代は不詳だが、社伝によれば、神功皇后が所謂三韓征伐からの帰路、児島の「田槌の浦」に立ち寄ったことを記念して、その行幸した地を「清田」として八幡神社を建立したことを起源とする。「清田」は現社地の約1km北の辺りという。その後、いったん粒江「清滝山」に遷座したが、長徳3年(997年)現社地に移り祀られたとされる。八幡雄島宮・八幡和気宮と並び、備前国でも最古の八幡宮という。なお、下記の倉敷市教育委員会のHPでは、現社地への移転は承久元年(1219年)としているが、これは「児島郡誌」(大正4年9月)の記載によるものと思われる。このとき、当神社の別当であった「法輪山一等寺」(ただし、当時はまだ「一等寺」という名ではなかった。)が、新熊野山の寄進により社殿を建立したと伝えられる。
「児島一島の総鎮守」と呼ばれ、備前国内神名帳に載る「八幡神社(八幡明神)」に比定される最有力候補である。西行法師が当神社に2度訪れ、2度目には「昔見し松は老木になりにけり わが年経たるほども知られて」と詠んだといい、境内に「腰掛石」というものもある。ただし、この歌を詠んだ場所は「児島にある八幡神社」というだけで、当神社のことであるという確証はないらしい(例えば、岡山市南区郡にある「八幡若宮」にも同じ歌碑があるという。)。
西行が腰掛けたかどうかは別にして、あるいは、この石は「鎮座石」のような古代祭祀用の石だったかもしれない(また妄想?)。そうであれば、神功皇后云々はともかく、古い由緒のあることは感じられる。


岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06017

倉敷市教育委員会文化財保護課のHPから(清田八幡神社本殿):http://www.city.kurashiki.okayama.jp/bunkahogo/shitei/sub4_kiyotahachiman.htm


写真上:清田八幡宮の鳥居


写真中:参道途中にある西行法師像。ここは寺院か、と一瞬錯覚。


写真下:清田八幡宮本殿。県重文。