シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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音楽も人物も型破りのストラヴィンスキー

2013年02月14日 | 1曲だけで大注目
07年9月2日シャンテサラ2投稿分__

守銭奴で噛みつき屋というイメージがあるイーゴリ・ストラヴィンスキーですが、彼が若い時に書いたバレエ音楽三作品はそのことでいささかも価値が落ちることはありません。
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「ロシアから西欧へ~ミルスタイン回想録 Nathan Milstein 」より _ ※追加1へ
Wikipedia から _ ストラヴィンスキー (Igor Stravinsky) は、初期の三作品の … ※追加2へ
「YAMAHA おんがく日めくり」から … ※追加3へ

 「ストラヴィンスキー自作自演集 Works of Igor Stravinsky 」(SONY, 88697103112) _ 音源自体は、既に有名な、ストラヴィンスキーの自作自演集22枚組。 一部、ロバート・クラフトがストラヴィンスキー監修の下で指揮した音源も混じっている。 これが6千円前後で入手できるというのは驚きだ。 ここ数年、激安セット物の発売が目立つ (http://homepage2.nifty.com/choralcd/DIARY070705.html)。
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一時 ストラヴィンスキーの元秘書が、ストラヴィンスキー自作自演の録音のかなりの部分が協力者のクラフト指揮によるものだと暴露して話題になったことがありました。 ミルスタイン回想録などを読んでも、その変人ぶりが窺われ、鼻持ちならない人間だったことが想像できます。

しかし 天才というか、歴史に名を残すような人は、そういうものではないでしょうか。 普通の人、常識人であれば天才ではありえず、歴史に登場しないでしょう。 歴史に残ったから、後世の人は後から記憶を思い出して個性的だったとか、記録を調べたりして こんなにも常識人と違う点がある、あんな人だったと書くのです。

我々凡人は、彼らの残した作品を優れた演奏で楽しめばいいのです。 様々な資料から あの楽聖といわれ、今でも世界中で尊敬される大作曲家の1人 ベートーヴェンはとてつもない “変人だった” と想像しますが、それが彼が残した膨大な素晴しい作品群を曇らせることにはなりませんね。

ストラヴィンスキーについていえることは、初期の三作品は名作ですが、後はそうとはいえないようです。 若い頃 バレエ団の主宰者ディアギレフに引き出された才能が、彼がいなくなってから輝きを無くしてしまったのは残念なことです。

後は 自分の三作品を何度も書き直して、著作権料を稼いでいた “創作力の衰えた作曲家” だったともいえます。 名伯楽を失って、その他大勢の作曲家の一人になってしまったのですね。

以上


※追加1_ ストラヴィンスキーは悲劇的な人物に見える。 私は彼のことを偉大な作曲家と見なしているが、人格的には大きな欠陥を持っていた人であったと思う。

一人の人間として捕えれば、彼は好んで人を欺き、突き刺し、そして傷つける。 ストラヴィンスキーは多くの器楽曲を書いたが、彼の音楽を擁護するような偉大な演奏家や、指揮者と出会うことがなかった。 音楽の世界での支持者がいなかったことは、彼にとっては悲劇だった。

彼はどんな状況にあっても、金銭的な利益を忘れない。 彼はかつて、指揮などというものは政治と同じで創造的な心を引き付けることはありえないといって、指揮者という地位には殆ど敬意を払わなかった。 モントゥーもアンセルメも、最初のうちは彼とうまくいっていた。 後にストラヴィンスキーが自分の作品の指揮を始めた時、彼は二人の指揮者の中に、彼をいらいらさせるような個性的な特徴を次から次へと発見した。
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※追加2_『火の鳥 』(L’Oiseau de feu, 1910年)『ペトルーシュカ』(Petrushka, 1911年)『春の祭典』(Le sacre du printemps, 1913年) でとくに知られる。 初期に作曲された3つのバレエ音楽 (上記) が名高く、特に原始主義時代の代表作『春の祭典』は、音楽史上の最高傑作の1つにも数えられている。

「原曲の著作権料がアメリカでは入ってこない」という理由もあって、演奏頻度の高い3曲のバレエ音楽の改訂を行い続けた。 また、自分の演奏が録音されるチャンスがあるとわかれば、指揮やピアノの録音を残した。
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※追加3_ ストラヴィンスキーの代表作でもある1909年から13年に書かれたバレエ3部作は、ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフとの出会いによって完成しました。 複合拍子、変拍子、不協和音を多用した彼の作風は、クラッシック音楽の伝統にとらわれない革新的なものだったため、これまでの音楽に慣れた聴衆には不評で、演奏会では、たびたびブーイングが起きたといわれています。

以上

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