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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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不安定の弧 中央アジア

2008年09月02日 | 歴史をひも解いて
写真上右は、アフガニスタン東部の発見現場から運び出された日本人らしい男性の遺体 (AFP=時事)。 下左は、テヘランで 左から小野寺五典外務副大臣、中村聡志さん (中央) はイランのシェイフアッタール筆頭外務次官と面会した。
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伊藤さんは残念ながらアフガニスタンで遺体で発見されましたが、一方で6月にイランで解放された日本人学生の救出を喜びたいですね。 しかし、どうして危険なイランに入ったのか、また どうしてイラン~アフガニスタン~パキスタンという地域はこうも危険なのでしょうか?
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「銃撃戦で逃走怖れ射殺か=伊藤さん遺体、6発以上の銃創・アフガン」(8月28日 時事通信/ペシャワル・パキスタン) __ アフガニスタン東部で非政府組織 (NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん (31) が拉致され遺体で発見された事件で、険しい山中を連れ回した武装グループは警官隊と遭遇して銃撃戦になった際、逃走を恐れて伊藤さんを射殺したとみられることが28日、地元警察の調べで分かった。 遺体には下半身を中心に6発以上の銃創があったという。

伊藤さんは疲労困憊し、逃げ切れなかったとみられる。 拘束された20代後半のアデル・シャー容疑者は、伊藤さん銃撃を認めた上で、事件について「政府を混乱させるためにやった」などと供述しているという。

「現地 NGO に広がる動揺 熱意と安全の板挟み アフガン拉致」(8月27日 産経新聞) __ ※追加1へ
「農業支援に尽力、伊藤さん拉致 『無事で…』祈る両親」(8月27日 産経新聞) __ ※追加2へ
「急増する人道スタッフ襲撃と誘拐=昨年だけで89人誘拐される-アフガン」(8月26日 時事通信/イスラマバード) __ ※追加3へ

「解放の中村さん、日本側が保護=イラン」(6月16日 時事通信) __ 14日に解放された中村聡志さんは15日、イラン南東部のザヘダンから首都テヘランの空港に到着、在イラン日本大使館はイラン側から中村さんの身柄の引き渡しを受け、無事保護した。

「イラン邦人誘拐 パキスタンが協力 急転直下で解決へ」(6月16日 毎日新聞/テヘラン) _ _※追加4へ

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07年にはアフガニスタンで韓国人の医療・奉仕団が拉致され、何人かが殺害されたのもまだ記憶に残っています。

過去に何度もブログに書きましたが、この「不安定の弧 Arc of Instability」地域は民族が入り乱れ、安定した時期がないのではないかと思われるほど、混沌とした世界です。

特にアフガニスタンは、元々の成り立ちが、国というよりは、英露などの列強国の勢力の狭間から生じたといってもいい、寄木細工か継ぎはぎだらけの国で、そのため各民族が勝手ばらばらに動く まとまりのない地帯です。

山岳地が多く、各地区の有力部族が支配し、政府の意向が届かないことは容易に想像でき、そんな中での NGO 活動は砂地に染み込む水のような はかない試みに等しいものかも知れません。

しかし、そのような努力も少しは地域住民を安定した収入にと役立ったであろうことは認めたいと思います。 それが亡くなった伊藤さんへ贈る手向けの言葉としたいですね。

そして、いつかは、この戦乱の地にも平和が訪れるでしょう。 しかし、それは数年後ではなく、数十年後か数百年後と感じられるのが残念です。

以上


※追加1_ 日本人男性とみられる遺体が発見されたことを受け、アフガニスタンで農業や医療などの支援活動を行ってきた日本の MGO などは27日、国外退避を含む対応を取り始めた。 支援への熱意と安全確保という難題を突き付けられたスタッフらに動揺が広がっている。

