
写真左からアン、メアリー、カットラス (Cutlass 短刀)、右はメアリー?
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“女海賊” として上記の2名が歴史に悪名を残しています。 女海賊とは?
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ウィキペディアから__ アン・ボニー (Anne Bonny、Bonney とも、1700~82) は、18世紀のカリブ海で活動した海賊。 ジョン・ラカムの手下の1人である。_ ※追加1へ
メアリ・リード (Mary Read、1685?~1721) は、18世紀にカリブ海で活動した海賊。 同じくラカムの手下であったアン・ボニーとともに、伝説的な女海賊として知られる。_ ※追加2へ
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色々と読むと 彼女らは、女というよりは男勝りのアウトローたちだったようですね。 現代なら “女番長” といういい方がぴったりです。 でも 強い女性という設定は、私はあんまり面白いとは思わないですね。 例えば 「スーパーガール」なる米映画では、主人公の女性がやたらと強く、相手役の弱々しい男性を助け出したりしますが、どうにも違和感が漂う映画でしたね。
普通 ヒーローもの映画では、悪漢に迫られたヒロインが「キャー 助けてー!」というのが定番で、ヒーローは悪漢を倒してヒロインを救い出すのが自然に思えますって。 ヒーローが悪女に迫られて「うわー 助けてー」と助けを求め、ヒロインが「私にまっかせなさい!」といって悪女を倒しヒーローを助ける … あんまり自然に見えないですよね。 その後 この映画の続編が作られたとは聞きません。 私のように感じた観客が多かったんでしょう。
一般的に 女性は男性よりも体重が1~2割少なく、更に体脂肪が多いせいで筋肉質にはなりにくいので、腕力体力ともに男性よりも1~2割以上落ちるのが普通です。 接近戦が多かった海賊行為中で 女海賊が男の乗組員と張り合うのは決定的に不利だったはずですが、名前を残しているくらいですから、彼女らは よほど海賊に向いた女性たちだったんでしょう。 残された版画を見ると、アンは拳銃の、メアリはカットラス (海賊の使った短刀) の遣い手だったようですね。
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アン・ボニ―は (夫?愛人?である) ジョン・ラカムに有罪判決が下り 吊るされる直前、彼に会いたいと頼んだ。 アンは軽蔑した目つきで彼を見ると、吐き出すようにいったという。「あの時 あんたが男らしく戦っていたら、犬みたいに吊るされないで済んだんだよ」(デイヴィッド・コーディングリ著「図説 海賊大全」から)__いや~烈女というか猛女ですね。
以上
※追加1_ アイルランドで、裕福な弁護士と妾のメイドとの間にアン・コーマックとして産まれた。 父親は妻と職を捨て、アンとその母とを連れて米サウスカロライナ州チャールストン近郊にプランテーションを購入して移り住んだ。
年頃になった頃、農場の生活に退屈していたアンは、チャールストンに居た三流海賊ジェームズ・ボニーと知り合い、父の反対を押し切って駆け落ちした。 1719年 バハマの居酒屋でアンはジョン・ラカムと出会い、特赦によって海賊を廃業していたラカムが再び海賊稼業を再開すると決めたとき、アンは夫のもとを去りその手下に加わった。
ラカムが襲った船の乗組員で新たに海賊として加わった中に、美しい顔立ちの少年が居た。アンはその少年が気に入り、誘惑しようとするが、実はそれは男装して船に乗り込んでいたメアリ・リードであった。
1720年にラカムの海賊船がバハマ総督から派遣されたジョナサン・バレットに捉えられたとき、怖気づいたラカムたち男性乗組員が船倉に逃げ込んだにも拘らず、アンはメアリと共に激しく抵抗したが、結局 捕らえられてしまう。
死刑が宣告されたものの、2人は妊娠を主張したため、当時の建前上中絶を忌避する慣習に基づき、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなった。 結局 彼女たちの刑が執行された記録は無く、釈放されたのか否かはよく分かっていない。 一説によれば、アンは有力者であった父によって赦免を得たといわれる。
伝説の女海賊として名を残した彼女は、現代にいたるまで多くの芸術・娯楽作品に登場する「女海賊」のモデルとなっている。
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※追加2_ メアリ・リードは、ロンドン近郊で船乗りの遺児として産まれた。 13歳のとき フランス人女性へ下男奉公に出されたメアリはそこを逃亡、男装したまま海軍に入るがまたも脱走し、陸軍歩兵となるが、知り合った兵士と結婚、除隊する。 夫婦はオランダのブレダ城近郊で暮らしていたが、ほどなく夫が亡くなった。
メアリは再び陸軍へ入隊を志すものの男装が発覚して果たせず、西インド諸島行きの帆船に乗り組むこととなる。 1719年 この船がラカムによって捕獲されたとき、メアリはその手下となることを決意した。
メアリ・リードはカットラスの遣い手であったと伝えられている。 メアリ単独での海賊としての行動はあまり伝えられていないが、伝説の1つとして次の話が残っている。 あるとき、メアリお気に入りの青年海賊が年長の海賊と決闘することになった。 青年海賊が不利だと見たメアリは決闘前夜、相手を呼び出した。 当日 青年海賊が決闘の指定場所に向かうと、相手は既に倒されていた。
1720年に行われた裁判において妊娠を主張して刑の執行を免れることが出来たが、翌年に拘留されていた牢獄の中で熱病のために死亡した。 埋葬および彼女の妊娠に関する記録は無いが、公式記録によると、メアリは出産に起因する熱病で死亡したとされている。
以上
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“女海賊” として上記の2名が歴史に悪名を残しています。 女海賊とは?
