
写真上左はメディア公開された若モナリザ作品。 上右は NRC が開発した多重解像度表示システムを利用した「モナ・リザ」のバーチャル 3D 画像を調査する NRC 研究員の Marc Rioux 氏。 下中央は複製画。
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“若モナリザ” と “中年モナリザ” があったわけですね。 確かに10歳以上は若い感じがします。 ただ それがダ・ヴィンチが描いたものかどうかがまだ確定してないようですね。 あれだけ有名な絵となると、誰かがこっそりと若モナリザを描いて ダ・ヴィンチ作らしいと流通させたとも考えられますから。
「繊細な細部の描写がモナリザと異なっている」(英オックスフォード大のマーティン・ケンプ名誉教授・美術史) とする専門家もいますから、模写の可能性も否定できないですね。
でも不思議な絵ですね。 何ていうこともない小さい “婦人の肖像画” なんですけど。 多くの人々を魅き付けて、人気が衰える気配もないというのは、あの表情とそれをカンバスに写し取ったダ・ヴィンチの稀な作画手法に時代を超越した魅力があるのでしょう。
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「ジュネーブで “若きモナリザ” 公開、ダビンチのオリジナル版か」(9月26日 ロイター/ジュネーブ) _ ※追加1へ
「”モナリザ” 最古の複製画公開、来月に本物と並べて展示へ」(3月1日 ロイター/マドリード) _ ※追加2へ
「3D 技術が解いたモナ・リザの謎」(06年9月27日 AFPBB News/カナダ) _ ※追加3へ
ウィキペディアから__『モナ・リザ』(伊: La Gioconda、英: Mona Lisa) は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。 深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。 現在はパリのルーヴル美術館に展示されている。_ ※追加4へ
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以上
※追加1_ スイスに拠点を置くモナリザ基金は26日、パリ・ルーブル美術館で展示されているレオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」とは別の「モナリザ」を、27日からジュネーブで公開すると発表した。
公開イベントを主催する同基金は、30年以上にわたって研究を重ねた結果、今回公開する作品が、ルーブル美術館の「モナリザ」より前にダビンチによって描かれた可能性が非常に高いことが分かったと明らかにした。
ジュネーブで一足早く専門家やメディアに公開された「第2のモナリザ」は、ルーブルの作品と同様に不思議な笑みを浮かべ、同じポーズを取っている。 年齢については30歳前半に見えるルーブルのモナリザに比べ、20歳前半の女性に見える。
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※追加2_ スペインのマドリードにあるプラド美術館で21日、イタリアの画家レオナルド・ダビンチの弟子が同時期に描いたとされる代表作「モナリザ」の複製画が一般公開された。
同美術館のガブリエーレ・フィナルディ氏は「これまで知られる中で、最も古く重要なモナリザの複製画だ」と語った。
この複製画は、モナリザの顔が本物より若く、明るく描かれている。 ダビンチの死後かなりたってから制作された複製画の1枚だと長らく思われていた。
しかし、フランスのルーブル美術館が2年前に調査を依頼。 専門家らが調査した結果、黒く塗りつぶされていた下にダビンチが制作したオリジナルに類似した背景が描かれていたことや、モナリザが着ているドレスなどがダビンチ制作当時の16世紀のニュアンスを持ち合わせていることなどが分かった。
複製画は、プラド美術館で3月13日まで公開された後、ルーブル美術館で本物のモナリザと並んで展示される。
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※追加3_レオナルド・ダビンチの名画「モナ・リザ」は、当時妊婦や出産したばかりの女性が着た薄い布をまとい、髪をアップに結い上げていた――カナダ国立研究機構 (National Research Council of Canada、NRC) は26日、特殊な赤外線と 3D 技術を利用して、ニスの下に隠されて見えなくなっていたオリジナルの絵を発見したと発表した。
オタワで開かれた記者会見で、NRC の Pierre Coulombe 機構長は、「これこそ、これまでわれわれが知らなかった本当の『モナ・リザ』だ」と述べた。
パリ・ルーブル美術館所蔵の「モナ・リザ」の調査は、仏文化省仏美術館修復研究センター (Centre de Recherche et de Restauration des Musees de France、C2RMF) の依頼で、2004年10月に開始された。
■ モナ・リザの髪型の謎が明らかに ■
