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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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海賊はロマンか只の悪漢か2

2013年06月18日 | 歴史をひも解いて
下絵はポルト・ベロでのモーガン。 右はバッカニア。
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海賊ものイラストなどをネット検索していくと、やたらと同じような挿絵風の絵が出てきます。 作者はハワード・パイル 米国の挿絵画家で、中世ものを得意としていたようですが、こういった挿絵付きの海賊ものの話しは 多くの少年の心を捕えたことでしょうね。 今 眺めていてもどこかワクワクしてきます。

下の絵は、ポルト・ベロ (中米パナマの近く) の住民の代表 (?) を前にしてモーガン船長が財宝の隠し場所を聞き出そうとしている場面です。 いかにも ならず者たち=海賊とその頭領が並んで脅しをかけている、といった様子が生き生きと描かれていますね。 脇の女性は花を添える役回りの住民でしょうか。

そして右絵は、”絵になるバッカニア” (the buccaneer was a picturesque fellow) なんだそうです。 まぁ こんな風に気取ったポーズをしていられるのも、ほんのいっときです。 長くやれる商売じゃありませんや。 体力勝負の側面が強い業種ですし、へたをしたら 戦闘中 (海賊行為中) に命を落とすか、体の一部を失う者も多かったはずです。

仲間割れもしょっちゅうあるでしょうし、正確な海図のなかった時代 船長の命令で航海を続けても一向に陸地に辿り着けず、このままで食料が無くなったら 船長を殺して食ってしまおう、なんて船員仲間で相談していたケースもあったそうですから。 実際 食料が無くなると、海賊たちは鞄や靴など革製品を湯にひたして食べたということも度々あったそうです。 下痢シソー。
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ウィキペディアから__海賊の黄金時代 (Golden Age of Piracy) は、近代初期に何度か起きた海賊行為が特に活発になった時代を指す歴史学上の用語である。_ ※追加1へ

ハワード・パイル (Howard Pyle 1853~1911) はアメリカ合衆国の主に若年層向けのイラストレーター・著述家。 後進の育成にも努めた。_ ※追加2へ

ヘンリー・モーガン (Henry Morgan, 1635~88) は、17世紀にカリブ海で活躍したイギリス出身の海賊である。 ポルト・ベロ遠征の際、モーガンが苦労したのは仲間集めで、460人しかこの遠征に参加しなかった。 ポルト・ベロは「難攻不落の要塞」といわれており、激しい攻防の末、奇襲作戦で占領した。 元海賊船長としては珍しく 1688年に自然死した。

バッカニア (Buccaneer カリブの海賊) とは、17~18世紀にカリブ海のスペイン領を中心に荒らしまわった海賊で、その名は西インド諸島の原住民が作る日干し肉 (buccaning) を航海食として利用したことに由来する。

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※追加1_「海賊の黄金時代」は、3つの時代に分けられる。

1) バッカニア時代 (1650~80年頃) - イギリス人やフランス人の船乗りがジャマイカ島やトルトゥーガ島を拠点に、カリブ海や東太平洋を周航しスペイン植民地を攻撃した時代。

2) 海賊周航時代 (Pirate Round, 1690年代) - バミューダ諸島や南北アメリカ大陸から長距離航路に乗り出し、インド洋と紅海のムスリム商船や東インド会社の船を襲った時代。

3) スペイン継承戦争以降の時代 (1716~26年) - スペイン継承戦争が終結して職を失ったイギリス人、アメリカ人の水夫や私掠船員が海賊に転じ、カリブ海、アメリカ大陸東岸部、アフリカ西岸を襲撃した時代。
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※追加2_ デラウェア州ウィルミントン出身で、晩年はイタリアのフィレンツェで過ごした。 1883年に出版され古典となった『ロビン・フッドのゆかいな冒険』は今日でも刊行されているほか、パイルの書物には中世ヨーロッパを舞台にしたものが多く、アーサー王物語の4巻本がその名声を確固たるものにした。 パイルによる海賊伝説と絵を集めた『カリブ海の海賊』(Howard Pyle's Book of Pirates) がパイルの死後10年を経た1921年に出版された。

以上

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