「(伊藤さんが所属したペシャワール会は) 現地の言葉を覚え、現地の食事を食べ、地域に根ざしていた。 最悪のことが事実なら言葉もない」。 NPO 法人「難民を助ける会」のメンバーで、04年から約2年間カブールに滞在した大西清人さん (42) は悔しさをにじませる。

「比較的治安が良かったカブールでも最近は自爆テロが相次いでいた。 海外からの支援を良しとしない人も多く、NGO などはいつでもターゲットになりうる」。 同会はこの日、日本人スタッフ2人を出国させた。 伊藤さんの拉致事件が決め手になったという。

長有紀枝理事長 (45) は「同じアフガンで献身的な努力をしてきた仲間に起きた事件に、大きな衝撃を受けた。 当面は現地スタッフで活動を続けるが、影響は避けられない」

農業や医療の専門家ら39人を派遣している国際協力機構 (JICA) は、ジャララバードにいるスタッフに外出禁止を指示。 これまでも、夜間の外出や日中でも単独行動を禁じていた。 広報室の小畑永彦報道課長は「最近は危険度が高まっていた。国外退避を含め、外務省と連絡を取って判断したい」と話す。

北部のサリプル州で水資源の調査などを行っている「ピースウィンズ・ジャパン」の柴田裕子さん (37) は「危険な地域こそ支援を必要としており、単純に活動を自粛すればよいかといえば、それは難しい」と語った。
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※追加2_ アフガニスタン東部ジャララバード近郊で26日、日本の非政府組織 (NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市) の伊藤和也さんが拉致された。 人道支援スタッフを狙った襲撃や誘拐が急増するなど治安が悪化し、懸念が広がる中で起きた今回の事件。

伊藤さんは5年前にアフガン入りし、農業専門家として農民らの自立に尽力してきたが、現地は支援と危険が隣り合わせであることを印象づけた。

「こんなことになるなんて…」。 情報が二転三転して錯綜する中、関係者の間にも不安が渦巻いた

■ 固い意志 ■
「一刻も早く解放してほしい。とにかく無事で帰ってきてほしい」

静岡県掛川市の伊藤さんの実家では、両親が祈るような思いで息子の安否を気遣った。

父の正之さん (60) は自宅で取材に応じ、努めて淡々とした様子で話したが、時折、目にうっすらと涙が浮かぶ。 母親の順子さんは「こんなことになるなんて」とおえつを漏らした。

昨年7月に帰国したときに、伊藤さんは「現地で井戸を掘り、その水を活用して農作業をしているんだ」と生き生きとした様子で話していた。 3カ月ほど前の電話でも元気だった。

03年にアフガンへ渡る際には家族で話し合ったが、正之さんは「本人の意志が固く、非常に真剣だったので送り出したんです」と、思いだすように語った。

実家には伊藤さんの妹や弟が集まり、NGO 関係者も出入りする中、同日午後9時前には「解放」の報道も。 正之さんは「早く本人と話して無事を確かめたい」と期待を高めたが、後に誤報と分かり、行き交う情報に翻弄された形となった。

■ 同じ願い ■
伊藤さんは静岡県磐田市内の農業高校から、静岡県立農林短大 (現・同県立農林大学校) に進学。 園芸課程の野菜コースを専攻し、卒業後は米国で2年間ほど農業に従事していた。

ペシャワール会によると、農業計画グループのリーダー格として、乾燥した土地での作物の栽培を指導。 アフガン東部ジャララバード近郊のダラエ・ヌールにある宿舎から毎朝、車で近くの試験農場に通っていたという。

現地で伊藤さんと一緒にボランティア作業に従事したことがある30代の男性は、「口数は少ないが、まじめに黙々と働く性格。 現地語も堪能で、地元住民とも本当に打ち解けていた」と話す。 現地の食材に興味を持っており、周囲に手作りの料理を振る舞うことも。 献身的な姿が現地の男性に気に入られ、娘との結婚をせがまれたこともあったという。