3D スキャンではまず、現在は両肩を覆うように下ろされているように見える髪が、描かれた当時は後ろで束ねられていたことがわかった。 16世紀のイタリアで髪を下ろしているのは少女か娼婦だったため、「モナ・リザ」の髪型についてはこれまでも議論の的になってきたが、「実際の彼女は社会的地位のある大人の女性であることが判明した」と C2RMF 研究部学芸員のブルーノ・モッタン氏は語る。
また、赤外線走査の結果、「モナ・リザ」が身にまとっている布の1つは、当時の妊婦や出産したばかりの女性が着た服に似ており、黄色のニスに上塗りされて現在では肉眼で確認できなくなっていることもわかったという。
「これまではまったく知られていなかった発見です」とモッタン氏。
■ モナ・リザは3人の子どもの母親 ■
「モナ・リザ」のモデルとなった女性は、3人の子どもを出産したといわれる。 ダ・ヴィンチは1503年から1506年の間に、フィレンツェの裕福な商人、フランチェスコ・デル・ジョコンドから、第2子を出産したばかりの妻の肖像画を依頼された。 ダビンチは「モナ・リザ」を晩年まで手元から離さなかったが、その間に髪型を変えるなど絵に手を加えた可能性が高い。
スキャンによって明らかになった本来の「モナ・リザ」では、女性が腰掛けている椅子が現在見えるよりもしっかりと描かれており、女性は椅子に寄りかからず背筋を伸ばして座っていた。
■ 命を注ぎ込むダビンチの技法 ■
モッタン氏によると、輪郭をぼかすスフマートという手法で軟らかく濃淡の強い陰影表現を用いたダビンチの画法についても、より一層の理解を深めることができたという。
「(ダン・ブラウン著の)『ダ・ヴィンチ・コード』に書かれているような特殊な謎は、見つかりませんでした。 ただ、スフマート画法によって、ダビンチが命の本質をとらえようと試みたのは確かです。この絵には、彼の技法のすべてが注ぎこまれています。 それがわれわれが発見した『謎』の正体です」(モッタン氏)
研究者らによると、筆が使われていない部分では、ダビンチは自分の指を使った可能性があるというが、絵の上に指紋は残っていない。 また、目や微笑を浮かべた口の端など肖像画の暗い部分は他より厚く塗られ、「光沢のある顔料を薄く何層にも重ねて描かれた」ことも明らかになったが、ダビンチが実際どのようにして顔料を重ね塗りし、油彩部分だけが残ったのかは不明のままだ。
NRC のジョン・テーラー氏は、「非常に薄く、非常に平らに塗られていますが、それでいて巻き毛のディテールなどははっきりと描かれている。 現在知られているどんな画法とも異なっています」と語った。
発表によれば、学芸員らが懸念していた絵の上部にある12センチメートルの傷は安定しており、時間の経過により悪化してはいないようだという。 この傷はもとの木枠を外した時にできた傷だと考えられ、18世紀中頃から19世紀初めに修復されたとみられる。
また、「モナ・リザ」の土台である木製パネルは、中央右部分が縁より12ミリメートル高く反り返ったかたちにゆがんでいるが、微笑みなど絵の構図に影響はないという。
■ 1930年、1952年の調査以来3度目の本格的調査 ■
3D スキャンは、2004年10月にルーブル美術館で2晩かけて行われた。 モッタン氏は、毎年700万人が「モナ・リザ」を見にルーブル美術館に足を運ぶことから、研究室で絵を調査する機会はほとんどなく、これまでに1930年、1952年、そして今回の計3回だけしか調査が行われていないと話す。
「彼女は、自分の人気に悩まされているわけです」(モッタン氏)
今回撮影された 3D 画像により、学芸員らは絵そのものに触れることなく調査を進めることが可能になった。 また、修復技術についても、事前に 3D モデルで実験できるようになった。
カナダの撮影技術は、以前にもミケランジェロのダビデ像や、ルノワールやコローの絵画のスキャンに利用されている。 また、ピーター・ジャクソン監督のハリウッド映画『ロード・オブ・ザ・リング』3部作に使われたほか、米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル「アトランティスにも搭載され、ミッション中のシャトルの耐熱タイルの状態をチェックするのに応用されたりもしている。
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※追加4_ ジョルジョ・ヴァザーリが、1人芸術家の作品と生涯を紹介した『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年) の中で、フォンテーヌブロー宮殿にある『モナ・リザ』にふれ、モデルをフランチェスコ・デル・ジョコンド (“Giocondo”) の妻であるとした。「モナ monna (伊)」は「婦人」、「リザ」は「エリザベッタ」の愛称を意味している。 ちなみに、イタリア語での名称「La Gioconda」は「ジョコンド」を女性形にしたもので、ルーブル美術館でも「La Joconde」と称している。
フランチェスコは実在した裕福な人物であり、当時フィレンツェの中で政治的にも権威を持っていた。 しかし その妻であるリザ・デル・ジョコンド (リザ・ゲラルディーニ) については1479年10月16日に生まれ、1495年にフランチェスコと結婚したこと以外はほとんど分かっていない。