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ウィキペディアから__ アン・ボニー (Anne Bonny、Bonney とも、1700~82) は、18世紀のカリブ海で活動した海賊。 ジョン・ラカムの手下の1人である。_ ※追加1へ
メアリ・リード (Mary Read、1685?~1721) は、18世紀にカリブ海で活動した海賊。 同じくラカムの手下であったアン・ボニーとともに、伝説的な女海賊として知られる。_ ※追加2へ
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色々と読むと 彼女らは、女というよりは男勝りのアウトローたちだったようですね。 現代なら “女番長” といういい方がぴったりです。 でも 強い女性という設定は、私はあんまり面白いとは思わないですね。 例えば 「スーパーガール」なる米映画では、主人公の女性がやたらと強く、相手役の弱々しい男性を助け出したりしますが、どうにも違和感が漂う映画でしたね。
普通 ヒーローもの映画では、悪漢に迫られたヒロインが「キャー 助けてー!」というのが定番で、ヒーローは悪漢を倒してヒロインを救い出すのが自然に思えますって。 ヒーローが悪女に迫られて「うわー 助けてー」と助けを求め、ヒロインが「私にまっかせなさい!」といって悪女を倒しヒーローを助ける … あんまり自然に見えないですよね。 その後 この映画の続編が作られたとは聞きません。 私のように感じた観客が多かったんでしょう。
一般的に 女性は男性よりも体重が1~2割少なく、更に体脂肪が多いせいで筋肉質にはなりにくいので、腕力体力ともに男性よりも1~2割以上落ちるのが普通です。 接近戦が多かった海賊行為中で 女海賊が男の乗組員と張り合うのは決定的に不利だったはずですが、名前を残しているくらいですから、彼女らは よほど海賊に向いた女性たちだったんでしょう。 残された版画を見ると、アンは拳銃の、メアリはカットラス (海賊の使った短刀) の遣い手だったようですね。
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アン・ボニ―は (夫?愛人?である) ジョン・ラカムに有罪判決が下り 吊るされる直前、彼に会いたいと頼んだ。 アンは軽蔑した目つきで彼を見ると、吐き出すようにいったという。「あの時 あんたが男らしく戦っていたら、犬みたいに吊るされないで済んだんだよ」(デイヴィッド・コーディングリ著「図説 海賊大全」から)__いや~烈女というか猛女ですね。
以上
※追加1_ アイルランドで、裕福な弁護士と妾のメイドとの間にアン・コーマックとして産まれた。 父親は妻と職を捨て、アンとその母とを連れて米サウスカロライナ州チャールストン近郊にプランテーションを購入して移り住んだ。
年頃になった頃、農場の生活に退屈していたアンは、チャールストンに居た三流海賊ジェームズ・ボニーと知り合い、父の反対を押し切って駆け落ちした。 1719年 バハマの居酒屋でアンはジョン・ラカムと出会い、特赦によって海賊を廃業していたラカムが再び海賊稼業を再開すると決めたとき、アンは夫のもとを去りその手下に加わった。
ラカムが襲った船の乗組員で新たに海賊として加わった中に、美しい顔立ちの少年が居た。アンはその少年が気に入り、誘惑しようとするが、実はそれは男装して船に乗り込んでいたメアリ・リードであった。
1720年にラカムの海賊船がバハマ総督から派遣されたジョナサン・バレットに捉えられたとき、怖気づいたラカムたち男性乗組員が船倉に逃げ込んだにも拘らず、アンはメアリと共に激しく抵抗したが、結局 捕らえられてしまう。
死刑が宣告されたものの、2人は妊娠を主張したため、当時の建前上中絶を忌避する慣習に基づき、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなった。 結局 彼女たちの刑が執行された記録は無く、釈放されたのか否かはよく分かっていない。 一説によれば、アンは有力者であった父によって赦免を得たといわれる。
伝説の女海賊として名を残した彼女は、現代にいたるまで多くの芸術・娯楽作品に登場する「女海賊」のモデルとなっている。
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※追加2_ メアリ・リードは、ロンドン近郊で船乗りの遺児として産まれた。 13歳のとき フランス人女性へ下男奉公に出されたメアリはそこを逃亡、男装したまま海軍に入るがまたも脱走し、陸軍歩兵となるが、知り合った兵士と結婚、除隊する。 夫婦はオランダのブレダ城近郊で暮らしていたが、ほどなく夫が亡くなった。
メアリは再び陸軍へ入隊を志すものの男装が発覚して果たせず、西インド諸島行きの帆船に乗り組むこととなる。 1719年 この船がラカムによって捕獲されたとき、メアリはその手下となることを決意した。
メアリ・リードはカットラスの遣い手であったと伝えられている。 メアリ単独での海賊としての行動はあまり伝えられていないが、伝説の1つとして次の話が残っている。 あるとき、メアリお気に入りの青年海賊が年長の海賊と決闘することになった。 青年海賊が不利だと見たメアリは決闘前夜、相手を呼び出した。 当日 青年海賊が決闘の指定場所に向かうと、相手は既に倒されていた。
1720年に行われた裁判において妊娠を主張して刑の執行を免れることが出来たが、翌年に拘留されていた牢獄の中で熱病のために死亡した。 埋葬および彼女の妊娠に関する記録は無いが、公式記録によると、メアリは出産に起因する熱病で死亡したとされている。
以上