ぼたん苑は東照宮の参道から入り
東照宮の中にあるみたいだけどつながってないのでよく分からない。
ぼたん苑と東照宮の入場券をセットで売っているので
今度は東照宮の方へも入ってみようかな。
ぼたん苑は東照宮と完全に切り離されているので東照宮の面影はありません、
一度出て改めて東照宮へ入るわけだけど中はどうなっているんだろう?
今度情報を集めて東照宮へも入ってみたいですね。
ぼたん苑のロウバイもすでに咲いていた、これは例年のことだけど
今年は撮りやすく咲いてくれたのでよかったね。
早い年にはマンサクが咲いていることもあるけど
今年はまだちょっと早いみたいだった。
正面が東照宮、建築に当たって各大名が競って寄進したたくさんの灯篭、
大きて数も多いので東照宮の名物となっている。
先年改装されたばかり、やっぱり入ってみようかなぁ。
日光東照宮には及ばないけどかなり派手な社殿だ。
水屋にはこんな大きな鈴が。
寄進したのは江戸三大石匠の酒井八右衛門、狛犬の石匠と説明板にあるけど
鈴の理由はイマイチ分からない、まさか鳴らすためでもないだろうけど。
上野寛永寺の五重塔
寛永寺五重塔(重要文化財)寛永8年(1631年)建立。(初代の塔、今は二代目)
上野東照宮も旧境内地、上野公園内にある。
上野寛永寺は徳川家光が創立した徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で、
徳川歴代将軍15人のうち6人がこの寛永寺に眠る。
江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪とされ
現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内だった。
最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたという、
明治維新後、境内地は没収され、旧境内地が公園用地になった。
帰りに上野公園をちょっとだけ散歩、次回に。
1月2日 上野東照宮
東照宮の中にあるみたいだけどつながってないのでよく分からない。
ぼたん苑と東照宮の入場券をセットで売っているので
今度は東照宮の方へも入ってみようかな。
ぼたん苑は東照宮と完全に切り離されているので東照宮の面影はありません、
一度出て改めて東照宮へ入るわけだけど中はどうなっているんだろう?
今度情報を集めて東照宮へも入ってみたいですね。
ぼたん苑のロウバイもすでに咲いていた、これは例年のことだけど
今年は撮りやすく咲いてくれたのでよかったね。
早い年にはマンサクが咲いていることもあるけど
今年はまだちょっと早いみたいだった。
正面が東照宮、建築に当たって各大名が競って寄進したたくさんの灯篭、
大きて数も多いので東照宮の名物となっている。
先年改装されたばかり、やっぱり入ってみようかなぁ。
日光東照宮には及ばないけどかなり派手な社殿だ。
水屋にはこんな大きな鈴が。
寄進したのは江戸三大石匠の酒井八右衛門、狛犬の石匠と説明板にあるけど
鈴の理由はイマイチ分からない、まさか鳴らすためでもないだろうけど。
上野寛永寺の五重塔
寛永寺五重塔(重要文化財)寛永8年(1631年)建立。(初代の塔、今は二代目)
上野東照宮も旧境内地、上野公園内にある。
上野寛永寺は徳川家光が創立した徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で、
徳川歴代将軍15人のうち6人がこの寛永寺に眠る。
江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪とされ
現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内だった。
最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたという、
明治維新後、境内地は没収され、旧境内地が公園用地になった。
帰りに上野公園をちょっとだけ散歩、次回に。
1月2日 上野東照宮
私なんか戦争中に生まれたわけだけど
世の中、戦争があったのも知らない人が多くなってしまった。
徳川慶喜は明治維新と共に忘れ去られてしまったけど
なんと明治天皇より長生きしてしまった。
長生きすれば偉いというわけではないけど
文字通り数奇な運命と言えるのでしょうね。
テレビなどでよく今の徳川家のご当主を見るけど
やっぱり顔立ちが違うようで、血は争えませんね。
ま、こうして血は脈々と受け継がれていくけど
血と共に国もしっかりと受け継がれていって欲しいですね。
と、わたしたちも “長き月日” を生きることになるのかしらね。
昭和は遠くなりにけり。
ほとんど記憶も残っていないけど
中禅寺湖でボートに乗ったら出るときはよかったけど
帰る段になって沖合から見たらボート屋さんがいっぱい並んでいて
あれ、どこに帰ればいいのかな、、、と焦った記憶が。
20代前半だったから歴史とかに興味もなく、
陽明門も眠り猫もふ~んとただ見ていただけだったみたいです。
あもデカい鈴は何なんでしょう、
いろいろ調べてはみたけど明快な解は見当たらなかった。
石匠が銅の鈴ってのもおかしいけどよく分かりませんわ、
ただたくさんある灯篭も銅の灯篭がいっぱいある、
大名と張り合って大きな銅の鈴を、、、そんなわきゃないか。
徳川と共にあった寛永寺、徳川に始まり徳川に終わった寛永寺、
最後の将軍徳川慶喜もここで謹慎して大政奉還となった。
ここに眠る将軍たちの胸の内はどうなんでしょうね。
その徳川慶喜は大正2年に亡くなったそうだけど、辞世の句。
この世をば しばしの夢と 聞きたれど
おもへば長き 月日なりけり
石匠の酒井八右衛門さんの大にスズは、石で・・じゃないよね。
こんなのがぶら下がってら怖いもの。
たくさんの将軍様が眠ってるのね。
どんな夢を見てるかな?