以上
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“若モナリザ” と “中年モナリザ” があったわけですね。 確かに10歳以上は若い感じがします。 ただ それがダ・ヴィンチが描いたものかどうかがまだ確定してないようですね。 あれだけ有名な絵となると、誰かがこっそりと若モナリザを描いて ダ・ヴィンチ作らしいと流通させたとも考えられますから。
「繊細な細部の描写がモナリザと異なっている」(英オックスフォード大のマーティン・ケンプ名誉教授・美術史) とする専門家もいますから、模写の可能性も否定できないですね。
でも不思議な絵ですね。 何ていうこともない小さい “婦人の肖像画” なんですけど。 多くの人々を魅き付けて、人気が衰える気配もないというのは、あの表情とそれをカンバスに写し取ったダ・ヴィンチの稀な作画手法に時代を超越した魅力があるのでしょう。
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「ジュネーブで “若きモナリザ” 公開、ダビンチのオリジナル版か」(9月26日 ロイター/ジュネーブ) _ ※追加1へ
「”モナリザ” 最古の複製画公開、来月に本物と並べて展示へ」(3月1日 ロイター/マドリード) _ ※追加2へ
「3D 技術が解いたモナ・リザの謎」(06年9月27日 AFPBB News/カナダ) _ ※追加3へ
ウィキペディアから__『モナ・リザ』(伊: La Gioconda、英: Mona Lisa) は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。 深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。 現在はパリのルーヴル美術館に展示されている。_ ※追加4へ
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※追加1_ スイスに拠点を置くモナリザ基金は26日、パリ・ルーブル美術館で展示されているレオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」とは別の「モナリザ」を、27日からジュネーブで公開すると発表した。
公開イベントを主催する同基金は、30年以上にわたって研究を重ねた結果、今回公開する作品が、ルーブル美術館の「モナリザ」より前にダビンチによって描かれた可能性が非常に高いことが分かったと明らかにした。
ジュネーブで一足早く専門家やメディアに公開された「第2のモナリザ」は、ルーブルの作品と同様に不思議な笑みを浮かべ、同じポーズを取っている。 年齢については30歳前半に見えるルーブルのモナリザに比べ、20歳前半の女性に見える。
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※追加2_ スペインのマドリードにあるプラド美術館で21日、イタリアの画家レオナルド・ダビンチの弟子が同時期に描いたとされる代表作「モナリザ」の複製画が一般公開された。
同美術館のガブリエーレ・フィナルディ氏は「これまで知られる中で、最も古く重要なモナリザの複製画だ」と語った。
この複製画は、モナリザの顔が本物より若く、明るく描かれている。 ダビンチの死後かなりたってから制作された複製画の1枚だと長らく思われていた。
しかし、フランスのルーブル美術館が2年前に調査を依頼。 専門家らが調査した結果、黒く塗りつぶされていた下にダビンチが制作したオリジナルに類似した背景が描かれていたことや、モナリザが着ているドレスなどがダビンチ制作当時の16世紀のニュアンスを持ち合わせていることなどが分かった。
複製画は、プラド美術館で3月13日まで公開された後、ルーブル美術館で本物のモナリザと並んで展示される。
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※追加3_レオナルド・ダビンチの名画「モナ・リザ」は、当時妊婦や出産したばかりの女性が着た薄い布をまとい、髪をアップに結い上げていた――カナダ国立研究機構 (National Research Council of Canada、NRC) は26日、特殊な赤外線と 3D 技術を利用して、ニスの下に隠されて見えなくなっていたオリジナルの絵を発見したと発表した。
オタワで開かれた記者会見で、NRC の Pierre Coulombe 機構長は、「これこそ、これまでわれわれが知らなかった本当の『モナ・リザ』だ」と述べた。
パリ・ルーブル美術館所蔵の「モナ・リザ」の調査は、仏文化省仏美術館修復研究センター (Centre de Recherche et de Restauration des Musees de France、C2RMF) の依頼で、2004年10月に開始された。
■ モナ・リザの髪型の謎が明らかに ■
