
表は、父の所得別の子どもの所得水準 (佐藤嘉倫・吉田崇「貧困の世代間連鎖の実証研究 2007」をもとに慎 泰俊氏作成。
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表の楕円で囲んだところを見ると 父の所得の最大割合と子の所得の最大割合が、確かにほぼ一致しているのが読み取れます。 これは “貧困と富裕の連鎖” を裏付けています。 一方 最も低い割合を追いかけると、父の所得 75% 以下で子の所得上位 25% と、父の所得上位 25% と子の所得 25%~50% となり、あまり関連性はないようです。 これはレアケースであり、最も起きにくいと解釈すればよい。 つまり 父の所得に関わらず、子の所得が上位 25% にはなりにくいということ?
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「日本で目立つのは、『貧困の連鎖』より『富裕の連鎖』」(6月5日 慎 泰俊/日経ビジネス ※追加1へ)
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平たくいうと、「貧乏人の子供は貧乏に、金持ちの子供は金持ちになることが多い」となります。 向学心を持つ貧乏人の子供は、勉強して良い地位・収入を得ることができるケースもありますが、それは確かに レアケースだろうと思います。
学費を払うのに親が苦労するようだと __ つまり 金持ちでない親は子を上級学校に進学させることが少ない、ということになります。 昔 朝日新聞の記事で読んだと記憶しますが、「東大入学者の親の収入は上位に属する率が高い」という内容だったことも、この日経ビジネス記事の内容を裏付けています。
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記事後半にある 数値化できないファクターについてのコメントが新です。 筆者は、児童養護施設に関わって 以下のことに気が付いたという、それが “子どもにとって一番大切な能力” __「努力する能力」と「人から愛される能力」で、その2つの能力のかなりの部分は、大人からの愛情によって育まれるのです。
「自分はこの世界に存在していいのだ」(※) と思う子どもは、他人から愛される能力や努力する能力の根幹になります。 特に 子どもの頃は、この愛情の提供者は主に親となります。 自分を誰よりも守ってくれるはずの親に虐待され、親が生きているのに親と暮らすことができなかったとしたら、子どもは ※ という感情を持てないかも知れません。 ※ と考えられてこそ、私たちは様々な困難を乗り越えて努力を続けることができます (別の本で 虐待する親というのは、子供の頃 親に虐待された経験があるケースが多いとも読んだことがあります。 これは “虐待の連鎖” でしょう)。
また 大人から愛される能力も大切です。 愛されたことがない人が人を愛することは難しいし、それゆえに他人から愛されることも困難になります。
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これを読むと、「人から愛される能力」も重要なことが類推できます。 人は人生で様々な困難に出会いますが、いつも親が助けてくれるとは限りません。 特に成人して親元を離れてからは、親以外の他人からの援助が重要になります。 苦境に陥ったとき、手を差し伸べてくれる他人の存在は誰でも有り難いことでしょう。 1人だけで苦境を切り開ける人は少ないと思います。
そんなとき 自分勝手な行動をしたり、自暴自棄と取られる行動をする人に援助する人はまれでしょう。 結局 筆者のいう “コミュニケーション能力” がない人は、自分の希望や不満、現状やどうしたいのかを他人にうまく伝えられず、他人の援助を得られる機会を捨て去っているのかも知れません。
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こういった能力は、人間だけでなく、企業や国という規模でもアテハメルことが可能ではないかと想像します。 苦境に陥った企業を回りの企業が助けようとするか、そのまま ほおっておこうとするか、それは「愛される能力」を持つ企業だったかどうかで決まるのではないでしょうか?
米サブプライムローン問題による金融危機 (2008年) が発生したとき、米財務省と FRB はリーマン・ブラザーズを救済せず、負債総額 約 6000億ドル (約 64兆円) という史上最大の倒産劇となりました。 そして 同じように苦境に陥っていた AIG 保険会社を米財務省と FRB は救済しました。 後にリーマンの当時の元社長ファルドは、議会の答弁で「なぜリーマンが破綻となり、AIG は救済されたのか」と恨み言とも取れる発言をしました。 その分かれ目は何だったのでしょうか? リーマンという企業は、「人から愛される能力」を持っていなかったのかも知れません。

ベルリン大空輸
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国レベルになると、どいうケースがあるでしょうか? 例えば 大戦後の冷戦時代 ソ連によるベルリン封鎖 (1948年) が発生、米英その他の国は西独から大空輸を実施、結局13ヶ月間に総飛行回数 28万回、空輸物資量は 230万トンに達する援助を行いました。 空輸作戦費用は、当時の金額で約2億2400万ドル で、これは2008年の物価に換算すると約 20億ドル といいます。 これを西独が払ったのかどうかは不明ですが、結果的に何らかの形で払っているものと推測します。
ソ連という共産主義国に対峙する米国など西側諸国の意地という側面もあったのでしょうが、ドイツという国自体が、「愛される能力」を持つ国だったのでしょう。 それは、ゲーテやベートーヴェンなど多くの文化人を生んだ文化国家を守るという感情が各国の根底にあったのではないでしょうか?
