東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

旧日光街道を千住まで

2022-01-21 | 散歩

  閻魔さまの寺に行ったので
  ついでに旧日光街道を歩いてみようかな。
  芭蕉が奥の細道へ旅立った千住大橋から
  北千住の宿場町通りまで一本道をぶら歩きです。

 

   まず旅立つのは荒川区の素戔嗚(すさのお)神社。
   今年初めての訪れとなります、いきなり目に入ったのが「おみくじの木」、
   こんな"木"が他にも3本、たくさんの人が訪れたんだなぁ。

 

 

   ここは千住大橋のたもと、芭蕉が近くから旅立ったというので
   この神社にも関連の展示があります、
   また、芭蕉出立の日と同じ3月27日には
   「奥の細道矢立初め全国俳句大会」が開かれます。

 

 

   たまたま訪れたんだけど境内には
   「名所江戸百景、千住の大橋」の絵が展示してありました。

 

 

   素戔嗚神社からすぐに千住大橋、
   芭蕉は現・新大橋近くの庵から舟で隅田川を遡り
   ここ千住大橋で降りて陸路を奥州へ向かいました。

 

 

   千住大橋を渡ったところに「大橋公園」。
   芭蕉はここで舟を降り陸路奥州へ向かいました、
   日光街道沿いに立つ「奥の細道・矢立初めの地」の碑。

 

 

   小さな小さな公園、小さな滑り台が一個あってそれで終わり、
   芭蕉の旅立ちを記念する公園なのでこんな碑もあります。

 

 

   さらに向かいには大きな絵、芭蕉の行程図。
   この公園からは隅田川のテラスに降りられ
   護岸にはさらにいろいろな関連図が描かれています。

 

 

   大橋公園を出て大橋からの道を下ると日光街道と旧道の分岐点、
   足元の道が現日光街道、向こうの車が走っている道が旧道になります。
   右に「足立市場」が、これも重要なところで
   かつて「やっちゃ場」と呼ばれていた市場があったところ
   戦前には多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。

 

 

   日光街道と旧道の分岐点にある"道標"、
   旧道へ入るともういいよと言うほど似たような道標が並んでいます。

   ここから旧道を行きかつてのやっちゃば跡を歩いて
   千住「宿場町通り」まで行ってみましょう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月17日  旧日光街道、芭蕉旅立ちの地

          

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2 コメント

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Unknown (くぅ)
2022-01-22 09:57:09
おみくじの木の白いのは結んであるおみくじ?
おみくじが小さいのか、木が大きいのか・・・(^^ゞ

芭蕉さんよくぞこんなに歩いたもんだよね。
心をつき動かしたものはなんなんだろう?
興味や関心?
jugemuさん、現代の芭蕉さんだね。
自転車で諸国漫遊はどう?(^ー^* )フフ♪

わたしはウシみたいに、
食っちゃ寝食っちゃ寝が合ってる。(~_~;)

2317・・・ぅん?どの兄さん(((‥ )( ‥)))
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くぅさん (jugemu)
2022-01-22 12:42:49
おみくじの木ねえ、ほんとは竹なんだけど。
神社はウハウハでしょうね、印刷代しかかからない、
そんなことを言ってると罰が当たっちゃうかな。

芭蕉が旅に出たのが45歳のとき、
当時の年齢とすればかなりの歳となるのでしょう。
2,400キロ、7月ヶ月をかけての旅でした、
何らかの使命感でしょうか
お釈迦様が悟りを開いたような、、、。

私は毎月400キロくらいは走っているので
頑張ればやれるかな、でもけしかけないで。
今も24キロ走って帰ってきたところです、
もう趣味とか興味ではなく義務感しか感じない。

喰っちゃ寝、、、じゃなく飲んじゃ寝!ですわ
食う方は歯がダメなので生きるためにだけ、
2317、生まれ変わったら歯を大事にしなきゃ。(^_-)-☆
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