3D スキャンではまず、現在は両肩を覆うように下ろされているように見える髪が、描かれた当時は後ろで束ねられていたことがわかった。 16世紀のイタリアで髪を下ろしているのは少女か娼婦だったため、「モナ・リザ」の髪型についてはこれまでも議論の的になってきたが、「実際の彼女は社会的地位のある大人の女性であることが判明した」と C2RMF 研究部学芸員のブルーノ・モッタン氏は語る。
また、赤外線走査の結果、「モナ・リザ」が身にまとっている布の1つは、当時の妊婦や出産したばかりの女性が着た服に似ており、黄色のニスに上塗りされて現在では肉眼で確認できなくなっていることもわかったという。
「これまではまったく知られていなかった発見です」とモッタン氏。
■ モナ・リザは3人の子どもの母親 ■
「モナ・リザ」のモデルとなった女性は、3人の子どもを出産したといわれる。 ダ・ヴィンチは1503年から1506年の間に、フィレンツェの裕福な商人、フランチェスコ・デル・ジョコンドから、第2子を出産したばかりの妻の肖像画を依頼された。 ダビンチは「モナ・リザ」を晩年まで手元から離さなかったが、その間に髪型を変えるなど絵に手を加えた可能性が高い。
スキャンによって明らかになった本来の「モナ・リザ」では、女性が腰掛けている椅子が現在見えるよりもしっかりと描かれており、女性は椅子に寄りかからず背筋を伸ばして座っていた。
■ 命を注ぎ込むダビンチの技法 ■
モッタン氏によると、輪郭をぼかすスフマートという手法で軟らかく濃淡の強い陰影表現を用いたダビンチの画法についても、より一層の理解を深めることができたという。
「(ダン・ブラウン著の)『ダ・ヴィンチ・コード』に書かれているような特殊な謎は、見つかりませんでした。 ただ、スフマート画法によって、ダビンチが命の本質をとらえようと試みたのは確かです。この絵には、彼の技法のすべてが注ぎこまれています。 それがわれわれが発見した『謎』の正体です」(モッタン氏)
研究者らによると、筆が使われていない部分では、ダビンチは自分の指を使った可能性があるというが、絵の上に指紋は残っていない。 また、目や微笑を浮かべた口の端など肖像画の暗い部分は他より厚く塗られ、「光沢のある顔料を薄く何層にも重ねて描かれた」ことも明らかになったが、ダビンチが実際どのようにして顔料を重ね塗りし、油彩部分だけが残ったのかは不明のままだ。
NRC のジョン・テーラー氏は、「非常に薄く、非常に平らに塗られていますが、それでいて巻き毛のディテールなどははっきりと描かれている。 現在知られているどんな画法とも異なっています」と語った。
発表によれば、学芸員らが懸念していた絵の上部にある12センチメートルの傷は安定しており、時間の経過により悪化してはいないようだという。 この傷はもとの木枠を外した時にできた傷だと考えられ、18世紀中頃から19世紀初めに修復されたとみられる。
また、「モナ・リザ」の土台である木製パネルは、中央右部分が縁より12ミリメートル高く反り返ったかたちにゆがんでいるが、微笑みなど絵の構図に影響はないという。
■ 1930年、1952年の調査以来3度目の本格的調査 ■
3D スキャンは、2004年10月にルーブル美術館で2晩かけて行われた。 モッタン氏は、毎年700万人が「モナ・リザ」を見にルーブル美術館に足を運ぶことから、研究室で絵を調査する機会はほとんどなく、これまでに1930年、1952年、そして今回の計3回だけしか調査が行われていないと話す。
「彼女は、自分の人気に悩まされているわけです」(モッタン氏)
今回撮影された 3D 画像により、学芸員らは絵そのものに触れることなく調査を進めることが可能になった。 また、修復技術についても、事前に 3D モデルで実験できるようになった。
カナダの撮影技術は、以前にもミケランジェロのダビデ像や、ルノワールやコローの絵画のスキャンに利用されている。 また、ピーター・ジャクソン監督のハリウッド映画『ロード・オブ・ザ・リング』3部作に使われたほか、米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル「アトランティスにも搭載され、ミッション中のシャトルの耐熱タイルの状態をチェックするのに応用されたりもしている。
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※追加4_ ジョルジョ・ヴァザーリが、1人芸術家の作品と生涯を紹介した『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年) の中で、フォンテーヌブロー宮殿にある『モナ・リザ』にふれ、モデルをフランチェスコ・デル・ジョコンド (“Giocondo”) の妻であるとした。「モナ monna (伊)」は「婦人」、「リザ」は「エリザベッタ」の愛称を意味している。 ちなみに、イタリア語での名称「La Gioconda」は「ジョコンド」を女性形にしたもので、ルーブル美術館でも「La Joconde」と称している。
フランチェスコは実在した裕福な人物であり、当時フィレンツェの中で政治的にも権威を持っていた。 しかし その妻であるリザ・デル・ジョコンド (リザ・ゲラルディーニ) については1479年10月16日に生まれ、1495年にフランチェスコと結婚したこと以外はほとんど分かっていない。
以上