同じく分断国家だったヴェトナム。 1976年 南ヴェトナム消滅による南北統一がなされましたが、私の印象では 米国は南ヴェトナムを見捨てたように思ったものです。 それは、南ヴェトナムが「愛される能力」を持っていなかったのかも知れません。
分断国家が最後に残る朝鮮半島。 これはどうでしょうか? 韓国はともかく、北朝鮮は「愛される能力」を持っているのでしょうか? 確かに 朝鮮戦争 (1950~53年) のとき、壊滅の危機を救ったのは友邦のソ連であり、中国でした。 しかし 最近の北朝鮮の行動は、記事にある “児童養護施設” にいる “コミュニケーション能力” がない人のように思えます。
他国の市民を拉致したり、隣国に大砲を打ち込んだり、偽ドル札で外貨を稼いだり (「北朝鮮、今も精巧な偽ドル札 米高官が指摘」4月13日 産經新聞)、麻薬の密輸、核開発問題など、他国や周辺地域への脅威となるような行動ばかりが目立ちます。 北朝鮮が苦境に陥ったとき、ロシアと中国は朝鮮戦争のときと同じように助けてくれるのでしょうか? いや もう既に苦境に陥っているのかも知れません。
今日はここまでです。
※追加1_ ■「自己責任」で説明できることは驚くほど少ない ■
格差の話をすると、「日本では本人の努力次第でなんとでもなるのだから、その人の生活が厳しいのは自己責任だ」という意見がよく聞かれる。 実際のところはどうなのだろうか。 ここでは 今回の記事で伝えたいことは次の3つだ。
● 日本で起こっていることは、貧困の連鎖よりも富裕の連鎖である
● 日本の格差の固定化は、先進国で中程度の水準である
● 親の所得だけでは分からない機会の不平等として親の愛情がある
親の所得はある程度 子の所得に影響する
まずは 簡単に事実の確認をしてみよう。 機会の平等について考える時に、世代間の階層移動がどうなっているかがよく分析される。 豊かさをお金だけで測れるわけではないが、他に代替案がないので、親の所得と子の所得がどのように相関しているのかを見ることになる。 次の図 (上の表) を見てみよう。
この図を見ると分かるように、親の所得 (ここでは父の所得となっている) はある程度までは子の所得に影響を与える。 要は、「豊かな家に生まれた人は豊かになりやすく、貧しい家に生まれた人は貧しくなりやすい」ということだ。 この研究が示してくれているもっと重要なことは、「貧困の連鎖よりも富裕の連鎖の方が日本では進んでいる」ということだ。 父の所得が下位 25% の家庭に生まれた子のうち、所得が平均以上になる人が 40% であるのに対し、上位 25% の家庭に生まれた子の所得が平均以下になるのは 32% だ。
富裕の連鎖が生じているというのは、実感ベースでもしっくりくる。 例えば 外資系金融・コンサルなど、給与所得が特に高い仕事に就いている人々を見ていると、かなり多くの人がいわゆる「恵まれた家庭」に生まれている。 少なくとも 学費を払うのにも親が苦労するような家庭に生まれた人にはなかなか出会わない。 東大でも同じようなことが起こっていたと、私の友人は話していた。
それでも日本の格差の固定化は世界的には中程度
国際比較をするとどう見えるのだろう。 米国の経済諮問委員会 (CEA) の委員長であるアラン・クルーガー教授は、2012年の演説で格差の固定化を国際比較するチャートを紹介した。 スコット・フィッツジェラルドの書いた20世紀屈指の名作にちなみ、「グレート・ギャツビー・カーブ」と名付けられたこのチャート (割愛) は、現時点の不平等の程度と、格差の固定化の関係性を示している。
このチャートが示唆する一番大きなメッセージは、「不平等の程度が大きな社会においては格差も固定化しやすい傾向にある」ということだ。 他のいい方をすると、現時点での不平等と格差の固定化には何らかの類似したメカニズムが働いているということもできる。 経済諮問委員会は、この図を参照しながら、公教育への支出拡大を通じた格差是正が重要であると問題提起をしている。
また この図では、日本における格差の固定化が国際的にどの程度なのかも見ることができる。 日本における格差の固定化の程度はドイツと同じくらいで、フランスやイギリス、米国などに比べると相対的に状況は良いことが見てとれる。
国際比較ではデータの定義に問題があり 注意する必要があるが、一発試験で「良い大学」に入ることが可能である日本の大学と (そのための勉強にはお金がかかることもあるが)、親の出身大学や通える高校、学生時の活動 (その幅広さは親の所得にある程度依存する) が大学入学時に考慮される米国やイギリスの大学を見比べれば、ある程度納得のいく水準であるようには見える。