「日本でもアフガンでも平穏な生活を求める願いは同じ。 安心して食べていくために投じた一石が根付くよう、これからも一生懸命活動していく所存です」

伊藤さんらは今年6月25日付で同会のホームページに、現地の人たちと作物を栽培し、収穫する喜びをつづっていた。
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※追加3_ アフガニスタンで26日起きた日本の非政府組織 (NGO) スタッフの誘拐事件は、アフガンの治安悪化に伴って最近、人道支援スタッフ狙いの襲撃や誘拐が急増し、関係者の間で懸念が広がる中で起きた。

同国では今月13日、首都カブール南郊で国際的な人道支援組織である国際救済委員会 (IRC) の外国人スタッフ3人を含む4人が車で移動中、反政府勢力タリバンに銃撃され死亡。 IRC はアフガンでの活動を中止した。
 
国連が今年3月に公表した報告書によれば、アフガン人や外国人の人道支援スタッフに対する襲撃や誘拐が増加。 昨年1年間だけで89人が誘拐され、このうち7人が殺害されている。

アフガン情勢に詳しい隣国パキスタン・ペシャワルのジャーナリストによれば、治安悪化の特に著しい南部や東部、南東部ではアフガン当局も立ち入りがほとんどできない地区が点在し、人道支援活動の大きな妨げとなっている。
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※追加4_ イラン南東部で横浜国立大生、中村聡志さん(23) が武装麻薬密輸団に誘拐された事件は、中村さんが14日、無事解放されるまで約8カ月を要した。 今年3月、解放交渉はいったん合意に達したが、密輸団が要求をエスカレートさせたため決裂、さらに長期化の様相を見せていた。 国境警察幹部によると、イラン政府がパキスタン政府に捜査協力を要請。 急転直下で解決に向かったとみられる。

少数民族バルチ人の密輸団「シャハバフシュ」は当初、中村さんの解放と引き換えに収監中の仲間3人の釈放を要求した。 だが、イスラム革命 (79年) 以降、「麻薬との戦い」による死者は密輸団、イラン当局双方で 3,000人 以上にのぼる。 釈放要求リストには当局者を殺害した人物も入っており、当局は事件の再発防止と、現地治安当局の感情にも配慮し、拒否し続けた。

そんな中、密輸団は昨年11月、南東部シスタン・バルチスタン州内の潜伏先で治安部隊の包囲に気づき、パキスタンのバルチスタン州に逃げ込んだ。

イランとパキスタンは長く「冷たい関係」が続いてきた。 イランは反米のシーア派国家だが、パキスタンは親米でスンニ派が主体。 パキスタンが支援していたアフガニスタンの旧タリバン政権を、イランは敵視していた。 タリバン政権崩壊後も両国の不信感は根強い。

パキスタンのバルチスタン州もイラン側のバルチスタンと同様、「辺境」に位置する最貧困地帯で、パキスタン中央政府への不満がくすぶる。 また、イランがパキスタンに捜査協力を求めることは「貸し」を作ることにもなり、連携は当初から期待薄とみられ、密輸団に「安全地帯」を提供する格好となった。

だが、イラン当局は今年3月、密輸団の要求を基本的に受け入れる「苦渋の決断」(テヘラン外交筋) をし、中村さん解放で合意した。 ところが翌4月、密輸団はイラン人の聖職者を新たに誘拐して、解放条件を死刑囚を含む仲間5人の釈放と引き上げたため、イラン政府は態度を硬化。 パキスタン政府への協力要請に踏み切ったようだ。

イランのアフマディネジャド大統領は4月下旬、パキスタンなど南アジアを初めて歴訪。 イランからパキスタンを経由しインドに至る天然ガスのパイプライン敷設計画の推進で基本合意しており、両国は信頼醸成の一環として事件解決に取り組んだ可能性もある。 パキスタン当局は13日、収監していたイランの反体制派武装組織「神の戦士」幹部の身柄を引き渡している。

以上

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