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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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イメージ戦略に失敗した音楽家たち

2021年03月31日 | 音楽関係の本を読んで
左から ミュンヒンガーとそのベートーヴェン序曲集、アンセルメのベートーヴェン5番 (DECCA)。
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「ただ1度でいいから VPO を指揮して、経歴に箔をつけたいと熱望する指揮者たちの懇願にローゼンガルテン (DECCA 社の重役) は弱かった」(266p 20章「カラヤン登場」から)
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『レコードはまっすぐに』- あるプロデューサーの回想 - ジョン・カルショー 著/山崎浩太郎 訳 (2005年 学研)
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「大成功したシュトゥットガルト室内管弦楽団の創立者兼指揮者のカール・ミュンヒンガーは、このオケとの限られたレパートリーに飽きて、VPO を数セッション録音させるようにローゼンガルテンを説得した」

__ バロック音楽で人気となった指揮者としては、このミュンヒンガーと、DG の古楽レーベル アルヒーフで人気を博したカール・リヒターが双璧ですね。

「録音したのはベートーヴェンの序曲集 (58年) で、彼を2度と指揮者にしないでくれと VPO は頼んできた。 もしミュンヒンガーが、あの演奏を正当化しようとするなら、話しは簡単だったが、彼の弁解は違った。 神経質になったのであんな出来になったが、”次には” もっと良くなるというものだった。 ローゼンガルテンは彼と VPO との長期のセッションを約束していたので、私は担当を外れた」(267p)

__ ミュンヒンガーはバロック音楽の分野でのイメージを作ったので、古典音楽には確かに向いていないように思えましたね。 VPO とはシューベルトなどを制作しましたが、果たして売れたのでしょうか?

その意味では カール・リヒターも同じでした。 ブラームス1番かマーラー1番だったか記憶が定かでないのですが、音楽誌 DG 広告で見て、「えっ こんな曲をリヒターが録音するの?」と中学生の私でさえ驚いたものです。

映画の世界に例えるなら、どちらかというとシリアスな歴史もので名声を博したチャールトン・ヘストンがコメディ映画に出るようなものです。 逆に マッチョマンのシュワは人気が出始めた当初からコメディ映画に出演しましたから、違和感がないのです。
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「その生涯の最後の十年にさしかかったアンセルメには、幾つか問題があった。 戦後の DECCA の ffrr 方式を軌道に乗せたのは、彼の指揮した『火の鳥』『ペトルーシュカ』『シェエラザード』のレコードだった」

「問題は、1950年代後半には 既にレパートリーの全てを録音してしまった事にある。 ステレオの登場は同じレパートリーを、古典期の作品を録音したいとという彼の意欲を食い止められなかったが、彼はその分野では殆ど才能がなかった」(250p 19章「録音のボスたちとスタッフの記録」から)

__ 確かに アンセルメ指揮スイス・ロマンド管のベートーヴェン全集とかブラームス全集のリストを見て、これ 一体買う人がいるのだろうかと疑問に思ったものです。 彼の得意曲は “仏露スペインの舞踏音楽” などだったと思います。

「アンセルメの古典期の作品は初めから悲惨な売れ行きだったが、それも彼を止める事はできず、やり続けた」(251p)
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ショルティも、ワーグナーやマーラーでは素晴らしい録音を残しましたが、古典のベートーヴェンやブラームスなどは成功したとはいえないのではないでしょうか。

カルショーもショルティのベートーヴェンを、残念ながら 認めていません。 どうしても聴衆の前に登場した時に、あるイメージが作られるので、そのイメージから外れた作品を演奏・指揮するとなると “違和感” が残るものです。

モーツァルト指揮者のベームが、『新世界』や『悲愴』などが得意とは思えません。 何でも指揮できる人というのは、実は “器用な職人” で、決してスペシャリストではないと思います。

カラヤンは独伊仏露曲を何でも指揮した印象がありますが、ヴェルディ最大の人気作品『椿姫』の正式録音や、ワーグナーの人気作品『タンホイザー』の正式録音、ショスタコの最大の人気作品5番はなく、同じくマーラーの1番はなく、ストラヴィンスキーの人気作品『火の鳥』『ペトルーシュカ』を録音しませんでした。 ブラームスの『大学祝典序曲』『ピアノ協奏曲1番』も録音しませんでした。 自分の不得意作品が解っていたのでしょう。

TELARC 社でポップス曲を本格オーケストラで優秀録音したカンゼル指揮シンシナティは、このイメージを貫き 逆に本格クラシック路線には踏み入れませんでした。 カンゼル指揮の “運命・新世界・悲愴” なんて売れないと分かっていたんでしょう。

逆の意味で、それらはカラヤンのイメージで、カラヤンの振る “映画音楽集” なんて考えられません。 あるとしたら イメージぶち壊しですからね。
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冒頭の2枚のレコード・ジャケットは何とも暗いイメージで、こんなレコードは買いたいという気分にはなれませんよね。 ジャケ制作の人も「このレコード、売れそうもないよな。 けれど仕事だから …」といったかどうか。 逆に ジャケの出来が良すぎて “ジャケ買い” で失敗するケースも たま~にあります。

そうやって 我々レコード・CD 蒐集家は、経験を多く積んで素晴らしい演奏のレコード・CD を嗅ぎ分けるテクニックを磨いているのです。 ワインの選別でも、何でも同じようなものです。 数多く経験しないと解らない事は山ほどあります。

レコード・CD の演奏家のイメージはこうして作られるので、最初期の十枚ほどで市場でのイメージが決まってしまうものと想像します。 ミュンヒンガーはバロック音楽以外に、アンセルメは仏露スペインの舞踏音楽以外に踏み出したから失敗したのです。

今日はここまでです。

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