愛情ある親と暮らせるか否かは、お金で測れない機会の不平等
数値化できるデータは議論に客観性を与えてくれるが、数値にはなかなか反映されないファクターも考慮する必要があるだろう。 最後にそれを述べておきたい。
ここまで読み進めても、次のようにいう人は少なくないだろう。
「ほら 日本はまだマシだ。 一発勝負の大学入試で合格すればいくらでも何とかなる。 奨学金も申請すれば取れるし、アルバイトしながら苦学すれば大学だって通える。 それなのにしないのは甘えだし、努力しなかったための結果の不平等は存在するべきだ」
私自身も昔まで同じような考えを持っていた。 しかし それは大きな間違いであるということを、児童養護施設とかかわっているうちに気付いた。
児童養護施設は、親の虐待などで親と暮らすことのできない子どもたちが暮らす施設だ。 昔は孤児院と呼ばれた全国の施設数は約 600、子どもの数は 3万人 以上。 児童養護施設では5人に1人の子どもが高校を中退する。 中退理由として一番多いのは、コミュニケーション能力に関連するものだ。 周りの人々とうまく関係を作っていくことが苦手で、先生とも仲良くできないのでクラスの中で孤立しがちになり、学校を中退してしまうことになる。 仕事に就いても職場での人間関係に苦労して、長続きせずに職を転々とすることが多い。
ここでの活動を通じて、私は子どもにとって一番大切な能力 (そしてそれは恐らく将来の生活にも強く関係している) は、「努力する能力」と「人から愛される能力」だと痛感するようになった。 そして その2つの能力のかなりの部分は、大人からの愛情によって育まれるものだ。
なぜ親との関係が人からこうした能力につながるかについて説明しよう。
子どもは、親を含めた大人や友人から愛情を受けたり認められたりすることによって、「自分はこの世界に存在していいのだ」と思うようになる。 こうやって得られた自己肯定感が、他人から愛される能力や努力する能力の根幹になる。 特に子どもの頃は、この愛情の提供者は主に親となる。
だからこそ 親からの虐待は、子どもの心に深刻な影響を及ぼす。 仮に私たちが、自分を誰よりも守ってくれるはずの親に虐待され、親が生きているのに親と暮らすことができなかったとしたら、「自分は人から大切にされる価値のある人間だ」と思うことができるだろうか。 近所の人や友人に恵まれたなら できるかもしれないが、簡単ではないだろう。
「自分は世界に存在していいのだ」と考えられてこそ、私たちは様々な困難を乗り越えて努力を続けることができる。 自力で努力して今の地位を勝ち取ったと考えている人は、そこを理解できていないことが多いかもしれない。 私たち一人ひとりが努力できるのは、親をはじめとする様々な人々のお陰であって、純粋な個人の意志が果たす役割はかなり小さい。 私たちの気質の多くがこれまでしてきた体験によって形作られることは、近年における脳研究で明らかにされつつある。
また 大人から愛される能力は、子どもにとって一番大切な資本の1つだ。 お金も働けるだけの力も持っていない子どもは、大人からの助けを受けてこそ生きていくことができるし、育つことができる。 私自身も、親以外の多くの大人に助けられて、ここまで生きてくることができた。
この能力も親をはじめとする大人たちの愛情ある養育によって育つ。 愛されたことがない人が人を愛することは難しいし、それゆえに他人から愛されることも困難になる。 同年代の人から「友だちになりたくない」と思われ、大人から「可愛げがない」と思われるのは、本人の責任なのだろうか。 おそらくそうではないのに、周りの人々の多くはそれに気づかないで「あなたの責任でしょ」と自己責任を振りかざす。 そういった子どもたちこそ 本当に苦しんでいるのだし、助けを必要としているはずだと私は思う。
親の愛情も環境の影響を受ける
こういったことを踏まえ、私は日本における最も深刻な機会の不平等は、親から受けられる愛情の格差にあると考えている。
では 何が親からの愛情に影響を与えているのだろう。 経済協力開発機構 (OECD) のデータ (割愛) を用いて、虐待死の率と貧困率の関係を見てみると、両者にはある程度の相関があるようにみえる。
劣悪な労働環境や貧困が親から心の余裕を奪い、こうした愛情の格差につながっている側面があるのであれば、労働環境の改善や国内の貧困削減のために何らかの施策を取る意義はさらに大きいだろう。
以上